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蝦夷転生コンサル、松前藩の支配構造を現代知識で塗り替える――まずは実家の隙間風を何とかする  作者: 一月三日 五郎
第三章 松前編

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第87話:若松屋会談――売るものの違い

 宝暦十四年(一七六四年) 初夏 蝦夷地・松前


 あの『吸収合併』から一月。

 若松屋の再建は、止まることなく進んでいた。


 勘太は若松屋に入り浸り、

 俺と守屋は、笹の回収係を任されるようになった。


 若松屋から派遣されてきた売り子や調理担当がいる以上、

 俺たちのやることは、ほとんど残っていなかったからだ。


 勘太の読み通り、若松屋が弁当事業をやめたことで、

 握り飯目当ての客は、うちに押し寄せた。


 だが――


 値段を見て、踵を返す者も少なくはなかった。


 値下げしてはどうか。

 そう提案してみたが、勘太は首を縦に振らなかった。

 

「値段というのは、そんなに簡単に上げたり下げたりするものじゃありません。

 それに今は、競合もいない。

 ――なら、うちの値段が、そのまま市場の標準になります」


 淡々とした口調だった。


「だいたい、十文でも買っていくお客はいるじゃないですか」


 言われてみれば、その通りだった。


 実際、店には連日、少なくない客が訪れている。


 気になった俺は、客を捕まえて聞いてみた。


 なぜ、うちの握り飯を買うのか――


「うまいからだよ。それに、自分で作るのは面倒だしな」


「他に売っているところがないからな。

 ちょっと高いが、仕方ない」


「便利だからかな。仕事場に行く通り道なんだ」


 返ってきた答えは、てんでばらばらだった。


 だが――


 皆、それぞれに理由を持って買っている。


 その当たり前のことを、

 俺は見落としていたのかもしれない。


 客の声を聞くこと。


 俺はともかく、清二は茶屋の主だ。

 この程度のことに、気づかなかったのだろうか。


 ――聞いてみたい、と思った。


 背中の籠を背負い直し、店へ戻る。


 店の前には、列ができていた。


 だが――

 かつての若松屋のような、殺伐とした空気はない。


 次々に握り飯が渡され、

 流れは滞ることなく、静かに進んでいく。


 声を荒げる客もいなければ、

 頭を下げ続ける店主の姿もない。


 そこにあるのは、

 ただ、穏やかな賑わいだった。


「戻った。変わりなさそうだな」


 店主に短く声をかける。


「お帰りなさいませ。

 はい、おかげ様で、万事つつがなく回っております」


「そうか。ならいい。

 ……ちょっと、勘太のところに行ってくる」


「承知いたしました。こちらのことはお任せください」


「うむ。ではな」


 籠を下ろし、俺はその足で若松屋へ向かう。


 こちらとは違い、店の外に行列はない。


 だが――


 その店内に、

 別世界が広がっていることを、

 俺は知っていた。


---


 若松屋の店内はかつての趣を残しつつも様変わりしていた。


 まず目を引くのは、卓を覆う真白い布だ。

 すべての卓に掛けられている。

 布を卓に敷くなど、城内でもなければお目にかかれない贅沢だ。


  壁に目を向ければ、それらしく見える山水画と書が掛けられている。  

  真新しい床几しょうぎには、厚手の綿を詰めた座布団が置かれ、

  長居をしても良いのだという無言の誘惑を客に投げかけていた。


 何とも言い難い、見慣れぬ空間。

 だがそこには、明確な「ブランド」が窺えた。

 

「……なんだ、この匂いは」


 鼻腔を突くのは、砂糖が焦げる甘い香りと、それから――得体の知れない「油」の濃厚な香気だ。


 前に来た時から然程もたっていないのに、もう新しい料理が増えていた。


 店内には数組の客が入っていたが、彼らが口に運んでいるのは、

 うちで売っている塩握りとは似ても似つかない物だった。  

  

 蕎麦粉を薄く焼き上げ、黒々とした餡を包み込んだ、奇妙な菓子。  

 

 客たちはその表面に糖蜜で自分の名や縁起の良い言葉を書き込まれ、

 まるで子供のように見入っている。


「いや、これ、うまいな。この『甘味』、江戸では流行っているのか?」


「さあな。だが、いい値段するだけはある。ただの茶屋だと思ったが、別格だな」


「握り飯を売り始めたときは、もう終わりだと思ったが……

 なかなかどうして。ここの店主、先見の明がある」


「そうだな。合わないと見るや、すぐに休業して、

 こんな風に改装してしまうとはな」


「まったく、大したものだ」


「ああ。商会の寄り合いで話の種にせんとな」


「違いない」


 ――声の主は、いずれも整った身なりの者たちだった。


 客の層が、明らかに変わっている。

 

 荒っぽい港の男ではなく、絹の着物を着こなし、

 言葉の端に品を感じさせる城下の商人や、非番の役人たち。  

 

 彼らは十文の握り飯を求める兵士ではなく、

 己の虚栄心と好奇心を満たすために銭を払う観客だった。


「お帰りなさいませ、ご主人様」


 呆然と立ち尽くす俺の前に、

 小綺麗な前掛けを締めた給仕係の少女が歩み寄ってきた。


 流れるように、深く頭を下げる。


 だが、その所作はただの礼儀ではなかった。

 顔を上げた瞬間、視線がまっすぐこちらを捉える。


「お一人様でしょうか?」


「いや、俺はこの店の関係者だ。

 勘太と清二に話があって来た。

 通してもらうぞ」


「え、あ……はい。お疲れ様です」


 聞き慣れない言葉にわずかに引っかかりを覚えつつ、

 俺は給仕係を置き去りにして、奥の部屋へ入る。


 そこでは勘太と清二が、書付を広げて何やら話し込んでいた。


「いや、これはすごい。

 最初は半信半疑でしたが、ここまで利益が出るとは。

 完全に勢いを取り戻しましたよ、勘太さん」


「いえいえ、まだこれからですよ。

 『お江戸茶屋』の本領は、こんなものじゃありません」


「なんと、まだ秘策が。

 いやはや……勘太さんの発想には、ただただ感服するばかりです。


 これでは私など、抵抗できるはずもない。

 早々に降参して、お仲間にしていただいて正解でした」


「何を言うんですか。

 清二さんの実行力あってこその盛況ですよ。

 俺は、思いつきを少しお話ししただけです」


「いやいや、こんな突拍子もない案を思いつく者は、江戸にもおりませんよ。

 しかも実際に成果が出ている。

 それが、どれほど難しいことか……」


「なんのなんの」


 完全に、二人の空間だった。

 どうにも居心地が悪い。


 俺が入ってきたというのに、

 二人は一瞥すらくれず、そのまま話し込んでいる。


(……なぜ俺が、こんな気持ちにならなければならんのだ。

 だいたい、この店の改装資金を出したのは俺だぞ。

 少しくらい、筋を通してもいいんじゃないのか)


 言いたいことは山ほどあったが、口には出せなかった。


 清二に、自分のことは町人の子どもと思えと命じたのは、俺自身だ。

 いちいち、かしこまられては面倒だったからだ。


 勘太に至っては――

 そんな気遣いを期待するほうが間違っている。


「おい、勘太。少しいいか」


「ああ、道広様。お疲れ様です」


「お疲れ様です」


「……なんだ、その『お疲れ様です』というのは。

 別に、疲れてなどおらん」


 怪訝な顔をした俺を見て、勘太が口を開いた。


「すみません、店の接客用語です。

 最近ずっと、給仕係に指導していたもので、口癖になっていまして」


「はは、私もです。お恥ずかしい」


「……そうか」


 店の中だけで通じる、符丁のようなものか。


 何とも言えない疎外感が胸に残る。

 自分も関係者のはずなのに、

 自分だけが輪の外にいるような気がした。


 だいたい、清二など、ほんの少し前まで、

 うちの店を潰そうとしていたではないか。


 なぜ勘太は、そんな相手と、あそこまで親しげに振る舞えるのだ。


 敵ではない。

 自分が治めるべき民なのだ――

 そう言われたところで、

 最初に抱いた敵愾心が、簡単に消えるはずもない。


 ……それは、向こうも同じではないのか。


 首をくくろうかというほど追い込まれていながら、

 なぜ、その元凶と、平然と談笑できるのだ。

 

「それで、何の御用ですか。 あちらも順調でしょう?」


「ちょっと、清二に聞きたいことがあってな」


「わ、私にですか?」


「ああ。勘太は席を外してくれ。

 お前がいると、話しにくい」


「わかりました。では店の方に出ておりますので、用が済みましたらお声がけください」


 そう言い残し、勘太は店の方へと出ていった。


「あの……それで、私に話というのは」


 俺は、疑問に思っていたことを率直にぶつけた。


 なぜ弁当屋の真似をしたのか。

 やる前に、下調べをしようとは思わなかったのか。


 清二は、気まずそうに視線を落とした。


「真似したのは、儲かりそうだったからです。

 ――結果的には、儲かりませんでしたが。


 下調べについては、私の思い違いです。

 茶屋と弁当屋を、同じものだと思い込んでしまった。


 向かいの茶屋が握り飯を売って儲かっている。

 なら、同じ茶屋の自分が売っても、儲かるはずだと……」


「わからないのは、そこだ。

 同じ客商売だろう。


 勘太は、客が何を欲しているかを見極めずに動いたから失敗した、と言っていた。


 お前は茶屋の店主だ。

 それなのに、なぜ客の求めるものを見誤った」


「耳が痛いですね。

 おっしゃる通り、私は茶屋の店主です。


 うちに来る客が何を欲しているか――それは、当然わかっています。

 わからなければ、調べもします。


 ですが、私がわかっていたのは、

 茶屋に来て茶を飲む客の欲しているものだけでした。


 茶屋に、弁当を買いに来る客が、何を求めているのか――

 そこまでは、見ていなかった。


 私が見誤ったのは、そこです。

 ……いや――見落としていた、と言うべきでしょうか」


「茶はともかく、腹を満たすという点では同じだろう。

 ならば、安くてうまければよいではないか」


「はは、そこですよ。

 私も、まさにそう思い込んでしまった。


 ですが、違うのです。


 茶屋に来る客は、茶を飲み、団子をつまみ、

 連れと会話を楽しむ――

 そうした時間を過ごすために来ている。


 だから私は、少しでも居心地よくなるよう工夫してきました。


 ですが、弁当を求めて来る客は違う。

 いまここで食べるためではなく、

 あとで腹を満たすためのものを買いに来ている。


 味は二の次。値段は、安いに越したことはない。

 ですが、本質はそこではないのです。


 ――あの客たちは、時間を買っている。


 言われてみれば明白なことですが、

 私は、それに気づけなかった。


 まだまだです」


 ――自分で作るのは面倒だしな。


 ――他に売っているところがないからな。


 ――便利だからかな。


 客の声が、ふいに蘇る。


 あのときは、てんでばらばらに聞こえた。


 だが今は違う。


 清二の話を聞いた今、

 点と点だったものが、一本の線として繋がる。


「あいつは――勘太は、わかっていたんだろうな」


「ええ、そうですね。

 すべて、わかっていたと思いますよ。


 私は、彼ほど人の欲というものを理解している人を知りません。


 私の欲も、客の欲も利用して、

 自分の欲を満たす。


 本当に――恐ろしい人だ」


「それなら、なぜ、あんなに親しげにできるんだ。

 大体、憎くはないのか。恨めしくはないのか。

 騙されて、利用されたんだぞ」


「はは……それを道広様がおっしゃいますか。


 そうですね。そういう気持ちも、まったくないわけではありません。

 ……凡人ですから。


 ですが、真似したのも、失敗したのも、

 自分で決めてやったことです。


 誘導されたかもしれませんが、

 強制されたわけではない。


 ――自業自得、というやつです。


 ……そもそも、

 自分は相手を潰してやろうとさえ思っておいて、

 いざ自分が同じことをされたら相手を恨む――

 それでは、あまりにも都合がよすぎるでしょう」


「随分と潔いものだな。

 少しは根に持ってもいいと思うが」


「まあ、救われていなければ、恨んでいたかもしれません。


 ですが今は、こうして再建の手伝いまでしていただいている身ですから。


 ここまでしていただいて、恨み言を口にするなど――罰が当たります。


 ……商いをする者として、世間様に顔向けできませんよ」


「商人の矜持というわけか」


「はい。お武家様には、ご理解いただきにくい話かもしれませんが」


「理解できん。

 だが――そういうものだということは、わかった」


 清二の言葉で、胸の中に渦巻いていたもやもやが、わずかに晴れた気がした。


 聞きに来た甲斐はあった。


 守屋とも、勘太とも違う。


 こいつの言葉は、なぜか少しだけ、素直に聞き入れられた。


「……まだ、何かございますか?」


「……どうすれば、あいつと腹を割って話せる」


「は……話せて、いないのですか?」


「ああ。

 いつも肝心なことは、曖昧にしか答えん。


 ――何かを隠しているのはわかる。

 だが、尋ねてもはぐらかされるばかりで……いら立つ」


「そうですか。私にはいつも真摯に答えてくださいますが」


「だから知りたいのだ。

 どうすれば、奴の本心を聞き出せる」


「そうですね……。

 まだ付き合いの浅い私が申し上げるのも僭越ですが、


 勘太さんは、人を映す鏡のようなところがあります。


 相手が心を閉ざせば、それなりに。

 相手が踏み込めば、その分だけ。


 ――まずは、道広様のほうから心を開いてみては、いかがでしょう」


「心を開く?」


「はい。本音でぶつかるのです。

 そうすれば、あの方も本音で返してくださる――

 私は、そう思います」


「本音でぶつかる、か。

 俺にそんな真似ができるだろうか」


「ご身分を思えば、我々のような下々の者に心を開くなど、

 さぞご不快かと存じます。


 ですが、お望みをかなえるためには、

 やむを得ぬことかと」


「……参考になった。礼を言う」


「もったいなきお言葉」


「そう畏まらなくていい。

 ここでは俺は、ただの町民の子だ」


「はは……」


 ――本音でぶつかる、か。


 自分は嘘をついておきながら、

 相手には嘘をつくなと言う。


 確かに、都合がよすぎる。


 わずかに息を吐き、気持ちを整える。


 このままでは、あいつの本心には届かない。


 ――やるしかない。


「おい、勘太。屋敷に帰るぞ。話がある」


「なんですか、急に。……仕方ないな。

 清二さん、また明日来ます」


「はい。お気をつけて」


 店を出て、二人で屋敷へと向かう。


 初夏の日差しに、じわりと汗がにじむ。


 だが――

 これから話すことを思えば、それどころではない。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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