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蝦夷転生コンサル、松前藩の支配構造を現代知識で塗り替える――まずは実家の隙間風を何とかする  作者: 一月三日 五郎
第三章 松前編

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第89話:待ち望んだ再会と感情の崩壊

 宝暦十四年(一七六四年) 初夏 蝦夷地・松前


 道広との、空虚なやり取りを終えた俺は、逃げるように若松屋へ戻った。


 裏口から清二のもとへ向かうが、そこに彼の姿はない。


(店の方か。何かトラブルでもあったか)


 嫌な予感を振り払うように、裏方の前掛けを締め、表へ出た。


---


 店内は活気に満ちていた。


 満席の客席。弾む談笑の声。色とりどりの皿。

 それは、再建の成功そのものだった。


(……いい傾向だ)


 経営者としての思考が、無意識に利益へと収束しかける。

 だがそれは、入口付近の清二の姿で途切れた。


 清二は少年と話していた。


 年は俺より少し上。

 身なりは質素だが、不思議なほど整っている。

 丁稚にしては少し髪が長いが、清潔感があった。


(求人か? いや、今は給仕を女子で固めるコンセプトだ。

 男子を入れるなら、また別の仕組みが必要になるが……)


「あの、勘太さん?」


 清二の声で、俺は現実に引き戻された。  

 少年がこちらを見て、わずかに笑った。


「ああ、すみません。少し考え事を。……それで、そちらの方は?」


「ええ、こちらは伊勢屋さんで手代てだいをされている方でして。

 うちの店で知り合いが働いているかもしれない、と訪ねてこられたのです」


 伊勢屋。

 松前の豪商。  

 その言葉が、俺の脳内の回路を激しく繋ぎ合わせる。


「お手数をおかけしました、ご主人。……どうやら、見つかったようだ」


 聞き覚えのある、涼やかで知性に満ちた声。  

 視界が、急激に熱を帯びる。

 

(だめだ。こらえろ。ここは店だ……)  


 喉が詰まり、言葉が出ない。


「……奥へどうぞ」


 清二が俺の様子から何かを察し気を利かせてくれた。


---


 奥の部屋に入り、襖が閉まる。

 

 「私は店にいます。用があるまで、誰も近づけさせません」  

 

 清二の気遣いに礼を言う余裕もなかった。


「なかなか、いい店じゃないか。……どこか懐かしい匂いがするな、勘太」


朔弥さくや!」


 もう、限界だった。  

 俺は恥も外聞もかなぐり捨て、朔弥に飛びついた。  

 冷徹なコンサルタントの仮面も、合理性も崩れ落ちる。


「なんで……なんでここにいるんだよ。

 伊勢屋で奉公してるはずだろ。

 簡単に抜けられるわけないのに。

 ……会いたかった。

 手代ってなんだよ、出世しすぎだろ……俺なんて、まだ何も……っ」


 自分でも何を言っているのか分からなかった。  

 

 緊張が一気に解けていく。


 背負っていたものが、音もなく崩れていく。 

 

 中身は大人でも、身体はまだ九歳なのだ。

 感情の昂ぶりを抑えられるほど脳が成熟していないのだから仕方ないはずだ。


「よしよし。久しぶりだな。背は伸びたみたいだが……中身は子供返りしたか?

 宗谷にいた頃は、もっと可愛げのない顔をしていただろ」


 朔弥の、余裕に満ちたにくらしい態度。

 それが何よりも愛おしかった。


「悪かったな、こっちにだって事情があるんだよ……!」


 一人で背負い込み、周囲から浮かないように子供を演じ、

 それでいて道広たちには隙を見せないように強気を崩さない。

 そんな澱んだ魔窟のような日々に、ようやく「透明な光」が差し込んだのだ。


「それにしても、よく来てくれたな」


「お前が呼んだんだろ。あのおみくじは何だ。……相変わらず、妙な仕掛けを考えやがって」


 朔弥は、楽しげに目を細めた。

 

「素人が作ったような粗い紙に、筆と墨じゃない、木炭のようなもので書かれた特有の筆跡。

 ……俺がいない間に、ずいぶんと手を広げているようじゃないか」


「わかるか……やっぱ、お前ならわかると思ったよ」


 俺が若松屋で撒き続けた鉛筆の「おみくじ」。

 それは朔弥という「相棒」を呼び出すための、世界で唯一の信号ビーコンだった。


「わかるさ。徳蔵さんからお前が来る話は聞いていたからな。

 会いに来ないと思っていれば、妙な手を使いやがって。

 変わってないようで安心したよ」


 なんという多幸感だろうか。  

 俺の中の空っぽになっていた器が急速に満たされていた。

 

---


 俺たちは互いに、隠し事も腹の読み合いもないまま、ただ近況を語り合っていた。


「そういえば鉄太はどうしてる。

 九兵衛の旦那の伝手で船に乗って、こっちに来てるんだろ?」


 もう一人の相棒の名を口にする。


「ああ。あいつもこっちに来てるよ。

 一緒に行こうと言ったんだけどな。

 『この辺の様子を見てからにしたい』って聞かなかった」


朔弥は少し肩をすくめた。


「お前に会いたがってたよ。

 船で行った色んな町の話をしてやるんだって、張り切ってた」


「あいつが……そんなことを」


 鉄太の顔を思い出し、胸の奥が少し熱くなった。

 言葉に詰まった俺を、朔弥が心配そうに見る。


「おいおい、大丈夫か。……そんなに、まいってたのかよ」


 袖で目元を拭う。


「……悪い。自分でも驚くほど、弱ってたみたいだ」


「無理もないか。俺には鉄太がいたが、お前はずっと一人だったんだからな」


 その言葉に、胸の奥がわずかに沈む。


 ――その時だった。


 襖の向こうから、清二の控えめな声が響いた。


「勘太さん、ちょっといいですか?」


 清二の声に、俺はもう一度目元を拭い、息を整えた。


 襖に手をかける。


「どうしました?」


「そちらの『連れ』の方が、店に来られていまして。……お通ししてもよろしいですか?」


「……ええ。お願いします」


 俺と朔弥が顔を見合わせる。


「噂をすれば……って奴だな」


「そうだな。あいつにしては早かったか」


 朔弥は肩をすくめる。


「珍しいもん見つけると、すぐふらふら寄っていくって、船の連中がよく愚痴ってたよ」


「はは、鉄太らしい」


 その言葉の直後だった。


 襖が勢いよく開く。


「よおっ、待たせたな」


 軽い声とともに、見覚えのある顔が飛び込んできた。

 

 日に焼けた頬。


 少し伸びた髪。


 そして――何も変わっていない目。


「久しぶりだな、勘太」


 鉄太は、まるで昨日別れたかのように笑っていた。


「……お前」


 言葉が続かなかった。


 さっきまで、落ち着いたと思っていたのに。


 次の瞬間には、身体が勝手に動いていた。


「勘太さんも普通の子供なんですね」


「あいつもいろいろ抱えてたみたいでね。

 これで少しは落ち着くといいが。


 ……いや、むしろ大変になるかもしれないな」


 二年越しの再会は、宗谷の海と同じ匂いがした。

  

---


 俺は店の調理場を借りて、親友たちに特製の温プリンをふるまった。


「うめえ、なんだこれ。

 豆腐みたいなのに甘いし、上にかかってるこの黒い蜜も、

 少ししょっぱくて苦みがあって……よくわかんねえけど、うめえ」


(いや、なんでそんなに食レポうまいんだよ。

 「わからん」って言いながら、やたら的確なんだが)


「確かに美味いな。

 材料は卵と砂糖……醤油と塩か。あとはわからんな。だが、美味い」


 朔弥は朔弥で、素材を分析してくる。


 料理人でもないのに、大体合っているあたりが恐ろしい。

 外食でも、しれっと原価を計算してそうだ。


「勘太さん、これは……すごい。

 売れますよ、これ。ええ、間違いなく……ああ……」


 清二さんに至っては、なぜか感極まって泣き出してしまった。


「いや、これ、実はまだ未完成なんだ。

 本当は冷やして食べるんだけど、今は設備がなくてさ」


 本当は冷たいプリンを出して、度肝を抜きたかった。

 だが、さすがに無理だった。


 茶碗蒸しをベースに甘めの味付けにして、温かいまま出すのが精一杯だ。

 ただ、クレープに使っていた糖蜜を流用してキャラメルもどきをかけたから、

 それなりにプリンらしくはなっているはずだ。


(しかし、これだけ喜んでくれるなら、作った甲斐があるな。

 ……客に売るのとは、また違う張り合いだ)


「未完成でこれかよ。信じらんねえな。

 ……でもやっぱ、勘太の飯は最高だわ。

 俺も船であちこち回ったけど、

 勘太の飯よりうまいもん、見たことねえ」


「そりゃ、言いすぎだろ」


「いやいや、ほんとだって。なあ、朔弥」


「ああ、それには同感だ。

 俺も松前に来てから、あちこち食べ歩いたし、

 九兵衛の旦那に勧められて、珍味と呼ばれるものもいくらか口にした。

 だが、お前の料理に勝るものは一つもなかった」


「ですよね! うちで出してる甘味も、全部勘太さんの考案なんです。

 いやあ、これは……松前どころか江戸でも通用しますよ」


 なんだか、すごく褒められて気恥ずかしい。

 嬉しくて、にやけるのが止まらない。

 こんな顔、道広に見られたら、威厳も何もあったものじゃない。


「まあ、気に入ってくれたならよかったよ。

 卵がもう少し安定して手に入れば、店にも出せるんだけどな」


「なんだ、卵か。

 なら、伝手を紹介しようか」


 朔弥が、こともなげに言う。


「お、さすがは将来有望な伊勢屋の手代さん。

 言うねえ」


「茶化すな、鉄太。こっちは真面目な話だ。

 ……というか、そういう用件で俺たちを集めたんだろ?」


「ああ、話が早くて助かる。

 言った通り、俺はいま道広様のために動いてる。

 で、資金集めと情報集めを兼ねて、茶屋の再建を手伝ってるってわけだ」


「俺は、お前が欲しい食材を手に入れるための伝手を紹介すればいいのか?」


「ああ。本当は直接やり取りできるのが一番なんだが、

 今それをやると、こっちが飲み込まれかねないからな」


「それは言えてる。それに、うちで扱ってるのは乾物や珍味がほとんどだからな。

 茶屋じゃ、そう引き合いも多くないだろう。茶葉はあるが、そっちは足りてるんだろ?」


「そうだな。あとで紙に書いて渡すよ。

 その中で、紹介してもらえそうなものがあれば頼みたい」


「わかった。任せとけ」


「なあなあ、俺は何をすればいいんだ?」


「鉄太には、寄港先で売られてるものの調査――『市場調査』を頼みたい」


「『市場調査』?」


「ああ。遠い町で、どんなものがいくらで売られてるか。

 それを、分かる範囲でいいから調べてほしいんだ」

 

「ふーん。宗谷で、どこに何があるか調べてたみたいな感じか?」


「ああ、そうだ。あれと同じだ」


「わかった。見て回ればいいんだな。

 任せとけ。俺もこの二年でだいぶ字が書けるようになったんだ」


「助かる。他所の相場を知りたいんだ。

 礼は必ずする。今はこんなのしか出せないけど」


 友人の好意に甘えるしかないのが、少し後ろめたい。

 清二には店の再建という形で返しているが、二人にはまだ何も渡せていない。


 そう思い、うつむく俺を横目に、二人はプリンを平らげる。


「ふう、食った食った。食ったからには、しっかり働かないとな、朔弥」


「そうだな。働かざる者食うべからず、だったか。鉄太」


 本当に、俺にはもったいないくらいいい奴らだ。

 こいつらとなら、なんだってできる気がする。


「……二人とも、恩に着る。

 次に会うときは、もっとすごいのを用意するからな」


「おお、楽しみにしてるぜ」


「まあ、そんなに気にするな。鉄太はともかく、俺の方は普段の仕事の片手間みたいなもんだ」


「俺だってそうさ」


「いや、お前、ちゃんとわかってるのか?

 いつ、どこで、何が、いくらで売ってたか――

 全部きっちり書かないとダメなんだぞ。


 こないだも、書き損じばかりで読めないって、絞られてただろ」


「あれは、あいつの指示が悪かっただけだ。

 今度はちゃんとやるさ」


 ああ、いいな。

 このやりとり。

 昔を思い出す。


「おい、勘太。

 また泣くんじゃないだろうな」


 しんみりしていた俺を見て、鉄太が茶化してきた。


「泣くわけないだろ。もう平気だ」


「そうか。なら、いい。

 俺はまたしばらくここを離れる。

 当分、顔は出せないからな」


 鉄太が、ふっと表情を引き締めて清二の方に向き直る。

 

「……清二さん、勘太のこと頼んでもいいですか」


「おい、鉄太。やめろ、何を言い出すんだ――」


「構いませんよ。

 鉄太さん、安心してください。

 勘太さんには、この清二がついております」


 どんと胸を叩く。


「いい人じゃないか、勘太。

 縁に恵まれたな」


 朔弥の言葉に、胸がチクリと痛む。

 ……ごめん。

 縁っていうか、わりと計画的に引っ張り込んだんだ。


「それなら安心だ。

 俺も心置きなく旅立てるってもんだな」


 鉄太が、俺の罪悪感を吹き飛ばすみたいに笑った。

 

 宗谷を出て三か月。

 

 胸の奥にこびりついてひっかかっていた重いものは、

 いつの間にか、すっかり軽くなっていた。

 

 ――そのとき。


 ドン、と壁を叩く音がした。


 続けて、ばたばたと足音が遠ざかる。


 俺は立ち上がり、襖を開けた。


 だが、誰の姿も見えなかった。


「……なんだ今の」


 小さく呟いて、襖を閉める。


 再び部屋に戻ると、さっきまでと変わらない談笑が続いていた。

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