第72話 刹那の覚醒
ディフェンダーを0人にする。それは自殺行為に等しいこと。
だが、5年前の国巻高校にて、当時の監督だった岡山は何度もこう言った。
「チャレンジするだけしてみようよぉ。ピッタリ嵌まるかもしれないんだよぉ。」
それは指導者の言葉と言うより、子供の駄々に近い姿であった。
「それは無理です。」必ず美津田が一番に抗議していた。
他の戦術には不機嫌ながらも口を挟まない美津田も、0バックシステムだけには頑なに反対していたのである。
「も~。ほら。美津田くんが反対したらさぁ、他の子も絶対そっちに靡くじゃん。ちょっとしたテストだと思えばいいんだってばぁ。」
「タダでさえ俺達は1バックシステムに四苦八苦してるんです。これ以上の無茶は困ります。」
「そんなに無茶なこと?」
「え?」
「美津田くんの守備力ってさぁ、その程度のもんなの?今の君を見たら泣いちゃうんじゃないの?遠くに行った【アルゼンチンのオトモダチ】。」
「・・・今・・・。」
「ん?どした?」
「あんた・・・今、なんつった?」
「あれ・・・もしかして・・・美津田くん、怒った?」
「俺らはなぁ・・・。」
「美津田!いい加減にしろって!」
「うるさい大嶺!言わせろ!」
「・・・。」
「俺達は楽しくフットサルしてたんだ!それをアンタが来てから・・・。」
「嬉しくないの?美津田くん。」
「は?」
「サッカー部になって、桜台東にも勝って、他にもジャンジャン勝って、これでも嬉しくないの?」
「・・・。」
「まぁ、いいよ。怒らせたお詫びの印に0バックは諦めるからさ。じゃ、雰囲気変えて練習再開しよっか!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あの日の会話を思い出しながら、美津田は試合を見つめている。
少し横目で岡山を眺めてみると、そこには満面の笑みがあった。
『まずい!キャプテン5人の中で一番意志の強い木村が競り負けた。』
そう考えた望月は、大声を張り上げて「また点取ろうぜ!」と叫んだ。
即座の望月の行動に、ディフェンダー陣は救われる。
「望月さん。すかさず鼓舞するところがさすがだな。」
鈴木はそう思いながらラファエルとの競り合いに敗れた木村を見つめる。
その顔はとてもけわしく、噛み締め過ぎた為に、唇から少し血が滲んでいた。
「木村先輩すいません!オレがあの5番に追いつけなかったせいで・・・。」
「安心しろ。折れてない。」
「はぃ?」
「別にこの一撃で心が折れりゃしない。頭もすんげぇクールだ。」
「・・・そうですか。」
「声、しっかり出すぞ。」
「はい!」
望月は前線の選手にも声をかけていく。
「大丈夫!時間はあるし丁寧に攻めていこう!・・・!?どうした?竹下?」
「・・・。」
「大丈夫か!?」
「・・・ここに・・・。」
「??」
「ここに今、・・・須賀はいないんだよな。」
「は?」
「リードしなきゃって時・・・どっかで頼ってたんだろうな・・・俺は。」
「どういうことだ?」
「今日は・・・オレがやらなきゃな。」
「だから!なんの話だよ!?」
「今までで一番・・・腹痛いわ。今日が。」
「?????」
試合の朝、毎回竹下は整腸剤を服用していた。
緊張するとお腹が痛くなるこの本番に弱い体質の男は、何故かこの大一番に限って薬を服用しなかった。代わりに朝から3度、トイレに駆け込んでいる。
「もう頼らない。須賀にも薬にも。」
竹下がそう呟いてすぐ、国巻ボールでキックオフとなる。
大剛のディフェンスラインには再びラファエルと秦原が戻っていた。ボールを奪ったら0バックになるつもりなのだろう。
国巻は最終ラインからゆっくりとボールを丁寧に繋いでいく中、中林はフリーの望月にパスを出す。
望月は前を向くと、そこでは両手を大きく開いてボールを欲しがる竹下がいた。
「いや・・・マークされてるだろ?」
そう思った望月が大下にパスを出すと、竹下は激昂した。
「なにやってんだ!渡せよ!」
こんなに激しく怒る竹下を初めて見た大下は、未だマークされている竹下に堪らずパスする。
竹下は転がってくるボールに向かって走って行き、ボールを足裏で止めようとして後ろのマーカーを確認した。
マークしていた大剛の選手は刹那の時間に見た。竹下の口が少しだけ緩んだのを。
その瞬間、竹下はヒールでボールを強く蹴り、体を反転させるとマーカーの横を遠回りしていく。
しかし、意表を突かれた大剛のマーカーは一瞬体が硬直し、竹下に追いつけない。
「この場面で・・・反転の裏街道なんて・・・。」
マネージャーの南部は、ぐうの音も出ない。
「やっと引き出せてきたな。」
「何の話です?監督。」
「竹下が、試合で自分の実力を引き出せてきた。」
竹下は本番に弱いだけで、下手ではない。むしろ、実はチームの中で技量は松田,望月に次いで3番目に高かった。しかし、慢性的な腹痛や緊張によって、今までその実力は発揮しきれてこなかった。
一人抜き去った竹下は、両側から詰めてくるラファエルと秦原を見て、ボールを右足裏で止めながら右を見て「高井!」と叫んだ。
竹下の言葉から高井は素早くオーバーラップし、その動きにラファエルと秦原も釣られる。
再び竹下は口元を緩ませる。
彼はスピードを殺さぬまま、右足でボールの真上を踏んだ状態の中、左足でボールを正面に蹴り出した。
高井の名を叫んだのはフェイント。
見事振り回された大剛のディフェンダー達は、竹下を追いかけたが二人の間を抜かれて間に合わない。だが、正面のキーパーが飛び出してきている。
「もっと近付け!ギリギリまで!」
そう心の中で叫んだ竹下は、キーパーが触れる直前で左にパスを出した。
「来てるんだろ!大下!!」
竹下はキーパーと接触して倒れこみながら、左を確認する。
そこにはちゃんと大下がいた。
「ゴールの枠内に!枠内に!」
大下がそう意識して放ったシュートは余りにもゆっくりしたゴロ球だったが、大剛のキーパーもディフェンダー二人も間に合うことが出来なかった。
2-1
「シャーーー!!!!!!」
国巻のイレブンは大喜びである。
それはベンチも一緒だった。
「すっげー!竹下先輩!!」
「やったじゃん!」
控えのメンバーが大喜びする中、南部だけは凍りついていた。
「・・・監督・・・。」
「ん?どうした?」
「竹下先輩・・・今・・・【ゾーン】入ってるんです?」
「いや。あれは違うよ。」
「本当に?」
「あぁ、入ってないさ。」
「だって・・・でないと【有り得ない】でしょ。」
「何がだ?」
「竹下先輩・・・今ボール貰った時からパスするまで一度も、大下先輩の位置・・・【確認してない】んですよ。」
これには若宮も反応する。
「どういうこと?南部くん。」
「一度も大下先輩がどこを走ってたのかを、見てなかった。竹下先輩はドリブルの最中。なのに・・・何であんなパスが出来たんです?絶対ゾーンの力でしょう?」
「違うよ。南部。」
「え?」
「竹下はな。元々【持ってた】んだ。そういう能力を。」
「・・・え??」
「竹下はコーナーキックからの得点が多いだろ。しかも混戦の中で。」
「・・・えぇ。」
「あれな。わかってんだよ。誰と誰が競り合って、何処にボールが転がっていくか。」
「いや・・・それは・・・無理でしょ。」
「無理だと思うだろ?でも、アイツはわかるんだよ。」
【俯瞰視点】という言葉がある。
自身の立ち位置や場所を上から見下ろすように見るのをそう言う。
校庭で人文字を作ったのを校舎の屋上から眺めるように、それは地上全体を掌握出来る力。
はっきりではないが、ボンヤリと竹下はそれを見ることが、希にあったのだ。彼は今回もそれを発揮したのだった。
「いつから・・・知ってたんです?」
「え?」
「いつから・・・竹下先輩がそういう能力持ってたって・・・わかったんです?」
「南部が入部する前にな。ウチのOBの滝沢が作ったチームと対戦したことがある。」
「あぁ!ありましたね!美津田監督になって初めにやった試合!」
若宮の言葉を無視するように、美津田は話を続けた。
「3-3の同点の時にな、高井がキーパーと1対1になってシュートしたんだ。でも弾かれた。その溢れ球に一番初めに反応したのが、あの日ボランチになった竹下だった。」
「それで?」
「アイツはわかってたんだ。坂田のロングパスの落下点から、高井は何とかトラップに成功するだろうって。そして高井のシュートとキーパーの角度から、どこに転がるかがわかってたんだよ。だから走り続けてシュートを放ったんだ。まぁ、その時のシュートは外したがな。」
「まさか・・・。偶然でしょ?」
「じゃあ、今のも偶然か?」
「・・・。」
「視野が広いって言われる選手がたまにいるだろ?」
「・・・はい。」
「だが、視野が広いことを評価される選手は、ごく一部だ。」
「???」
「その視野の広さを活かせるだけのパスセンスが無ければ、評価はされない。」
「・・・!」
「本当はもっといるんだよ。活かす方法を見つけられないで、実は竹下みたいにそれを持ってる奴は。」
「!!!!・・・。」
「黙っちゃったよ・・・。びっくりしたんだね。南部くん。」
若宮の推理は誤りである。南部が何も言葉が見つからなかったのは、竹下の能力に驚いたからでは無い。美津田がそれを見抜いていたことに驚いたのである。




