Act.71「決意の先」
※病気・医療・不妊治療・ドナー等に関する描写は現実と異なる場合がございます。
恐れ入りますが、予めご了承の上お読み頂けますよう宜しくお願い致します。
それから俺は、こっそりと病室を抜けだし、病院の屋上へと向かった。
白い病室の中にいると、どうにも辛くて堪らなかった。
外の空気でも吸って、ゆっくり考えたかった。
エレベーターを使い、屋上へと出た。
冷たい夜風が吹く中、俺は広い屋上の奥、エレベーターとは反対側にあるフェンスに手をかけ、空を見上げた。
病室から見えたのと同じ満月が、夜の闇空にぽっかり浮かんで見える。
その冷たくも穏やかな光を受けながら、俺はゆっくりと溜め息を漏らした。
――――千歳・・・・。
沙織の事で俺を脅迫して、揚句、あんな嘘まで吐いて。
そこまで俺を必要としていた彼女の心情を思うと、堪らなかった。
かつて、婚約者だったカヨが病に伏したあの時。俺はカヨを救う為、それまでろくに会った事さえ無かった祖父の跡を継ぎ、富士乃宮グループを支えて行く決意を固めた。
家柄。血筋・・・・。その鎖の前では、個人の意思や感情など無力なのだと、嫌になるくらい思い知らされた。
だけど俺は、あの時までは、確かにただの一般人だった。千歳とは、違う。
生まれながらに三城院の息女として育てられた千歳は、きっと、俺なんかより遥かに強く、上流階級の家に生まれた者の宿命に、縛られ続けて来たのだろう。
気丈で、美しい千歳が、ずっと隠して来たのだろう苦しみ、悲しみ、孤独・・・・。
『手に入れたかった!失いたくなかった!だって、初めてだったんです!わたくしに三城院の娘としての価値を求めなかった人は!』
必死に訴えた千歳の、悲しげなあの声と、瞳・・・。
それを思うと、どうしても彼女を責める気にはなれなかった。
空に浮かぶ月を見上げ、俺はもう一度ふぅと大きな溜め息を吐いた。
――――やっぱり、俺は・・・・。
決意を胸に、俺は屋上を後にした。
――――翌日。
俺は千歳に、大事な話があるから一緒に来てほしいとお願いし、沙織の病室を訪れていた。
「沙織。今日は、大事な話があるんだ」
まっすぐにこちらを見つめる沙織に、俺はゆっくりと言葉を続けた。
「・・・・ごめん。俺、もう――――」
そこまで言った時だった。
「待って下さい!一さん、そこから先はおっしゃらないで」
千歳に遮られた。
「千歳?何を・・・・」
千歳は沙織をまっすぐに見つめ、口を開いた。
「沙織さん、ごめんなさい!!」
突然、沙織に向かって千歳が頭を下げた。
「貴女に言った、一さんが貴女よりもわたくしを好きになって結婚したというあの話、本当は違うんですの!」
驚く沙織の目をまっすぐ見つめ、千歳は続けた。
「・・・・本当は、わたくしが無理矢理一さんを脅したんです。沙織さんが子供を堕胎された事を公表されたくなければ、わたくしと結婚するようにと。だから・・・・」
――――本当に一さんが好きなのは、沙織さんなんです。
そう言って、頭を下げた。
「やめて下さい!そんな、私なんかに頭を下げるなんて!!」
その声に千歳は顔をあげ、今度は俺をまっすぐ見つめて言った。
「一さん、ごめんなさい。わたくし、沙織さんの事で、あなたに隠していた事があるんです」
「沙織の事で?一体何を・・・・」
真剣な千歳の目に、俺は思わず構えた。
「全てお話ししますわ。もう、隠しごとはしたくありませんもの」
千歳の言葉に、沙織が突然叫んだ。
「ダメ!!言わないで下さい!!」
懇願するような沙織に、千歳はゆっくり彼女を見て言った。
「・・・・沙織さん、もう、隠さなくても宜しいでしょう?わたくし、一さんにも貴女にも、これ以上隠しごとはしたくありませんの。お願いします・・・・」
千歳の真剣な声に、沙織は黙り込み、やがて悲しそうな目で静かに頷いた。
「・・・・ありがとうございます。一さん、これから、本当の事をお話しします。あなたが御存じない、全てを・・・・」
そうして千歳は、ゆっくりと語り出したのだった。