第三話 転がり始めた
階段を上る足音は一定だった。ただ、頭の中だけはまだ店に残っていた。
SIGNATURE MODEL。
Unit 01。
押し切られた結論。
茂は小さく息を吐いた。カタログ写真は結局許可した。
バラクラバ。体型。光。角度。
そこまで弄るなら……
「……別に俺じゃなくてもいいだろ」
呟きは、空気に消えた。
ドアの前で鍵を回し開く。いつもの部屋の匂いがした。
「おかえり」
ユイだった。
ソファに浅く腰かけ、視線だけを先に動かす。
ユイの視線が、茂の手にある黒革のケースで止まった。
「……なにそれ」
茂は短く答えた。
「……貰った」
ユイが立ち上がり、近づいてくる。
視線がケースの表面を滑り、指先が革の縁に触れた。
黒革の光沢。細かな装飾。癖のある形。
ユイの目が細くなる。
「……これさ」
ユイの指が革の縁をなぞり、表面を滑って金具の上で止まる。
目つきが変わり、確かめるような触れ方になる。
「……これクロムハーツじゃない?」
茂は肩をわずかに揺らした。
「……違うだろ」
声には自信がなかった。
「多分そうだよ」
驚いているというより、面白がっている顔だった。
「詳しくないけどさ」
ユイはケースを持ち上げ、そのまま表面へ視線を落とした。
指先が銀の装飾をなぞる。
「お客でいるんだよね、やたら好きな人。こんな雰囲気だった」
茂は黙ったまま。
ユイはケースを見つめたまま、少しだけ目を細める。
「本物なら800万とかそれ以上するよ、たぶん」
茂は一瞬、黙った。
「……八百?」
数字を確かめるように繰り返す。
ユイは軽く頷いた。
「たしかそれくらい」
茂の視線がケースへ落ち、そのまま動かなくなる。
頭の中で並べても、どうにも噛み合わない。
槍が……九百万だろ。
ケースが八百万……?
茂はケースを見たまま、ゆっくり瞬きをした。小さく息を吐く。
……どうすんだよこれ。
カタログのモデル。
SIGNATURE MODEL。
Unit 01。
ホントに大丈夫なのか?
室内には、規則的な金属音が響いていた。
空のカートリッジを装填する。
チャンバーラッチを押し、フォアエンドを引く。
カシャン――
排莢。
間を置かず、次のカートリッジへ手を伸ばす。
同じ動作を、寸分違わず繰り返す。
刃には厚手のタオルが巻かれ、布越しに異様な輪郭だけが浮き上がっていた。
すでに、手を動かすのに思考は必要なかった。
ユイはソファに浅く腰掛け、最近買ったラップトップを膝に乗せていた。
画面にはメーカーのホームページ。黒を基調にした無機質なデザイン。
意味の分からない英語。
「……ふーん」
興味があるのかないのか分からない顔で、画面を眺めていた。
その時だった。
「……え?」
指の動きが止まり、視線が画面へ固定される。
「……ちょっと待って」
茂の手は止まらない。排莢音だけが変わらず部屋へ響き続ける。
ユイの目がわずかに見開いた。
「え、なにこれ」
笑いに近い吐息。
けれど視線は外れない。
「……茂」
そこで初めて、金属音が途切れた。
茂の手が止まり、ゆっくりと視線を上げる。
「なに」
ユイは答えなかった。ただ、ラップトップをそのまま向ける。
画面に映っていたのは、短い映像だった。
暗転――
閃光が視界を焼く。歪む視界の中、人影が槍を突き出す。
すべてがスローモーションのように引き延ばされ、画面は黒に沈む。
銀色のロゴが現れた。
VESPA SYSTEMS
ADVANCED INTERDICTION PLATFORM
映像はそこで途切れ、ユイが小さく息を漏らした。
「……これ。映画みたいなんだけど」
画面を見たまま、続ける。
「これさ、SNSの動画と動き違うんだけど」
ユイの指先が、トラックパッドの上で迷うように止まった。
「でも……」
少し間を置いて、顔を上げる。
「茂に見えるんだけど」




