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蝦夷転生コンサル、松前藩の支配構造を現代知識で塗り替える――まずは実家の隙間風を何とかする  作者: 一月三日 五郎
第三章 松前編

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第95話:未来予想――お初が示した答え

 宝暦十四年(一七六四年) 晩夏 蝦夷地・松前


 勘太から渡されたのは、数枚の書付だった。


 そこには、緻密な図表と数字の羅列があった。  

 売上の推移、仕入れの変動。

 幾本もの線が交差し、紙の端へと伸びている。  

 

 「……これは何だ?」    

 

 低く問い返した俺の喉が、わずかに乾いていた。

 勘太は手元の筆を止めず、視線だけをこちらに向ける。


「とある呉服屋の帳簿の写しです。

 俺に再建を依頼してきた商家のうちの一つですね。

 名は伏せてありますが、数字はすべて本物です」

 

「帳簿の写しだと……?」


「はい、数年前から最近までの売り上げと借金の増減を図と表で表したものです。

 お初の家の帳簿も大差ない状況だと思いますので、妥当な内容だと思いますよ」


「そうなのか?」


「同じような考えの者が同じような商売をするのです。

 差があっても知れてます。遠からず同じ状況になりますよ」


「そういうものか……」


「そういうものです。そうなりたくなければ、変わるしかない」


勘太の声は淡々としていた。


「……随分と、容赦がないな」


「商人は現実でしか動きませんから。優しい言葉より、確実に効きますよ」


 言い放つ勘太には、躊躇のかけらもなかった。  

 

 この書付は、単なる分析資料ではない。  

 

 相手が築き上げてきた誇りも安寧も、一息に切り刻むための設計図だ。  

 

 そして、その引き金を引く役目が、俺に回ってきた。


 俺は無意識のうちに、書付を握る手に力を込めていた。


---


 勘太の冷徹な指示を胸に、俺は再び呉服屋の暖簾をくぐった。


 暖簾をくぐると、昨日と同じ空気がそこにあった。

 磨き込まれた床。

 整った品。

 

 ――そして、動かぬ意志。


「……道広様。昨日も申し上げた通り、お初をあの塾へ戻すつもりは――」


 店主――お初の父親が、慇懃ながらも頑なな態度で俺を迎え入れた。  

 俺は何も言わず、勘太の書付をその場に置いた。


「……これは?」


「お前と同じ、旧態依然とした『慎ましさ』を娘に強いた商家の、末路だ」


 俺は書付を指差した。


「この店の娘も、お前と同じように『おなごに商いの裏側など不要』と育てられた。

 結果はどうだ?」

 

 自分でも分かるほど、声が冷える。

 指先で数字をなぞりながら、言葉を重ねた。


「帳簿は御用商人と番頭の言いなり。

 上前をはねられて身代を吸われ、気づいた時には空っぽだ。

 ――女に裏は不要、と教えた結果がこれだ」


 店主の肩が、わずかに震えるのが見えた。


「松前塾で教えている『理』があれば、どこで誰が掠め取っているか見抜けた。

 相手の腹を読む術があれば、夫に諌言もできたはずだ」


 畳み掛ける。

 勘太の数字に、俺の言葉を重ねていく。


「お前が娘に望んでいる『慎ましさ』は、今の松前では単なる『無知』と同義だ。

 無知な主人は、狼の中に放り込まれた羊と同じ。

 ……この後、お前が隠居した時、お前がお初に残せるのは、

 名前だけの看板と、返しようのない借金だけだ」


「そ、そんなはずは……! 私は、あの子を思って……」


「思っているのなら、武器を与えろ」


 俺の声が、静まり返った店内に響いた。


「お前が『芸事まがい』と蔑んだあの舞も、遊びも、

 すべては戦場あきないで立ち回るための武器、必要な備えだ。

 あの子が塾で学んでいるのは、お前やこの店を守るための『牙』なのだぞ」


 店主は書付を睨みつけるように見つめる。

 だが――やがて、ゆっくりと首を横に振った。

 

「……それでも、娘に芸事の真似をさせるわけには参りませぬ」


 ――頑なだな。

 だが、ここまでは想定通りだ。


「ならば、試せ」


 自分でも少し驚くほど、すんなりと言葉が出た。


「今から来る客の接客を、お初に任せろ」


「な……何を仰いますか」


「もし、お初がお前の期待を裏切るような醜態を晒せば、俺も二度と塾のことは言わぬ。

 だが、もしお初が客を満足させ、商いをまとめて見せたら……塾の有用性を認めてもらいたい」


 主人はしばらく迷っていたが、俺の真剣な眼差しに押され、一度だけという条件付きで。


---


 ほどなくして、暖簾の向こうに人影が差した。


「ごめんくださいませ」


 身なりの良い婦人が、女中を伴って店へ入る。

 女中は半歩後ろに下がり、静かに頭を下げた。


 主人が前に出ようとするのを、俺は手で制し、お初を前へ出す。


 お初が一瞬だけこちらを見る。

 息を吸い、背筋を伸ばす。


「い、いらっしゃいませ。……本日はお暑うございますね」


 わずかに噛むが、そのまま口を閉じて呼吸を整える。


「……まあ、可愛らしいお嬢さんね」


「ありがとうございます。

 奥様のそのお召し物、夏の雨上がりの空のような色で……とてもよくお似合いでございます」


 婦人は袖口をつまみ、少しだけ照れたように笑った。


「まあ……そんなふうに言われたのは初めてだわ。

 ただ……今日は、もう少しよそゆきの席にも出られるものを探しているの」


 俺は口を挟まず、そのまま様子を見る。


「さようでございますか。でしたら、今お召しのものにも合わせられる品をお持ちいたします」


 お初は一礼し、帯を数点並べる。婦人が一つ手に取り、女中と目を合わせた。


「……これはどうかしら」


 女中が少し身を寄せる。


「奥様のお召し物にはよく合いますが……お集まりの場では、やや控えめに映るやもしれません」


 お初は頷き、一歩引いて別の帯に手を伸ばした。


「……はい。でしたら、こちらはいかがでしょう」


 差し出された帯に、婦人の手が止まる。


「……あら」


 女中も覗き込み、目を細める。


「こちらは、華やかさを添えつつも、落ち着きを損なわぬ品にございます」


 婦人は帯を軽く撫で、しばらく眺めた。


「……良いわね」


「織りも確かでございます」


 女中が小さく頷く。


 婦人は帯を持ったまま少し考え、


「ただ……少し高いのではなくて?」


 と視線を上げた。


「はい。ですが、長くお使いになるのであれば、買い替えを重ねるより……」


 お初は言葉を切る。


 婦人が帯を見下ろし、女中がそっと耳元で囁いた。


「奥様、お手持ちのお着物にも合わせやすうございます」


 婦人が小さく息を吐く。


「……ええ、それいただくわ」


 お初が深く頭を下げた。


「ありがとうございます。すぐに、お包みいたします」


 女中が一度だけこちらを見て、すぐに視線を戻す。


 主人はその場に立ったまま、注文書とお初を交互に見ていた。


「……お初。お前、いつの間にあんな……」


「父上。教わったことを、試しただけです。

 相手に気持ちよく買ってもらうって……楽しいですね」


 主人は答えず、俺の差し出した書付を受け取る。


 目を落とし、紙をめくり、途中で手が止まる。

 

 もう一度、最初から追い直す。


 お初を見る。

 

 書付を見る。

 

 唇がわずかに動いた。


「……たまたま上手くいっただけだ。

 しかし、これは……」


 低く言い、紙を握る指に力を込める。


 やがて、主人はゆっくりと頭を下げた。


「……負け、でございますな」


 顔を上げぬまま続ける。


「浅はかでした。

 ……明日からまた、お初をよろしくお願いいたします」


 店主が頭を下げると、お初は一瞬だけ戸惑ったように父の顔を見た。


「……お父様」


「……すまなかったな」


 短く、それだけだった。だが、その声音は先ほどまでとは明らかに違っていた。


 お初は小さく頷き、ゆっくりと俺の方へ向き直る。


「……道広様」


「見事だったな」


 俺がそう言うと、お初は少しだけ目を伏せた。


「……最初、途中で噛んでしまいましたし……手も、少し震えておりました」


「それでも、最後まで崩れなかった。上出来だ」


 俺はお初の肩を軽く叩く。


「結果は出た。十分だ」


 お初は、そこでようやく小さく息を吐いた。


「……はい。ですが、次はもっとうまくやりたいと思います」


「ほう」


 今の結果に、満足している様子はなかった。


 俺は思わず口の端を上げる。


「欲が出てきたな」


「……はい。商売って楽しいものですね」


 お初は、まっすぐにそう答えた。


 もう、不安げに俯いてはいない。

 目の奥に、はっきりと火が灯っていた。


「やる気があるのはいい。

 だが、次に店に立つのは、もう少し仕事を覚えてからだ。

 初めてであれだけ客の相手ができたのは見事だが、商いはそれだけではない」


 店主は一度、言葉を切った。


「お前が勧めたあの帯は、相当に値が張る品だ。

 本来、そう易々と動く品ではない。

 下手をすれば、客に恥をかかせるところだったぞ」


 お初は、素直に頭を下げる。


「……はい」


「よくやった。だが、それとこれとは別だ。覚えておけ」


「はい!」


 はっきりとした声だった。


 背筋が伸び、視線がぶれない。


 さっきまで客に向けていたそれを、そのまま父親に向けている。


(……なるほどな)


 俺は内心で小さく息を吐いた。


 勘太の言葉が、ふと脳裏をよぎる。


(油断すれば、すぐに追いつかれる……か)


 俺は何も言わず、店の外へと足を向けた。


---


 屋敷に戻り、俺は勘太に一連の顛末を伝えた。


「……お前の言った通りになった」


 筆を走らせたまま、勘太はわずかに口元を歪める。


「商人ですから。利を見せれば、あとは勝手に動きますよ」


 あまりにも当然のように言い放つ。


 その声音には、驚きも達成感もない。

 ただ、手順通りに事が進んだというだけの、乾いた響きだった。


 ふと、庭へ目をやる。


 お初たちは何事もなかったかのように笑い合っている。

 あれが、自分たちの行く末を左右する出来事だったことなど、

 全く気づいていない。


(……そうか)


 胸の内で、小さく何かが落ちた。


 父親の反発も、説得も、あの場のやり取りも――

 すべてが、あいつの用意した筋書きだった。

 そんな気がした。


 理を与え、選択肢を狭め、最後に自分で決めたと思わせる。


 誰も強制されてはいない。

 だが、気が付けば、あいつの狙った場所に辿り着いている。


 この学び舎は、ただ人を育てているのではない。

 皆をあいつの望む方へと導いている。


「……性質が悪いな」


 ぽつりと漏らすと、勘太は肩をすくめた。


「効率がいい、と言っていただきたいですね」


 悪びれた様子もなく言い切ると、再び筆を走らせる。


 さらさらと紙を擦る音が、やけに耳に残った。


 それはまるで、この先の筋書きを書いているように思えた。


---


「さて――次は道広様の番ですね」


 勘太は、頃合いを見計らったように口を開いた。


「……なんの話だ」


「なにって、お父上との対面ですよ」


「対面、だと?」


 思わず眉をひそめる。


「謹慎を言い渡されてから、もうじき半年になります。

 そろそろ、ご様子をうかがいに行ってもよろしい頃合いかと」


「うむ……しかし、父上からは何も――」


「声がかかるまで待つおつもりで?」


 言葉を遮られ、口ごもる。


「……それは、そうだが……その、心の準備というものがだな」


「お初には何の打ち合わせもせず、いきなり客前に立たせておいて、ご自身は心の準備ですか」


 淡々とした声音だった。


 だが、逃げ場はない。


「何を子どもみたいなことを言ってるんですか。

 そんなもの、いくら待ってもできはしませんよ。

 当たって砕けろです」


「いや、砕けるのは困るのだが……」


「でしたら、なおさらです」


 ぴしゃりと言い切る。


「守屋様に取り次ぎを頼みます。

 あちらもお忙しい身です。

 その間に覚悟を決めてください」


 それだけ言うと、勘太はさっさと席を立った。


 引き留める間もない。


「……何をどう話せばいいというのだ」


 思わず独りごちる。


 最後に顔を合わせた時のことが、脳裏によみがえった。


 怒声。叱責。――そして、謹慎。


 父の厳しい眼差しが、今も焼き付いている。


「……あとで勘太に相談するか」


 小さく息を吐く。


「なに、まだ時間はある。対策くらいは――」


 だが、その目論見は、あっさりと崩れた。


 守屋が謁見を申し入れたその日のうちに、返答があったのだ。


 ――すぐに来い。


「……はやすぎるだろうが」


 思わず呟く。


「道広様」


 振り返ると、お初たちがこちらを見ていた。


(みっともない真似はできんな……)


 俺は一つ息を吐き、頷いた。


「……行ってくる」


 それ以上は言わず、踵を返す。


 向かう先は、城。


 どんな顔をすればよいのかもわからぬまま、俺は歩き出した。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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