Act.38「戦慄の時」
「そんな・・・・そんな事、母さんや父さんは何も・・・・」
掠れる声で言った俺に、彼は冷たさを含んだ声で言い放った。
「何も話していなかったか。君がこの会社に入って来ると分かった時、もしや私に血縁者として名乗り出るつもりなのかと思っていたが、そうではなかったのだな」
その低い声に、俺は思わず気圧され、しかし何とか声を出した。
「・・・・は、はい。俺がこの会社を選んだのは、まったくの偶然・・です。他意があっての事では・・ありません」
「そうか。時に笹宮君、今度発表される予定のあの新技術、君が発案し、プロジェクトリーダーを担当して来たそうだね」
急に声色を穏やかなものに変え、その顔に再び微笑みを浮かべた彼に、俺は戸惑いながらも懸命に気持ちを切り替え、真剣に答えた。
「・・・・はい。私が発案、指揮をとって参りました。もっとも、上司、先輩の方々に御尽力頂かなければ、ここまでこぎつける事は到底叶わなかったでしょうが」
「いや。周囲の力を得る事も一つの才だ。今度の新技術開発は、間違いなく君の力によるものだ。誇りを持っていい」
「あ、有難うございます!」
「もし何も力のないただの社員で終わるようなら、このまま名乗らずにいようかと思っていたが、あの技術を君が開発したとなれば話は別だ。あれはこの先、我が社に数億単位の利益を生む事だろう。よくやってくれた。これで君を、正式に次期社長として迎え入れる事が出来る」
その言葉に、俺は思わず耳を疑った。
「今、何と・・・・」
「ああ、君を、正式な私の後継として迎え入れようと言ったんだ。なに、心配はいらない。あの新技術を開発した君なら、経営陣も納得するだろう」
「そんな!私が会長の後継などと!!」
思わず声を荒げた俺に、彼は冷徹に言い放った。
「笹宮君。いや、一。お前は私の唯一人の孫だ。今この社を任せている森は馬鹿ではないが、ただの経営屋に過ぎん。技術屋としての仕事は二流だ。お前なら、私の技術を託し、この社の未来を委ねる事が出来る。私の言っている意味が、解るな?」
その言葉に、俺は現社長、森 郷悟氏の事を思い出した。
彼は留学先で経営博士号を取得してこの会社に入り、次々と新しい経済案を打ち出し、異例のスピードで大出世を遂げ、現在の社長職に就任したと聞く。
会長の懐刀、と目されている彼だったが、技術開発に関しては素人ではないにしろ、利益重視の経営屋、と陰口を叩かれる事も少なくない。
実際、彼が社長に就任してからの社は、利益こそあがっているものの、それは大幅な人員削減などの力押しが多い。
長年お客様との信頼を大切にして来た安心の技術を売りとしていた筈の社風は崩れ去り、近年では目先の利益ばかりを重視したコストパフォーマンスが目立つようになったと一部のマスコミにも叩かれているくらいだ。
「だからといって、私が彼を押しのけて社長になど!そんな馬鹿げた事・・・・」
「馬鹿げた事かどうかは私が決める。他の役員も、森よりは私の直系であるお前をと後押しする者もいるくらいだ。就任させる事は容易かろう。一、これは祖父ではなく、会長としての命令だ。お前が嫌だと言っても、いずれ時期を見て跡を継いで貰うぞ。話は以上だ。もう下がっていいぞ」
「そんな勝手な!俺はあんたが祖父だとさえ知らなかったのに、いきなり社長になれだなんて勝手すぎる!第一、母さんや父さんが死んだ時でさえ顔を見せなかったのに、今更肉親だなんて言われても、納得出来る訳ないでしょう!?」
思わず声を荒げた俺に、彼はその目に厳しい光を宿したまま低く言い放った。
「お前が何と言おうと、これはもう決定事項だ。来週の技術発表会に合わせてお前を時期社長として正式に発表する。それまでに身の回りを整えておけ」
「身の回りをって・・・・それは、どういう・・・・」
「決まっているだろう。一、お前は生産技術部の一般社員の女と交際しているそうだな。あんな女とはすぐに別れろ。お前には次期社長としてしかるべき相手と結婚して貰わねばならんからな」
あまりの事に、俺は一瞬言葉を失った。
カヨをあんな女呼ばわりした上、あろうことか、別れて他の女と結婚しろと、そう言ってるのか、この男は!!
「何を勝手な事を!!彼女は俺の大事な人だ!!絶対に別れたりしない!!彼女以外の女と結婚なんて願い下げだ!!」
怒りのあまり声が震えた。こんな理不尽な事、許してたまるか!!
「そうか。なら今すぐ会社を去れ。お前の開発した技術発表は他の者にやらせる事にしよう。お前ならと思ったが、見込み違いだったようだな。帰れ。今すぐこの部屋から出て行くがいい」
「言われなくてもそうするよ!あんたの顔なんか、もう見たくもない!!」
俺はそのまま入口へと踵を返し、乱暴にドアを閉めると早々にその場を立ち去った。
あんな男が会長で、しかも俺の実の祖父だなんて!!
信じられない、信じたくない。
腹立たしさでいっぱいになりながら、俺は足早に本社ビルを出たのだった。