009 腹は減れども高楊枝
キスされたり、唇を撫でられたせいだろうか。
あのあと、一人になっても、うまく寝付けず、ごろりと寝返りをうってはカイルの顔が浮かび、むううとうなりながら転がってはキスの感触を思い出しては唸った。
「好きでもないのに……くそぅ」
どう思うかと思い浮かべればムカムカするのに、自然と頭に浮かぶのが腹立たしい。
「これのせいかな」
首をカリカリとひっかく。
魔法の首輪を思い出す。
魔術でできた首輪は指で触れることなく肌の感触だけが返ってくる。
「どうにかしてこれを外して逃げよう」
カイルにされた首絞めは本当に苦しかった。
国から離れればきっと大丈夫だと思うが、有効範囲がわからない以上、下手に逃げてずっと締まったら死んでしまう。
竜に戻って飛んで逃げるのは最終手段だ。
まずはまっとうに首輪を外して逃げる方法を考えなくては。
悶々としていたところから、逃げる方法を考えることに変わり、あれはどうか、これはどうかと考えているうちに、いつの間にかボクは眠りに落ちていた。
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「おい、いつまで寝ている。さっさと起きろ」
温かい陽気にぴよぴよと遠くに聞こえる鳥の声。
爽やかな風は優しく頬を撫ぜ、気持ちのよい朝だ。
だが、それも蹴破るように開くドアと、カイルの怒鳴り声が打ち壊す。
「んもう……うる…さいなぁ。ふわっ、おはよう、カイル」
ここが竜の村であればおはようと優しい笑顔と挨拶が返ってきただろうが……
「ぎゃうん!」
部屋にドンと置いてあった、シングルベットから蹴落とされる。
膝より高い位置からバツンと落ちて悲鳴が上がった。
むにゃむにゃと怪しかった意識はパッと覚醒した。
「随分なご挨拶だねっ!」
「いつまで惰眠を貪っている」
「ご飯と睡眠と入浴時間は貪れるだけ貪るタイプなのっ!」
食欲と同じく、シンシアは睡眠も満喫していた。
フカフカのベッドはとても愛おしい存在だ。
「なら寝ていろ。食事がいらないならな」
「キミを待ってたよ、カイル!」
たとえカイルが悪いやつでも、ご飯様には恨みはないのだ。
むしろ粗末にしたらボクこそ恨まれてしまう!
もし今自分が犬だったら尻尾をブンブン振っていただろう。
ふわりと鼻を誘うスープの香りにはボクも睡眠欲も勝てないのだ。
「はい」
湯気を立てる、焼きたてのロールパンにゴロゴロした具沢山のクラムチャウダー。
スクランブルエッグといっしょに並ぶベーコンはとても分厚く美味しそうでトレーを受け取るために手を伸ばす。
……ん?
「はい!!」
さっさとよこせとボクは手をグイグイ伸ばすのに、トレーは差し出されるどころか、ひゅっと遠ざけられると、何故か床に置かれた。
ふかふかな毛並みの絨毯に置かれる食事。
コイツ何してるとと首をかしげる。
「カイ……ル??」
「……さて、躾で大切なのは立場をわからせることだと俺は思う。今までとは違うということをわかってもらおうか。犬のように床で食べろ」
首輪をつけてもたいして変わっていないようだからな、という呟きはボクの耳をす通りしていく。
ごはん……
ごはんを、……躾に使うって??
シンシアは前世から気持ちが長く続かない人間で怒っていても一晩寝ればころっと忘れる都合の良さを持ち合わせていたが、唯一の例外があった。
食の恨みだ。
前世で兄にお小遣いで買ったケーキを食べられたときは一週間は口を聞かなかったし、謝る兄に行列のできる有名ケーキを買いに行かせてようやく許したのだ。
床に置かれた食事を見る。
この家の、心のこもった食事。暖かくて、感動したその気持ちが、蔑ろにされている!
――許すまじ。
呆然と立ち尽くしたシンシアに、「どうした? 食べないのか?」となぶるような言葉。
「あーん」
トレーを挟んで向かい側にいるカイルに向かって目をつむって口をはくっと開いた。
「なんのつもりだ」
「食べさせて」
「は?」
「犬は手を使わないよね。だから食べられない。食べさせて」
目を閉じているから相手の様子は分からないが、相当困惑しているのが感じられる。
「口で食えるだろう!」
「髪が邪魔で食べられないよ。あーん」
シンシアの銀の長い髪は頭を下に向けるとさらさらと体を滑ってゆく。
「くっ」
圧されるようにしてカイルがスプーンにクラムチャウダーをすくい上げると、ゆっくりとシンシアのプリンとした唇に近づけ――
「こんなことやってられるか!」
スプーンを皿に戻すと、飛ぶように部屋からでていった。
「ふふーん。逃げたからボクの勝ち」
抗っても、従ってもカイルを喜ばせただろう。
それに、もし本当に食事をさせたとしても、シンシアのために食事を運ぶ彼と、食べさせてもらう立場のシンシア。
一体どっちがどういう立場になるのか。
「勝利の調味料で今日もご飯が美味しいなあ」
床に置かれたトレーを持ち上げ、テーブルに乗せて食事をする。
できたてのご飯はいつもよりとても美味しく感じられたのだった。




