表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
江戸に転生したコンサル、最果ての地で「カニ」を売りまくって成り上がる。――捨てられるカニを黄金に変え、無能な幕府を経済で黙らせる  作者: 一月三日 五郎
第一章 宗谷編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/106

第28話:松前の審判 ――嘘をつかない男と、嘘のない美味――

勘太が徳蔵に託したのは、試供品。

狙うは、松前を代表する大問屋「伊勢屋」の主人・九兵衛です。

「売り物ではない。ただ食わせて、値を付けさせろ」

大人の常識を買い叩く、冷徹かつ大胆な「値踏み」の罠の行方は――。

 宝暦十一年(一七六一年) (晩春) 蝦夷地・松前

 

 松前の城下。

 西廻りの廻船がもたらす富と欲が渦巻くこの街の片隅に、大問屋「伊勢屋」の広大な屋敷がある。  


 その勝手口に、潮風に焼けた大男――徳蔵が立っていた。


「……徳蔵さん。今日は俵物ナマコの時期でもなけりゃ、昆布の納品でもないはずだが」  


 顔なじみの手代が、不審げに徳蔵を見た。


「ああ。……旦那に、どうしても見せなきゃならねえもんがある」  


 徳蔵の声は重く、一切の揺らぎがなかった。


 徳蔵は二十年、この伊勢屋に最高級のナマコや昆布を納め続けてきた。

 嵐の日でも納期を守り、一度たりとも粗悪品を混ぜたことはない。

 

 伊勢屋の主人・九兵衛にとって、徳蔵は「最も商才はないが、最も嘘をつかない男」として、

 特別な信頼を置く仕入れ先だった。


 その「嘘をつかない男」が、漁を休んでまで松前に現れ、真剣な眼差しで面会を求めている。  

 手代は徳蔵の気圧されるような雰囲気に、思わず奥へと足を進めた。


---


 通されたのは、香の匂いが微かに漂う奥座敷だった。  

 主人の九兵衛は、文机に肘をつき、徳蔵が差し出した小さな陶器の壺を眺めていた。


「……徳蔵さん。あんたが網を置いてまでここへ来るとはな。よほど、俺を驚かせる自信があるらしい」


「旦那。……ご承知の通り、私は口が達者ではございません。まずはこの壺の中身をお改めください」


 徳蔵は、震える手で壺の封を解いた。  

 

 瞬間、部屋の中に、これまで誰も嗅いだことのない「芳醇な磯の香」が爆発した。    

 

 九兵衛の鼻腔が動く。

 

 松前中の珍味を食い尽くしてきた老商人の瞳に、微かな驚きが宿った。  

 

 九兵衛はすぐには箸を手に取らなかった。

 傍らに控える若い手代に顎で合図を送る。

 

 手代は手際よく白磁の小皿を用意し、壺の中から黄金色の油に浸かった蟹の身を一房、恭しく移し替えた。


 窓から差し込む陽光に照らされ、蟹の身は宝石のような光沢を放っている。

 九兵衛は身を乗り出し、食い入るようにその「品」を観察した。


「……徳蔵さん。あんたの目は信じているが、俺の舌は伊勢屋の看板を背負っている。

 得体の知れぬものをいきなり飲み込むほど、俺は若くはないんでね」


 九兵衛の言葉は静かだが、そこには越えがたい商人の一線が引かれていた。

 松前の大問屋ともなれば、仕込まれた毒や、粗悪品による食当たりのリスクを警戒せねばならない。


 徳蔵は無言で頷くと、自ら箸を取り、小皿の端に添えられた蟹の身を迷わず口に放り込んだ。

 咀嚼し、ゆっくりと、だが力強く飲み込む。


「……良し。油のまわり、身の締まり。俺が宗谷で預かった時と、寸分も変わっちゃいねえ」


 徳蔵はさらに、壺の底に溜まった黄金色の油を指で掬い、それを自ら舐めてみせた。

 自らの命を担保に、この壺が「安全」であり、かつ「最高品質」であることを証明してみせたのだ。

 その覚悟に、九兵衛の目が細められた。


「……あんたがそこまで自信満々に毒味をしてみせるなら、毒を食らう覚悟も決めなきゃならんな」


 九兵衛はそこで初めて、自ら箸を伸ばした。 一切れの蟹の身を口に運ぶ。


 沈黙が、奥座敷を支配した。

 

 徳蔵は、自分の心臓の鼓動が、部屋の外の潮騒よりも大きく響いているように感じた。


「…………ほう」


 長い沈黙の後、九兵衛の口から漏れたのは、感嘆とも溜息ともつかぬ漏らし声だった。


「……驚いたな。カニの身は本来、火を通せば通すほどパサつき、旨味が抜ける。

 だがこれは違う。油が身の繊維一つ一つにまで浸透し、旨味を閉じ込めるどころか、増幅させている」


 九兵衛は、まるで高価な宝石を鑑定するように、壺の中の油を覗き込んだ。


「……徳蔵さん。あんたは二十年、俺に嘘をつかなかった。

 だが、この壺はあんた以上の雄弁さで俺に語りかけてくる」


 九兵衛は匙で油を掬い、今一度、舌の上で転がした。


「……油自体にカニの旨味が移って、なんとも味わい深い。

 ただの添え物ではなく、油自体の価値が高められている。

 ……徳蔵さん、これはただの珍しい食い物ではない。巧みに考えられた『美味』だ」


 九兵衛は、自らの勘が、この最果ての地でとんでもない金脈を掘り当てたことを確信した。


「……徳蔵さん」


九兵衛はゆっくりと壺の蓋を閉じた。


「これは、誰の知恵だ。

 こう言ってはなんだが――あんたのところに、こんなものを作る習わしはなかったはずだ」


奥座敷の空気が、ひやりと冷える。


徳蔵は一瞬だけ、視線を伏せた。


「……宗谷の、若い衆の思いつきでございます」


「若い衆、か」


九兵衛の目が細くなる。


「再現は利くのだな?」


「はい。ですが……手間がかかります」


九兵衛はふっと笑った。


「手間がかかる。

 ――それは真似しづらい、ということだな。

 いいだろう。

 一壺、一分いちぶ。これで全量預かろう」


 一分。


 徳蔵の脳内で勘定が弾ける。

 米一俵――一家が冬を越せる量。

 それが、この小さな壺一つに付いたのだ。


「一分……。旦那、よろしいので?」


「ああ。むしろ安いかもしれん。

 干し鮑や煎海鼠いりこに並ぶ、いや、それを凌ぐ看板になり得る。

 ……徳蔵さん、これは大きく動くぞ。」


 九兵衛は身を乗り出し、徳蔵を射抜くような視線で見つめた。


「ただし、条件がある。

 品質を落とすな。

 そして、出せるだけ持ってこい。

 十壺でも、百壺でも、私がすべて買い取る。

 ……徳蔵さん、お前さんの船いっぱいに積んで来い。」


「……心得ました」


 徳蔵は深く、深く頭を下げた。

 一分という値打。

 十壺、百壺という破格の要求。


 奥座敷を出た徳蔵の足取りは、いつになく軽かった。

 いや、興奮で地についていなかった。


(勘太……。お前さんの言った通りだ。

 大人が血眼になって獲物を追う横で、お前さんは『価値』を創り出しやがった。

 ……だがな、とんでもねえことになっちまったぞ)


 徳蔵は、すぐに自分の船へと戻り、船員たちに怒号を飛ばした。

 一刻も早く、あの最果ての地、宗谷へ戻らなければならない。

 この「黄金の報せ」を届けると同時に、

 あの六歳の化け物に、商いの荒波が動き出したことを伝えねばならないのだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


「嘘をつかない男」が持ってきた「嘘のない美味」。

この二つが重なった瞬間、最果ての地で捨てられていたカニが、黄金へと姿を変えました。


次回、この報せを携えて徳蔵が宗谷へ帰還します。


「徳蔵さんの覚悟が熱い!」「九兵衛との交渉に痺れた」と思っていただけたら、

ぜひブックマークや下の【☆☆☆☆☆】評価で応援をお願いします!執筆の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ