Act.37「血縁」
「・・・・し、失礼します」
緊張した面持ちで中へ入って頭を下げると、室内にいた人物が声をかけて来た。
「顔を上げなさい」
おずおずと頭を上げると、目の前の大きなデスクに初老の男性が座っているのが目に入った。
「君が、笹宮 一君かね?」
「は、はい!」
思わず上ずった声で答えた俺に、その人は穏やかな笑みを浮かべた。
「そう緊張しなくてもいい。ここには私と君しかいない。秘書にはしばらく人を通すなと言ってある。ああ、もう少しこちらへ来てもらえるかね?」
「は、はい・・・・」
近寄り、その姿を間近で見て、俺は内心驚いた。以前見た会社の記録が正しければ、会長はもう70になろうかという年齢の筈だ。しかし、目の前の男性は、そんな年にはとても見えないほど若々しかった。
切れ長の目、威厳を感じさせる男らしい眉、通った鼻筋に、きりりとした口元。白髪の混じった髪はその豊かさを失う事なく後ろへと撫でつけられ、綺麗に整えられている。身に付けた濃紺のスーツは、恐らくどこかの高級ブランドの物なのだろう。パッと見ただけでも上質な素材である事が見て取れた。同色のネクタイはシルクのミックスタイだろう。光彩によって微妙に色を変えるそれは、高級感の中にキラリと光るセンスを感じさせた。
更に驚いたのはその風格だ。彼は、思わず無条件で平伏したくなるような気迫を放っていた。まるで幾多の戦場を勝ち抜いて来た歴戦の戦士のような、鋭く、激しい気迫。その顔には穏やかな笑みさえたたえられているにも関わらず、だ。
思わず冷や汗を流した俺の前で、彼はゆっくりと穏やかに口を開いた。
「こうして顔を合わせるのは初めてだね。笹宮君。私は君が入社した時から、いつかはこうして話をしたいと思っていたんだよ」
「え!?私と・・・・ですか?」
突然の言葉に驚く俺に、彼はなおも穏やかに言葉を続けた。
「ああ。君がこの会社に入って来ると分かった時、本当に驚いた。笹宮君、君の母の名は慶子というのだろう?」
「は、はい。そうですが、それが何か?」
「君は、慶子から聞いていなかったのかね?私の事を」
「会長の事を、ですか?いいえ、母は私が幼い頃、父と共に事故で亡くなりました。会長のお話は、残念ながら一度も母の口から聞いた事はございません」
「そうか・・・・・・」
呟くように言って、彼はその微笑みを表情から消し、何かを考えるように黙り込んだが、やがて決意したかのように再び口を開いた。
「慶子はな、私の実の娘だ」
「――――!?」
驚きのあまり、言葉が出なかった。
(今、会長は何と・・・・)
「もう30年近く前の事だ。慶子は旅行先の北海道で一人の男と知り合った。自動車の整備工場を営む、平凡な男だった」
静かに語る彼の声が、室内に響き渡る。俺は、聞いてはいけないような気がして思わず耳を塞ぎたい衝動に駆られながら、それでもじっと彼の声に耳を傾けていた。
「男の名は笹宮 一樹。あろうことか、慶子はその男と恋に堕ち、結婚したいと私に願い出た。許されないならば家を出る、と・・・・」
身体が震えた。彼が口にした名前、それは、俺の・・・・。
「そうして慶子は宣言どおり家を出た。以来、連絡一つとれず、そのままでいたが、ある時君がここに入社して来た。人事部から提出されて来た書類を見て驚いたよ。笹宮君、君はあの男、笹宮 一樹と、私の娘、慶子との間に生まれた、ただ一人の息子。そして、私の、孫だ・・・・・・」
稲妻のような衝撃が身体を走り抜けた。
「そんな、そんな事・・・・・・!」
にわかには信じがたい言葉に、俺は戸惑いを隠せなかった。
「信じられないのも無理はない。しかし、これは紛れもない事実だ。入社当時行った血液検査で、DNA鑑定も行わせて貰った。君は間違いなく、血を分けた私の、実の孫なんだよ」
二人きりの室内に、彼の静かな声が、重く響き渡っていた。




