Act.54「既視感-デジャ・ヴ-」
その日俺は、仕事が珍しく早く終わり、たまにはご飯でも作って待っていようかと、スーパーで食材を購入してアパートに帰って来た。
彼女の住むアパートは、ノスタルジックな昭和の風情漂う木造建築の2階建てだ。
駐車場に愛車のハイエースを停めて鍵を閉め、カンカンと鉄製の古い階段を登る。
食材の入ったビニール袋を手に提げ、2階にある彼女の部屋に向かう。
扉の前で預かっている合鍵を鍵穴に差し、ドアノブを回した時だった。
(ん?何だ?)
鍵は開けた筈なのに、何故かドアが開かない。おかしいと思い、もう一度鍵を差して回してみた。鍵はカチャリと音をたて、反対方向に回った。
(変だな。鍵、閉め忘れてたのか?)
不審に思いながらドアを開けた。
「――――――沙織っ!?」
見ると、彼女が室内の床にうずくまっていた!!
俺は思わずビニール袋を落とし、慌てて中に入って駆け寄った。
「沙織っ!どうしたんだ沙織っ!?」
彼女はお腹を押さえ、額に脂汗を浮かべながら弱々しく声を出した。
「・・・・お兄・・ちゃん、何・・で・・?」
仕事は?尋ねる彼女に、俺は矢継ぎ早に聞き返す。
「俺の事より、お前、どうしたんだ!?腹痛いのか!?」
「・・・・う・・ん・・。ちょっと・・・」
どう見てもちょっととは思えないその様子に、俺は問答無用で彼女を抱き抱えた。
「ちょっ・・・お兄ちゃん!?」
「いいから!このまま病院行くぞ!!」
大丈夫だからと遠慮する声を無視して、俺は彼女を強引に車へ乗せた。そのまま運転席へと回り、車を発進させる。
「・・・・ううっ・・・」
苦しそうに呻く彼女を横目に、なるべく衝撃が少ないよう気を付けながら、出来る限り急いで病院へと向かって車を走らせる。
夕方の少し混み始めた道路にイライラしながら、彼女の方を見やった。
「悪い、もう少し我慢出来るか?」
彼女は顔を上げ、苦しげに、それでもこちらを見て微笑んだ。
「・・・・うん。大丈・・夫・・・」
「ごめんな。もう少しで着くから」
辛そうな彼女の髪を撫でると、彼女はコクリと小さく頷いた。
やがて信号に引っかかっていた車の列が動き出し、俺は慌てて彼女から手を離してハンドルを握り直した。
「すいません!急患なんです!!」
病院に辿り着いた俺は、彼女の肩を抱いて支えながら、時間外受付の玄関のインターホンに向かって叫んだ。
『お待ち下さい』
インターホンが切れてガチャリと鍵が開いたやいなや、すぐさまドアを開けて中へ入る。
彼女が緊急処置室へと通されて診察を受けている間、俺は待合室の椅子で落ち着かない気持で待っていた。
不安が広がり、心臓をギュッと掴まれるような痛みを感じた。
覚えのある感覚だった。“あの時”もこんなふうに嫌な感じがした。
―――俺はまた失うのか!?
最悪の想像が頭をよぎり、懸命にそれを打ち消した。
沙織はカヨとは違う。きっと大丈夫だ。
言い聞かせるように反芻し、じっと待ち続けた。
やがて診察が終わって彼女が病室へ移され、俺は医師に説明を受ける為、カンファレンス室へと通された。
「久しぶりですね、笹宮さん」
何と、偶然にもその医師はあの時のカヨの担当医、高松先生だった。
「お久しぶりです、高松先生」
軽く会釈し、俺は先生の目をじっと見つめた。
「笹宮さん、単刀直入に聞きます。貴方は、樹本さんとどういう関係ですか?」
「婚約者、です」
俺の返答に、先生は何かを考えるように黙り込んだが、やがてスッと口を開いた。
「・・・・そうですか。笹宮さん、率直に言いましょう。樹本さんは、妊娠されてます」
「妊娠!本当ですか!?」
驚く俺に、先生は低い声で言葉を続けた。
「ええ。ですが・・・・・」
言葉を濁す先生に、俺は思わず声を荒げた。
「先生!はっきり言って下さい!」
「・・・・子宮外妊娠です」
――――――子宮外!?
「あの・・・・それは、つまり・・・・」
先生は静かに言葉を続けた。
「非常に残念ですが、このままでは母体も危険です」
――――――お子さんは諦めた方が良いでしょう。
無機質な白いカンファレンス室に、先生の静かな声が、重く響いていた。