Act.52「前進」
二人きりの別荘には、微かに波の音が響いていた。
カヨとの全てを語った俺を、沙織は呆然と見つめていた。
永遠のような静寂を破り、彼女は躊躇いがちに口を開いた。
「・・・・・・どうし・・て・・・・」
俺は静かに答えた。
「・・・・感染症だよ」
「・・・・・・感染・・症?」
淡々と言葉を続ける。
「ああ。白血病患者はさ、普通なら何でもない菌でも、増殖して、命に関わる事があるんだよ」
あれは、症状が落ち着いて一般病棟に移した矢先の出来事だった。
カヨを死に至らしめた菌は、常に人の身体に存在する無害な菌だった。
だけど、白血病にかかった患者には、通常は無害なそれさえ、有害となる。
常に存在する物だからこそ、無菌室でさえその増殖は防げない。
たとえ無菌室から出なくても、結果は多分同じだったろう。
「お兄ちゃん・・・・」
そっと、抱き寄せられた。
「泣かないで・・・・」
言われて初めて、自分が泣いている事に気付いた。
「・・・・・・・ごめんね。辛い事、思い出させて」
パタリ。
抱きしめられた背中に、滴が落ちた。
「・・・・・・ごめん。ごめんね・・・・」
パタパタと熱い滴を感じ、俺は優しく頭を撫でた。
「謝るな。俺が勝手に話しただけだ」
「でも・・・・」
瞬間、唇を塞いだ。
「んっ・・・・ふっ・・・・」
熱を帯びた声が漏れた。
そのまま歯列を割って中に入り、まだ微かにシャンパンの香りが残る口内を隅々まで蹂躙する。
「んんっ!ふっ・・・・んっ・・・・・!」
吐息が、身体が、熱を増していく。
甘い痺れに身を委ねる。熱を追いかけ、味わう事だけに集中する。
体中で彼女を感じる事で、俺は余計な思考を振り払った。
カヨはもういない。俺が今守りたいのは――――。
胸ポケットからそっと取り出した物を、スッと彼女の指に嵌め、唇を離した。
「・・・・・お兄ちゃん、これ・・・・」
指に光るソレを見て、彼女が驚きの表情を浮かべた。
「良かった。サイズ、合ってたみたいだな」
「そうじゃなくて!これ・・・・」
驚きの表情を浮かべる彼女に、俺はにっこりと微笑んだ。
「婚約指輪。外すなよ?お前が俺の物になるって印なんだから」
彼女の目元がじわりとにじみ、ボロボロと滴が零れた。
「ばか。泣くなよ。それとも、嬉しくないのか?」
彼女はふるふると首を振り、それからゆっくりと口を開いた。
「・・・・・・あたしで、いいの?」
顎を掴み、強引に唇を塞いだ。
「・・・・・んっ・・・ふっ・・・・」
歯列を割り、中へと侵入する。そのまま舌を絡めとり、ねっとりと味わう。
「ふっ・・・・・んんっ・・・・!」
熱い吐息が絡み合い、俺はようやくその唇を解放した。
「本気じゃなきゃ、こんな事しない。お前は嫌か?選べ。今なら引き返してやってもいい」
口の端をあげた俺に、彼女は小さく呟いた。
「・・・・・・嫌じゃ・・ない・・・・」
その答えを聞いた途端、俺は彼女の足をすくい、抱きかかえた。
「きゃっ!お兄ちゃん!?」
「ジタバタするな。返事した以上、今更ダメだとは言わせない。このまま、もらう」
ボッと顔を赤くした彼女をそのままお姫様だっこでベッドルームへ運び込んだ。
「きゃっ!」
スプリングが効いたベッドに受け止められ、小さく悲鳴をあげた彼女の上にかぶさり、すぐさま唇を塞いだ。
「・・・・んっ・・・・ふっ・・・・!」
吐息も身体も、もう十分すぎるくらい熱い。
離した唇から、つぅっとひと筋の糸がつたった。
紅く艶めかしいその唇に、俺はもう、歯止めが効かないほどの熱に支配されるのを感じた。
「・・・・悪い。手加減、してやれそうもない」
「やっ・・・・おにいちゃん!?」
逃げようと動いた彼女の手首を片手で押え付け、再び唇を塞いだ。
戻る気はもう、なかった―――。