第22話 鬼の祭 後編
裕子は家に入るなり家具を移動させて、窓や引き戸をふさいだ。
「あの人数が相手なら気休めだけど」
貴之の頭へ巻く包帯を探してきて、右目の状態を確かめる。
「大きく裂けたから出血がひどいけど、眼球はつぶれてないみたい」
「でも固めておいたほうが動きやすそうかな……あうっ……」
気がゆるんだせいか、貴之は思い出したように痛そうな表情を見せた。
手当てを終えた裕子は冷蔵庫をあさり、ジンヤに肉類を喰わせて休ませる。
入浴の準備をしてから、衣装ダンスや押入れもひっかきまわした。
「着替えは見つけたので、服を着たまま入ってください。貴之くんのぶんもあったので、いっしょに」
「えっ。あの、つきそいは藤沢さんのほうが……?」
貴之はからかわれているのかと思ったが、裕子は真顔だった。
「わたしだと、なにかあった時に声を抑えられるかどうか……それに緊張し続けたせいで、疲れがひどくて。これくらいの夜ふかしは、いつもなら平気なはずなのに」
「それなら……少し眠っておく? オレは傷が痛んで眠れそうにないし」
「ありがとう。それなら少しだけ。久津井さんも眠れそうなら、なるべく長く眠っておいてほしいので、衿川さんとの連絡をお願いします」
裕子は貴之に通信機を預け、操作を教えておく。
久津井はスカートスーツのまま湯船へ入った。
貴之はシャワーの角度を調整して、久津井の上半身全体へあてる。
透けて見えてしまった下着から目をそらし、湯船を背に座った。
濡れてもいいように、シャツとトランクスだけになっている。
裸足をのばせるだけでも気持ちよかった。
ケガさえなければ頭も洗いたい。
顔半分へ厚く巻いた包帯に、早くも血がにじみはじめている。
「貴之さん……なんでこんなにしてまで?」
久津井が背後から、そろりと首筋へ触れてきた。
「私へまとわりつく怪物のせいで友だちを失って、声も失うほどに怖い思いをしたのですよね?」
耳元で細い声にささやかれ、貴之は息を飲みこむ。
どうにか呼吸を落ち着かせて、照れた笑顔を見せた。
「年上の女性には失礼かもしれませんが……久津井さんて、ほうっておけないんですよ」
ちらとふりむくと、久津井は苦笑してうつむいていた。
「私は、怖がりだから……」
貴之は透けている胸元に気がついて、あわてて視線をもどす。
「優しいから、です」
「年上の私が言っては情けない気もしますが、貴之さんは頼もしいです……とても」
もう片方の手も抱きすがってきて、貴之の鼓動は早くなる。
浴室のドアは開けたままで、廊下が見えていた。
その何歩か先の居間では、裕子とジンヤが休んでいる。
「久津井さん……?」
「美咲という名前です」
濡れた両腕がからみつき、柔らかい感触が押しあてられる。
「美咲……さん……」
貴之は身動きできないまま、自分の両手を持て余した。
夜明けにはまだ遠い。
久津井が浴室にいた時間は数十分ほどだったが、顔色は良くなっていた。
家にあった明るい色のチュニックとスカートに着替えている。
貴之は汚れのひどかった制服をわざわざ着なおした。
裕子はそれを予期していたのか、汚れをおおまかに拭きとり、暖房にあてて乾かしてある。
三人は家にあったもので、簡単な食事を済ませた。
ジンヤは起きる気配がない。
裕子はたびたび様子を見ている。
「なにがあるかもわからないから、できれば朝まで眠らせたいけど……」
言葉の途中で、ガラスの割れる音が聞こえた。
カメラつきのインターホンで玄関前の様子を見ようとしたが、壊されている。
引き戸も壊され、ふさいでいた棚が倒された。
貴之は久津井を台所へ隠し、廊下で椅子をかまえながら通信機を操作する。
裕子はジンヤの背をたたいて起こそうとした。
男たちがなだれこみ、貴之は床へ押しつぶされ、通信機が踏み壊される。
「友木の息子をつかまえました!」
ジンヤを警戒している様子で、居間には誰も侵入してこない。
「連れていけ! 引きあげる!」
廊下の奥で、大柄な中年の長髪男が叫ぶ。
「なんで貴之くんを!?」
久津井が出てきてしまう。
貴之はなおも暴れ、抵抗していた。
「友木くんなら、殺してもバケモノに襲われないと思っている……?」
裕子はジンヤの背に隠れたまま、銃をかまえていた。
「なんだ? そのバケモノは動かないのか? それなら女たちも戦利品に……」
長髪男は居間の入口まで来て、ジンヤへ銃口を向ける。
「その声……あなたがリーダー?」
裕子も銃口を向けたが、長髪男の前へふたりの短髪男が立ちふさがって盾になってしまう。
久津井は包丁を持ち出していたが、刃先の方向に迷っていた。
「待って!?」
筋肉質な短髪男たちは表情を変えない。
大柄な長髪男は露骨に嘲笑する。
「そんなもの、女がふりまわしたって……」
久津井は貴之を凝視していた。
暴れて傷口が開いたのか、包帯の赤い染みが大きく広がっている。
久津井は包丁を自分の手首へ押し当てた。
「よく見て!」
力任せに引く。パタパタと血がこぼれ落ちた。
長髪男が眉をしかめる。
「わ、わたしが死ねば……」
久津井の息が荒く、思いつめた顔が震えていた。
「傷口が……?」
裕子の声で、久津井の手首へ視線が集まる。
微細な糸をいくつも噴き出していた。
「バケヘビの兆候……眠ってないのに!?」
貴之が叫ぶと、男たちはうろたえて後ずさる。
「てめえら腰ぬけか!? 騒がなきゃいいだけだ!」
長髪男の一喝で短髪男たちは踏みとどまった。
沈黙。
手首の深い傷は、血が止まりはじめていた。
そして糸もたれ下がるだけで、それ以上には増えなくなる。
「傷つけると、バケヘビが守ろうとする?」
裕子の言葉で、久津井はふたたび貴之へ目を向けた。
「それなら『こう』すれば……」
首の横、頚動脈へ刃を当てる。
「バケモノが一斉に、寄ってくるんですね?」
男たちがふたたびどよめいた。
長髪男もしばらくにらんでいたが、久津井の震える手元を見て、鼻で笑う。
久津井はひざもわななき、汗がひどい。
「できるわけがない、と思っていますか? 私は、すごい怖がりなんですよ……?」
長髪男はニヤニヤ顔で首をかしげる。
「今、貴之さんを失って生きられるほど、強くないんです!」
久津井の目は、貴之の顔だけを焼きつけていた。
「それならみんな、道連れに死んだほうがまし!」
長髪男はなおも嘲笑していたが、不意に顔をこわばらせる。
「おい待て……なんのつもりだ?」
背に銃口をつきつけられていた。
「撃てますよ。この町に残る全員の命と引き換えですから」
角刈りの男……波佐間だった。
無愛想な表情は緊張していたが、迷いは見えない。
長髪男は前の仲間ふたりへ目配せを送る。
どちらも気まずそうにふりむいた後、長髪男へ銃口を向けた。
長髪男は銃をもぎ取られ、後ろ手に縛られる。
「藤沢さん、もう一度、話し合いたいのですが……」
波佐間が頭を下げた。
裕子はジンヤがわずかに動きはじめた様子に気がつく。
「それなら一度、学校へ集まりませんか?」
中町小学校へ近づくと、肉や髪の焦げる悪臭が漂ってきた。
校庭の隅に、煙を上げる小山がいくつも積まれている。
「あれはまさか……死体?」
貴之は鼻を押さえ、胸のむかつきに耐える。
「負傷者はバケモノになるからと、リーダーが指示を出したので」
波佐間は苦しげにうつむいた。
裕子が怒りに震えている。
「あんなにたくさん……誰も殺す必要なんてなかったのに」
校舎の窓には人があふれていた。
波佐間の仲間が統制している様子で、ジンヤの巨体が見えてもざわめきは小さい。
リーダーだった長髪男は後ろ手に縛られて座らされ、波佐間が銃口を向ける。
間もなく二台の担架が運ばれてきた。
しばらくは貴之ですら、それが『なんなのか』わからなかった。
久津井が口を押さえて顔をそむけ、震えて泣きだす。
貴之は無表情に見つめ続けた。
「手当てはしたんだが……」
波佐間はうなだれ、ただ冷や汗を流す。
異常な回数、殴られ続けて腫れあがった顔は黒ずんだ青紫に変色していた。
裕子は人相もわからなくなったふたりの目を、そっと閉じる。
「貸して」
貴之は静かにつぶやき、波佐間の手から拳銃をもぎとる。
間もおかず、長髪男へ向けて引き金を何度も引いた。
近くにいた代表者たちが後ずさり、群衆からもどよめきが起こる。
弾は出ない。引き金が動かなかった。
「……安全装置か。はずしかた、知らないや」
声に感情は無く、銃を見つめる目も虚ろだった。
長髪男は冷汗を浮かべながら、薄ら笑いを見せる。
貴之は握った銃をふり上げていた。
目に感情はない。
加減なしに台尻をたたきつけ、ふり上げては殴りつけた。
何度も何度もくり返した。
久津井が背にすがりついて止め、波佐間も長髪男を蹴り倒して引き離す。
「宮武さんは自分の子供を亡くして、政府に逆らってでも真相をつきとめるつもりでいたのに……」
貴之の声は大きくないが、周囲のざわめきを小さくさせる。
「父さんは、みんなを治すために学校へ残ったのに……」
貴之はようやく、悲痛に顔をしかめた。
裕子は長髪男を冷たく見下ろす。
「あなたは最も効果的に犠牲者を増やした最悪の『バケモノ』だった」
長髪男は脂汗をかく。
一斉に怒りの視線が集まっていた。
「暴動さえなければ、今ごろほとんどの人は脱出できていたのに」
波佐間は通信機からの連絡に顔色を変える。
「……え!? ま、待ってください! 学生ふたりは無事です! すぐに代わります!」
とり乱した様子で裕子へ通信機を預けた。
「わたしは無事です。通信機を壊されましたが、束縛はされていません。今の『新しいリーダー』は、前のリーダーの時から協力的でした。信用したいと思いますが……」
返答を聞いていた裕子が眉をしかめ、くちびるをかむ。
「そうですか……急ぎます。ではまた」
校庭にはすでに、数十人の代表が集められていた。
「わたしから説明してもいいですか?」
裕子の確認へ、波佐間は重苦しい顔でうなずく。
「これからわたしたちは、夜明け前までに学園へ移動します」
淡々と言いきられ、代表者たちはざわめいた。
「え。あのバケモノが出た研究所へ……?」
波佐間はいらつきながら、手を大きくふって黙らせる。
裕子は感情を抑えて説明を続けた。
「間に合わなかった場合、町ごと焼かれます」




