第23話 黄泉路めぐり 前編
深夜にも関わらず、防災スピーカーが最大音量で避難指示をくり返していた。
『現在、駅前の検問所は、大変に混み合っていて、危険です。お年寄りや、障害をお持ちのかた、妊婦のかた、子供連れのかたしか通れません』
それ以外の避難者は駅から南北に延びる中央通りへ出て、市の南端にある学園まで向かうように呼びかけられている。
理由は『薬剤を散布するため』と説明されていた。
暴動については触れていないが、車の使用だけでなく、手荷物の禁止もくりかえし強調されている。
裕子たちは避難集団から百メートルほど先行して中町小学校を出ていた。
「いまだに『火災』のあつかい……?」
波佐間は仲間たちと連絡をとりあって指示を出しながら、裕子の副官のように付き従う。
「すべて『火災による有毒ガスの症状』と偽って封じたいのかもしれません。この人数を相手に通じる嘘とは思えませんが……なりふりかまっていられないようですね?」
縛られた元リーダーはねじったシャツで口をふさがれ、盾のように最前列を歩かされていた。
多くの怨みを買っていたせいで、貴之がつけた以外の傷もいつの間にか増えている。
裕子はジンヤの鈍い動作を心配していた。
睡眠がだんだんと深く長く、多くなっている。
異常な新陳代謝が弱まり、常人の生活へ近づける可能性にも思えた。
しかしまだこの封鎖線の中では、怪物としての身体能力がいつまた必要になるかもわからない。
久津井もふたたび不自然な眠気にとりつかれている。
民家の浴室で仮眠をとれたばかりのはずだった。
貴之がつきそい、まめに様子を見ている。
「手首の傷が異常に早くふさがったから、体に負担がかかっているのかな? あるいはバケヘビが、また別の変化をしている?」
コンビニから調達したカフェインの多い栄養剤を服用したが、どのくらい起きていられるかは予想しがたい。
波佐間は距離おいて追ってくる避難者たちをたびたび見回した。
「こう言ってはなんですが……ケガ人はオレたちがほとんど排除してしまいました。久津井さんが眠っても、バケヘビになる感染者は少ないのでは?」
「あれだけ避難者がいると、動く粘液が見えるだけでもパニックが起きるかもしれません。それにもし感染者が、避難移動をしないで家に残っていたら……」
裕子の表情は重い。
バケヘビが発生した南端の学園、森の入口、警察署、中町小学校……そのどこかで感染した者の一部が、自宅へもどっている可能性も低くない。
久津井が眠った途端、町中の思わぬ所からバケヘビが飛びだす危険もあった。
波佐間も周囲の狭い路地が気になってくる。
「避難住民を広い道路へ集めたのも、暴徒を見やすい位置へ出すだけではなく、見えない場所での感染を防ぐ意図もあるか……?」
「いずれにせよ優先されているのは封鎖線内の人命ではなく、外部の安全……あるいは事故の隠蔽かもしれません」
中町と南町を隔てる広い国道へ出て、裕子はふりかえった。
「町ごと焼却なんて、現実に可能なんですか?」
駅まで続く中央通りは見える限りに、膨大な避難住民が連なっている。
暴動を起こした中町小学校の避難者を先頭に、駅前で検査待ちをしていた避難者も後へ続いている。
中町小にいた避難者はおよそ二千人で、駅前も含めると数千人になりそうだった。
波佐間の顔は険しい。
「さすがに爆撃機を使うとは思えません。ただ……この先には化学工場や燃料タンクもあるので、火災事故の偽装なら不可能ではありません」
代表者たち以外には『最後の脱出機会』とぼやかして伝えている。
子供連れや老人は優先的に検問所から脱出できていたのがせめてもの救いだった。
貴之も裕子へ声をかける。
「まだ起きているのに、もう……」
微細な糸がいくつか、周囲の足元へ漂いはじめていた。
「貴之さん、ごめんなさい。わたし……そろそろ……」
久津井が倒れかけ、貴之が肩を貸す。
波佐間も反対側へ入ってかつぎ、仲間たちには周囲を警戒させた。
裕子は久津井が手首を切った時にも糸が噴き出したことを思い出す。
「睡眠をがまんしすぎて、体に負担がかかったせい?」
「ジンヤくんに頼んで、美咲さんだけ先へ運ぶのはどうかな?」
まだ周囲にバケヘビが出た様子はないが、貴之は小声になっていた。
「……いえ、このままで。まだ粘液は見えないし……」
裕子はさらに小声になって耳打ちする。
「……ジンヤと久津井さんは、避難者から見える位置のほうが安全かも」
貴之は驚く。
裕子は事故対処の指揮者である衿川に頼りながらも、信用性は冷徹に分けていた。
「衿川さんは必要と判断すれば、だまし討ちも『堂々と』できそうな人だから」
中央通りに面した喫茶店の引き戸が、ガタガタとゆれだす。
不意に開いて、ベシャリと人影が倒れこんだ。
「ハラ……ハラガ……」
裕子へ向けられた顔は目がつぶれて牙が伸び、皮膚がドロドロに溶けている。
「ジンヤ!」
巨体が動くより先に、波佐間が『なりかけバケヘビ』の眉間を撃ち抜いた。
仲間たちもすぐに駆け寄り、バットや工具で袋叩きにする。
弾力はあったが殴りつぶして動きを止められた。
貴之は久津井をかばって抱えたまま、自分の冷汗をぬぐってつぶやく。
「ずいぶんもろいな? 警察署で見た患者の症状に近いけど……これは首すら伸びてないし。腕や脚も崩れてない」
波佐間もうなずく。
「オレたちが学校を占拠する前にも何人か症状は出ましたが、似たような様子でした。校庭や職員室に出たバケヘビよりも、人間に近いままで……てっきり、久津井さんが離れていたおかげかと」
裕子は『人間に近い』残骸をじっと観察していた。
「それもありそうですが……感染した時期が早い患者ほど、体質の異常が劇的な傾向にあります。ジンヤの体調異常は一ヶ月前から。研究所職員の久津井さんも、かなり前に接触していた可能性があります」
裕子は喫茶店内の床も確認する。
「粘液が少ない……水分の補給を制限されても自滅しにくいように、新陳代謝を抑えた体質に変ってきている? その代わりに、あのでたらめな殺傷力や耐久性はなくなってきたのかも」
波佐間はだんだんと、不安そうな顔になる。
「もしかしてこいつは、治療できた可能性もあるんですかね? 話していたし……」
裕子は感情を抑えて観察しながら、小さく首をふる。
「そこまでは、わたしではなんとも……」
腕や脚は皮膚がただれているだけで、ほぼ人間のままだった。
頭部の変化はひどかったが、ジンヤの形状と比べれば、正気にもどれた可能性も感じる。
「……それと、衝動が異常なのに、思考力が残っている点は、いいことばかりでもないから気をつけないと」
学園で避難放送をしていた研究員が、もし獣のように暴れまわるだけだったら、被害はもっと少なく済んでそうだった。
銃声が響いたことで後続の避難住民がざわめいている。
波佐間は『なりかけバケヘビ』の残骸をなるべく隠しながら、仲間には避難を誘導させていた。
「移動は止めようがないし、時間もない。とにかく騒がせないように目を配ってくれ」
群衆は数十メートル先まで接近していた。
どこからかエンジン音が聞こえてくる。
車両は使用禁止になっているはずだったが、横道からノロノロと集配のワゴン車が群衆へ突っこみ、ガードレールに当たって止まった。
競歩程度の速さだったが、不意をつかれ、人が密集していたこともあって、中年男が轢かれて倒れている。
「バカが。こんな時に自分だけ車で逃げようとして……ん?」
波佐間は吐き捨てるように非難するだけだったが、裕子は駆け出していた。
「先に行ってください! ケガ人を診てから追います!」
波佐間はあわてて裕子を追う。
追いながら、ワゴン車の開いているドアに気がつき、さらにあせる。
裕子はケガを診るためにしゃがんでいた。
その背後のドアから、ドロドロにくずれかけた頭が這い出ようとしている。
「運転できる思考力だけ残っていたか!?」
叫ぶ波佐間を一瞬で追い抜かし、黒い巨体が飛びかかっていた。
殴られた運転手はドアにめりこんでつぶされ、ワゴン車まで横転する。
「ジンヤ、もどって!」
裕子は群衆の反応を心配して、早めに遠ざける。
中町小学校の避難住民は巨大怪物を遠目には見ていたが、一瞬に近づいて、目の前の車を半壊させた光景は衝撃的だった。
しかし裕子はつい、ジンヤを追う前に患者を診ようとする。
「どこか痛みますか?」
「だ、だいじょうぶ! ひねっただけ!」
「動かないでください。固定しておいたほうが……」
裕子は助け起こした患者と目が合う。
見覚えのある生えぎわの後退した頭と、小さな目の油顔。
「……おとうさん?」
中年男は驚いた顔で、やにわに裕子を押し倒す。
裕子はのしかかられて身動きできず、なにが起きているのかもわからない。
聴きなれない若い男の怒鳴り声がした。
「どけ!」
人の体をたたく音がする。
「ぐっ!? ……はおっ!?」
父のうめき声。轢かれて足を痛めているはずだった。
「裕子…………すまん」
金属バットの襲撃者から娘をかばって、上におおいかぶさっていた。




