Act.55「初雪」
高松医師の話を聞いた後、俺は彼女の病室へと向かった。
ドアの前で少しだけ躊躇う。
――――― しっかり、しないと。
気持ちを奮い立たせ、俺はドアを開け、中へと足を踏み出した。
「沙織、具合、どうだ?」
白いベッドの上、彼女は点滴を受けながら、苦しそうに顔を歪ませていた。
「・・・・ん・・・、大丈夫、さっきより、大分・・良い・・」
弱々しい声で答える彼女の姿に、俺は、ギュッと心臓を握りつぶされるような痛みを覚える。こんな光景を見るのは、やはり、辛い―――。
「・・・・沙織、辛いとこ、ごめんな。ちょっと話あるんだ」
「はな・・し・・?なぁに、おにい・・ちゃん・・・」
寝ている彼女に近寄り、その目をじっと見つめた。
彼女は額に脂汗を浮かべながら、それでもじっと俺の目を見つめ返した。
「・・・・子供の・・事なんだけど・・・」
躊躇いがちに口にした俺に、彼女の瞳が揺れた。
俺が何を言うつもりなのか、分かっているかのように。
「・・・・沙織・・・、残念だけど、今回は・・・あきらめよう・・・」
俺の言葉に、彼女はふぅと小さく溜め息を吐いた。
「・・・・わかってる。仕方、ないんだよね・・・」
うつむき、力なく言う彼女の手を握り、俺はゆっくりと口を開いた。
「・・・・沙織、頼む。分かってくれ。お前まで失ったら、俺は・・・・」
目の奥が熱くなり、声が震えた。“あの時”のカヨと沙織がダブって見えて、どうしようもないくらい、不安だった。
「・・・・頼む・・・・一人に・・しないでくれ・・・・」
彼女は弱々しいながらも俺の手を握り返し、もう一方の手で俺の頭を優しく撫でた。
「・・・・大丈夫。あたしは・・・大丈夫だから・・・・」
――――― 彼女が手術を受けたのは、その日の夜の事だった。
完全看護の病院で付き添いする事は許されず、麻酔から覚めない彼女を残したまま、俺は病室を後にした。
――――― 翌日。
退院して来た彼女は、俺に自分の部屋へ戻ってくれないかと言い出した。
「なあ沙織、俺と一緒に暮らすの、嫌になったのか?」
懇願するような問いかけに、彼女は静かに答えた。
「違うよ。ただ、しばらく一人になりたいだけ。お願いだから、今は、そっとしといてくれないかな」
その無機質な声に、遠い記憶が蘇った。
彼女が初めて俺の部屋に来た、あの、雨の日。
唐突に見せた、彼女のあの、無機質で、冷たい表情・・・・・・。
「沙織・・・・・・」
どうしていいか、分からない。
今彼女にこんな顔をさせているのは多分、俺だ・・・・。
結局俺は、荷物をまとめて部屋を後にした。
数か月ぶりに自分のマンションへ戻ったその時、外は酷く冷え込み、雪が降り出していた。
しんしんと降る、今年最初の雪を見ながら、俺は一人、彼女を想った。
あの木造の寒い部屋の中、彼女は今頃、一人泣いているのだろうか。
自分の無力さが嫌で、やりきれなかった。
守るどころか、俺は、彼女を傷付ける事しか出来なかった・・・・。
心まで凍てつきそうな、寒い、冬の日の事だった。




