第10話 ゲーミングハウス
【ゲーミングハウス】
eスポーツ選手が共同生活をしながら練習するための、住居兼練習拠点。チームによって運用は異なる。
*
午前11時台。
下の子たちを保育園へ送り届けたARAKIは、ARCANAのゲーミングハウスへ向かった。
対抗戦を経て特約が発効してから、初めて迎える通常練習日だった。
ゲーミングハウスを訪れるのは、ARCANA加入時の顔合わせ以来となる。
東京都西部の住宅街に建つ、築25年ほどの2階建て一軒家。
1階には練習部屋とリビング、キッチン。2階には、住み込みで活動する5人の個室がある。
彼らにとっては家であり、そのまま職場でもある。
対して、家庭を持つARAKIはここには住まない。公式戦は夜に行われることが多いため、通常の活動時間は12時から22時。ARAKIは、その時間に合わせて自宅から通うことになっていた。
チームから渡されていた鍵で玄関を開け、リビングへ入る。
ARAKI「……うお」
顔合わせで一度訪れた時から、決して片付いた家ではなかった。とはいえ、改めて見るとなかなかのものだ。
まずはテーブル。
ARAKI(飲みかけのペットボトル、菓子の袋……弁当容器もか。使い終わった割り箸に、洗ってないマグカップ。ギトギトした汚れまで……)
そして床。
ARAKI(誰のだ、この脱ぎっぱなしの服と靴下……丸めたティッシュ、コンビニの袋……何かのシミまである。あと、どこから伸びてるんだ、このケーブル達は!)
ARAKIは一瞬、迷った。
注意すべきか。
――まあ、今はいい。
今日は、新体制で初めて練習を始める日だ。
それより大切なことは山ほどある。
ARAKI「おはよう」
声をかけると、返事が飛んできた。
Pika「おはようございます、ARAKIさん!」
散らかったテーブルでは、2人が向かい合って食事をしている。
正面にいるのは、Topを担当する22歳の中国人選手、Pika。短いブリーチ金髪に、大柄で厚い体格の男だ。
その向かいには、Jungleを担当する20歳の韓国人選手、ZERO。ダークアッシュブラウンの髪に黒縁眼鏡をかけ、小柄で細身。Pikaと向かい合っていると、同じ競技のプロとは思えないほど身体の大きさが違った。
ZERO「ARAKIさんは既に食事を済ませたのですか?」
ARAKI「ああ、家で済ませてきたぞ」
Pika「さすが、準備万端ですネ!」
少し離れたところでは、もう1人がコーヒーを飲んでいた。
Midを担当する27歳のShadow。短い黒髪に、飾り気のないポロシャツ。
ARAKI「出勤前のサラリーマンにしか見えないな……」
Pika「Shadowさんは、元社畜ですからネ!」
Shadow「その単語をハイテンションで使う人は珍しいですよ」
顔合わせの時から、妙に落ち着いている男だとは思っていた。
周囲が熱くなっても、Shadowだけは一度状況を整理してから口を開く……会社員を経験していたと聞けば、少し合点がいく。
Shadow「そういえば、ARAKIさんは慣れそうですか?」
ARAKI「何がだ?」
Shadow「生活リズムです。今までとはガラリと変わるでしょう」
活動は12時に始まり、通常なら22時まで。
一般的な仕事と比べれば、随分と後ろへずれた生活になる。
ARAKI「試合が夜になるのはサッカーでも珍しくなかったからな。むしろ懐かしいくらいだ」
ZERO「そういえば凄い方でした、この人」
Shadow「これが世代差……いや、国籍差ですかね」
Pika「早くもこのチームに馴染んできた……素晴らしいことですヨ!」
そんなやり取りをしながら、ARAKIは何気なく壁の時計へ目を向けた。
もうすぐ12時になる。
ZEROとPikaは、もう食事を終えている。
Shadowに至っては、食後のコーヒーすら綺麗に飲み干していた。
だが、ここにいるのは3人だけだった。
ARAKI「……ところで、あと2人は?」
その問いに答えるように、2階から足音が聞こえてきた。
階段を降りてきたのは、ADCを担当する19歳のZark。鮮やかなピンク髪の細身で、まだ眠そうな顔をしている。
その後ろから、23歳のLemonが続く。これまではSupportだったが、新体制では状況に応じて複数のポジションを担う。長い黒髪に、中性的で整ったその顔は、寝起きによりむくんでいた。
Zark「おはよーっす」
Lemon「おはようございます……」
ARAKI「……おはよう」
2人はそのまま練習部屋へ向かう――かと思いきや、揃ってキッチンへ向かった。
Zarkがゼリー飲料を取り出し、Lemonも棚から、すぐに食べられる栄養補助食品を手に取る。
ARAKI「おい」
Zark「はい?」
ARAKI「お前ら、もしかしてさっき起きたのか?」
Zark「そうっすけど」
Lemon「すぐ食べ終わりますよ」
ARAKIは壁の時計を見た。
もう12時になる。
ARAKI「12時から全員で始めるんだろ? なのに12時直前に起きるのは――」
ZERO「異議あり!」
声が飛んできた。
ARAKI「……なんだ」
ZERO「あなたは無職の間、毎朝きちんと起きていました?」
ARAKIの言葉が止まった。
ZERO「回答をお願いします」
ARAKI「……毎朝ではない」
Pika「おお、正直ですネ!」
Zark「じゃあ、セーフっすね」
ARAKI「……起きる時間はともかく! 12時には始められる状態にしておけ」
Lemon「はーい……」
Zark「うぃっす〜〜」
ARAKI「ったく……」
ほどなくしてZarkとLemonも食事を終え、6人が練習部屋に揃った。
練習部屋には、6台のゲーミングPCと6脚のゲーミングチェアが並んでいる。
機材だけは立派だが、その周りまで綺麗とは言い難い。
ただ、その中で一席だけが妙に綺麗だった。
ARAKIの加入に合わせて追加されたばかりの6台目。机にも椅子にも、まだ生活感がない。
ARAKI(……俺の席だけ別の部屋みたいだな)
ARAKIはホワイトボードの前に立つ。
ARAKI「黒のマーカーは?」
Pika「昨日までは、ここにありましたヨ」
Lemon「青ならありますよ。出ないけど」
ARAKI「……」
練習部屋も含め、この家の散らかりようは、改めて見ても酷い。
ARAKI(そういえば、キッチンにも洗われていない食器が山積みになっていたな……)
ARAKIは机の端を空け、かろうじてインクの出る別のマーカーを手に取る。
ARAKI(まあ、若い男が5人で暮らしてるんだ。こんなものか)
とはいえ、新体制の初日から生活のことまで口うるさく言うつもりはない。
まずは練習だ。
そういう話は、いずれすればいい。
ARAKIはマーカーの蓋を開け、本題に入る。
ARAKI「始めるぞ。今日はまず、俺たちのことから確認する」
Zark「オレたちっすか?」
ARAKI「ああ。何が得意で、何が苦手か。俺はまだ、お前たちのことを全部知ってるわけじゃないからな」
対抗戦を経て、ARAKIの特約は発効した。
練習で何を直すか。試合で何を狙うか。
意見を全員から聞き、最後に方針を決めるのがARAKIの役目となる。
5人が順番に話し、ARAKIがそれを整理していく。
やがて最後に、Lemonの番になった。
ARAKI「お前は……全Roleできる分、整理しづらいな」
Lemon「褒めてます?」
Pika「食べたい物を聞いて『なんでもいい』と答えられた時の感覚ですネ!?」
ARAKI「まさしくそれだ」
笑いが起きる。
ARAKIは何とか情報整理を終えるとホワイトボードへ視線を戻した。
ARAKI「ともかく、これで6人が何をできるかは見えてきた」
ARAKIは5人へ向き直った。
ARAKI「試合中も同じだ。見えたことは全部言ってくれ。意見が割れたら、最後は俺が決める」
5人が頷く。
ARAKI「まずは、それを実際にやってみよう」
その後は、他チームとの非公開の練習試合――いわゆるスクリムに入った。
この日の先発は、Lemon以外の5人。
当のLemonはその後ろから、試合全体を見る。
最初から、すべてが綺麗に噛み合ったわけではない。
ZERO「Jungle、Bot側です」
Zark「こっちは下がれます」
以前なら、そこからそれぞれが自分の判断を続けていた。
ARAKI「一度引く。今は仕掛けるな」
短い一言で、5人の動きが揃う。
それだけで、迷って止まる時間が減った。
試合の合間には、Lemonが気づいたことを拾っていく。
Lemon「声が重なって、ARAKIさんの指示がかき消される場面がありましたね」
Lemonはプレイしていない分、自分の操作や対面に意識を取られない。
誰が、いつ、何を伝えたのか。
その情報を受けて、他の4人がどう動いたのか。
じっくりと全体を見ながら、試合ごとに気づいた点を整理していく。
スクリムを重ねるうちに、その指摘も少しずつ減っていった。
そして、数試合を終えた頃。
Zark「……なんか、やりやすいっすね」
Shadow「ええ。迷う時間が減りました」
Lemonも、画面を見ながら頷いた。
Lemon「前季より、かなり揃ってきてます」
勝ったか負けたかではない。
座学で決めたことを、試合の中で実際に再現できている。
まだ初日。
既存のメンバーは、前季までとの違いを感じていた。
何を試すのかが分かっている。
終われば、できたこととできなかったことを確認し、情報が整理される。
ただ試合数を重ねていた頃とは違う、充実した時間が流れていた。
やがて、この日に予定していたスクリムを一通り終えた。
あとは全体を振り返る、最後のレビューを残すだけだ。
そんなところで、玄関の呼び鈴が鳴った。
ARAKI「誰だ?」
立ち上がって玄関へ向かい、扉を開ける。
そこに立っていたのは、ARAKIの妻、明美だった。
その傍らにはtakaと、保育園帰りの下の子たちもいる。
明美「これ」
差し出された袋を覗き、ARAKIは中身を見た。
ARAKI「……プロテイン」
明美「朝、忘れてたでしょ」
ARAKIは袋を受け取った。
ARAKI「ああ。わざわざ届けに来たのか?」
明美「今日は早めに上がれたから、保育園のお迎えのついで。貴之も行きたいって言うし」
明美「それに、せっかくだから、皆さんに挨拶くらいしておこうと思って」
taka「気になってたんだよね、パパの職場」
すると、対抗戦以来となる顔を見つけ、Zarkが練習部屋から玄関へ顔を出す。
Zark「お、takaじゃん!」
taka「どうも! 中、少し見てっていい? ゲーミングハウスってのがどういうのか、見てみたくて」
Zark「おお、いいぜ!」
あの時の刺々しさは、もうない。
ほかの選手たちも席を立ち、明美と子どもたちへ順に挨拶する。
明美もそれに応じながら、玄関からリビングへ足を踏み入れた。
そして。
止まった。
明美「……」
ARAKI「どうした?」
返事がない。
明美の視線が、床を這うケーブルから、テーブルの空き容器、椅子に掛けっぱなしの服、積み重なった弁当容器へと移っていく。
taka「……うわ、きたねえ」
明美がARAKIを見た。
明美「なに、これ?」
ARAKI「……」
明美「あなたね。キャプテンになったんでしょう?」
ARAKI「まあ……そうだな」
明美「しかも、この中で一番年上でしょう?」
ARAKI「いや、まあ。俺も少し前までは似たような生活だったから、気持ちは分からんでも――」
明美「関係ないでしょ」
ARAKI「……はい」
ARAKIはそれ以上の反論を諦めた。
Pika「ARAKIさんが急に子犬になりましたネ」
ZERO「家庭内での力関係が確認できました」
ARAKI「聞こえてるぞ」
明美は今度は、5人へ向き直った。
明美「ここ、みんなで使ってるんですよね?」
Zark「いや、これでも片付いてる方っす」
明美「これで?」
Zark「えーーっと……」
ZERO「ぼくの机は綺麗です」
明美「自分の机だけ綺麗なら、共有部分はどうでもいいの?」
Pika「ワタシは何度も、片付けるように言ってましたヨ!」
Shadow「私も以前は注意していたのですが……」
明美「貴方達も今は結局片付けてないって事でしょう」
…………
そんな時だった。
和田「おう、仲良くやっとるかー?」
玄関から、やけに陽気な声が響いた。
全員の視線が、そちらへ向く。
――ゲーミングハウスとARCANAの事務所は、徒歩15分ほど離れている。和田は時折、選手たちの様子を見にこちらへ顔を出していた。
新体制初日の今日も、スクリムが終わる頃を見計らって来たらしい。
和田「……ん?」
明美「チームの代表の和田さん、ですよね?」
和田「貴方は、確かARAKIさんの奥方ですな。いやはや、きちんとした挨拶が出来ておらず……」
明美「いえ、こちらこそ。いつも主人がお世話になっております」
ARAKI「和田さん……」
…………
和田「なんですかな、この空気は」
明美「和田さん。ここは選手の皆さんの家であると同時に、会社が用意している職場なんですよね?」
和田「ええ、まあ……その通りですな」
明美「こういう状態なのは、ご存じでした?」
和田「いや……まあ、選手の自主性を尊重しておりまして……」
明美「その自主性の結果が、これですか?」
和田「……返す言葉もありませんな……」
…………
明美は改めて、部屋にいる全員を見回した。
明美「貴方達、本気で優勝を目指すなら、片付けなさい!」
明美は、物の積まれたテーブルへ手を向けた。
明美「ここは家でもあるけど、職場でもあるんでしょう?」
明美「普通、練習コートは綺麗な状態で使って、使い終わったら掃除して帰るものです。プロなんでしょう!?」
サッカーの練習場で、空き容器や私物を放置したまま翌日の練習を始める。
そんな光景を想像して、ARAKIは何も言えなくなった。
道具が見つからない。足元にはケーブルが這っている。練習を始める前に、まず机を空けなければならない。
競技が違うだけで、やっていることは同じだった。
ARAKI「……片付けるか……」
Zark「今からっすか? 練習は……」
明美「今やらないで、いつやるの?」
Zark「はい……」
Lemonは何も言わず、先にゴミ袋と雑巾を取りに向かった。
それを見て、ほかの面々も動き出す。
床に置かれた物を拾い、空き容器をまとめ、テーブルを拭く。絡んだケーブルを整理し、椅子に掛けっぱなしだった服も持ち主の手へ戻っていく。
taka「弁当の容器、多すぎだろ。くっせえ〜」
ARAKI「お前はそこ触るな。汚いのは俺がやる」
和田まで袖をまくり、ARAKIと一緒に大きな物を動かした。
takaと下の子たちも、危なくない物だけを運んで手伝う。
人数だけは多い。
始めてしまえば、片付くのも早かった。
しばらくして、ようやく共有部分の片付けが終わった。
Zark「っしゃあ、終わった! じゃあこれで練習――」
明美「まだよ」
Zark「えっ」
…………
ARAKIは綺麗になった部屋を見回し、それから明美を見る。
目が合った。
ARAKI「……このままだと、また同じことになるって言いたいんだろ」
明美「分かってるじゃない」
ARAKI「ZERO、マーカー」
ZERO「黒、見つかりました」
ARAKI「今度から置き場所もキッチリ決めとこう」
ZERO「賛成です」
ARAKIは練習部屋からホワイトボードを引っ張り出し、リビングへ運ぶ。
ARAKI「まず、共有部分に私物を置きっぱなしにしない。食べ終わったら、食器と弁当の容器はすぐ片付ける……」
Zark「はい……」
その後も、再発防止のためのルールをいくつか決めていった。
明美がホワイトボードを眺める。
ARAKI「……合格か?」
明美「続けばね」
ARAKI「厳しいな……」
ひと通りのルールを決めたところで、ようやく一段落した。しかし、ここで問題が。
Shadow「もうこんな時間ですか……」
時計の針は18時を指していた。
ARCANAでは、17時から19時が休憩時間。夕食を用意し、19時までに食べ終えて夜の練習へ戻る――それがいつもの流れだった。
Pika「そういえば、今日は何も用意してませんヨ」
掃除ですっかり予定が狂っていた。
その声を聞いた長女の陽菜が、明美の袖を引く。
陽菜「おなかすいた〜お寿司食べたい〜」
taka「陽菜も掃除頑張ったもんな……出前取ろうぜ! 和田さん!」
和田「いやいや、ウチにはそんな贅沢をする余裕は――」
明美「あなたが奢ってあげたら?」
ARAKIを見る。
明美「キャプテン」
ARAKI「いや、なんで俺が――」
そこで、周囲の視線に気づいた。
Zark。
ZERO。
Pika。
Shadow。
Lemon。
誰も何も言わない。
ただ、期待だけは隠していなかった。
ARAKI「…………」
ARAKI「今夜だけだぞ!」
Zark「っしゃあ!」
Shadow「ありがとうございます、キャプテン」
Lemon「ごちそうさまです」
ARAKI「本当に今夜だけだからな!?」
結局、その場にいる全員分の寿司を注文することになった。
しばらくして届いた寿司桶を、綺麗になったリビングのテーブルへ並べる。
朝にはペットボトルや弁当容器が置かれていた場所だ。
今はもう、食事を邪魔する物は何もない。
選手も、代表も、荒木家も、同じテーブルを囲んだ。
Pika「やっぱり、綺麗なところで食べるご飯は、いつもより美味しいですネ!」
朝の有様を思えば、誰もその言葉には反論しなかった。




