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第35話:冬の学び舎 ――知略の「かるた」――

「十二両」という圧倒的な黄金で大人たちを黙らせた勘太たち。

しかし、約束の期限デッドラインは刻一刻と迫ります。


最果ての地に訪れた、死の季節・冬。

大人たちが囲炉裏端で停滞を選ぶ中、勘太が仕掛けたのは「子供たちの脳」への猛烈な再投資でした。

 宝暦十一年(一七六一年) (初冬) 蝦夷地・宗谷


 ヒュウウ、と。  

 板の隙間から入り込む風が、笛のような音を鳴らした。  

 宗谷の冬が、ついにその牙を剥いたのだ。


 空は鉛色に塗りつぶされ、入り江の波は岩を削るように白く泡立っている。  

 この地において、冬は「停止」を意味する。

 

 大人たちは番屋に籠もり、蓄えを少しずつ削りながら、ただひたすら春の訪れを待つ。

 外での労働は死に直結する、停滞と忍耐の季節だ。


 だが、俺たちの「オフィス」――かつてのボロ小屋は、

 熾火おきびの熱気と子供たちの熱狂に包まれていた。


「――はいっ!」


 パシッ、と乾いた音が響く。  

 円形に並んだ子供たちの中心で、八歳の三吉さんきちが、誇らしげに一枚の木札を掲げた。


「……三吉、早いな。だが読み札は最後まで聞けよ。今は『塩』の札だぞ」


 俺が苦笑いしながら言うと、周りの子供たちから

 「あー!」「次は俺が取る!」と賑やかな声が上がる。


 冬のこの時期、俺たちは外での製造作業を一切止めている。  


 氷点下の海へ出るのは徳蔵さんたちの命に関わるし、

 何より凍てつく風の中では油の温度管理ができない。

 品質が命の「油煮」において、冬の無理な増産はブランドを傷つけるだけの愚策だ。


 だからこそ、俺はこの停滞期を「教育への投資」に充てることに決めた。  


 俺と鉄太てった朔弥さくやのリーダー三人は、

 選抜した十人ほどの年長組――三吉や慎也しんやたちを室内に集め、

 春に向けた「かるた研修」を行っていた。


 木札の表面には、文字の読めない子でもわかるように

 『カニ』『炎』『砂時計』といった絵が刻まれている。

 そして裏面には、その意味を示す大きな文字が記されていた。


「いいか、これはただの遊びじゃない。

 これを全部覚えれば、春になった時、お前たちは誰の指図も受けずに動けるようになる。

 ……それは、お前たちが誰にも縛られず、自分の腕で食っていけるようになるってことだ」


 俺の言葉に、子供たちの瞳に真剣な色が混じる。  

 かつて「効率」を求めて現場と衝突した朔弥も、

 今は読み札を手に、子供たちの正解率を帳面に細かく付けていた。


「……次はこれだ。『カニの身、夕焼けの色になったら……』」


「はいっ!」


 今度は鉄太が、誰よりも早く木札を叩いた。  

 九歳の現場リーダー。

 普段は怒号を飛ばす彼も、今は一人の「生徒」だ。

 不器用な指で『カニ』の札を握りしめ、ガキ大将のような笑みを浮かべている。


「……なあ、勘太。これ、面白いな。

 文字なんて一生縁がねぇと思ってたが、こうやって札を取り合ってると、

 勝手に頭に入ってきやがるぜ」


「そうだろう。文字が使えるようになれば、お前が現場に行けなくても、

 言いたいことをちゃんと伝えられる」


 鉄太は照れくさそうに鼻を鳴らし、再び真剣な目で次の札を狙い始めた。


(……これこそが、俺の狙いだ)


 一文字ずつ教え込むには、冬はあまりに短い。  

 だが、こうしてゲーム形式で「手順」を共有財産ナレッジに変えれば、

 習熟の個人差を楽しみながら埋めていける。  

 

 前世のコンサル時代、どんなに優れたマニュアルを作っても、現場が読まなければ意味がなかった。

 だが、「かるた」という遊びに変えた瞬間、それは最強の教育ツールへと進化した。


 俺は小さく息を吐き、膝の上の木簡を握りしめた。  

 これまで、肥料の開発も、大根のハッキングも、伊勢屋との取引も、

 前世の知略を総動員して全て予定より前倒しで片付けてきた。


 だが、「教育」だけは別だ。  

 作業の習熟には、どうしても個人差が生まれる。

 マニュアルでカバーできても、結局は全体の底上げが必要になる。  

 

 これまでの成果がどれほど鮮やかだったとしても、

 それを受け取る「人」が育っていなければ、それはただの一過性の奇跡に終わる。


(クソ、焦るな……。落ち着け)


 俺は自分を律するように目を閉じた。  

 

 窓の外では、地吹雪が窓を叩く音が、裁判の開廷を告げる槌音のように響いている。  

 鉄太の父・鉄造てつぞう、朔弥の父・徳也とくやとの約束の期限。

 あのデッドラインが、すぐ背後まで迫っている。


「……勘太。慎也たちの正解率、八割を超えたぞ」


 朔弥が、淡々と報告してくる。

 その帳面には、複式簿記の概念を応用した「教育進捗表」が刻まれていた。


「よし。次は、二枚の札を組み合わせて『不測の事態への対応』を覚えさせる。

 ……『火が強すぎた時』に取るべき札はどれか、といった風にな」


 俺たちは、炽火を囲んで議論を重ねる。  

 大人たちが番屋で時間を浪費し、ただ震えている間に、

 俺たちは「知識」という名の牙を研ぎ澄ませていた。  

 

 ただの労働者ではない。自律して動き、判断できる「職人」の集団。  

 それこそが、この宗谷の掟を塗り替えるための、俺の最強の武器になる。


「……勘太。一つ聞いてもいいか」


 鉄太が、手を止めて俺を見た。


「全部教えたら、俺たちの代わりはどんどん出てくるな。そしたら、俺たちは、どこへ行くんだ?」


 その問いに、俺は五歳の唇を歪めて笑った。


「決まってる。俺たちは、次の『仕組み』を作る場所へ行くんだよ。

 宗谷を食わせるだけじゃ足りない。この蝦夷地そのものを、俺たちのやり方で塗り替えるんだ」


 鉄太は一瞬、呆気に取られたように目を見開いたが、すぐに「……違いねぇ」と笑い飛ばした。


 冬の風が、再び小屋を揺らす。  

 だが、熾火のように静かに、だが強く、俺たちの意志は燃え続けていた。    

 俺が作ったこの仕組みは、この村に新しい秩序を植え付けてしまった。  

 それが希望となるか、あるいは大人たちとの決定的な決裂を招く火種となるか。


 初冬。  

 

 新しい時代の足音が、雪を踏みしめる音とともに、すぐそこまで来ていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


「かるたでマニュアルを覚えるなんて、勘太の知恵が光る!」

「冬の間に牙を研ぐ子供たちの姿にワクワクした!」


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