表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人喰らい、人喰らえ  作者: 平井星人
市街編
21/27

第21話 鬼の祭 前編


 夜更けにも関わらず、水路ぞいの道路にひしめく住民は数百人か、それ以上か。

 すっかり囲まれていたが、十メートル以上は距離を空けていた。

 細身で背も高くない友木貴之ともきたかゆきは嫌そうにため息をつく。


久津井くついさん、だいじょうぶですか?」


 濡れた服で震える久津井は、無理に笑顔を見せた。


「眠くはありませんが、少し寒くて……」


「アタシ見たんだから!? その女の人がバケモノを出していたでしょ!?」


 感情的な叫び声がわりこんでくる。

 隣家の二階バルコニーから身を乗り出して、厚化粧の中年女がにらみつけていた。

 人だかりが一斉に騒ぎだし、どこからともなく物も投げはじめる。

 家の塀や水路のガードレールへ缶やペットボトルが当たるだけでなく、小石が標識をへこませていた。

 貴之は久津井を背にかばう。


「やめろ! この人がバケヘビを抑えているんだ! この人になにかあったら、封鎖線の中は全滅するぞ!?」


 罵声は止んだが、ぶあついざわめきは残った。

 実際は裕子たちにも、久津井が死んだ場合になにが起きるかはわからない。

 ほとんどハッタリだが、貴之はとっさに言いはった。


「この人が起きている間なら安全だ! 早く離れろ!」


 群衆が離れる様子はない。

 むしろじわじわと増えている。


「そいつをつぶせば、ぜんぶ終わんだろ!?」


「眠る前にやっちまえばいい!」


 無責任な大声が、ちらほらとあがっていた。


「人間ぶらないでよ! バケモノのくせに!」


 隣家のバルコニーからも、中年女がふたたび感情的に叫ぶ。

 直後、対岸からなにかが勢いよく飛んで来て、貴之の頭をはじいた。

 工具らしきものが地面でガツリと跳ねる。


「死ねよバケモノ!」


 群衆のどこからか、そんな罵声が聞こえた。

 貴之は右目を抑えてうずくまる。

 しかし投げつけられた凶器が金属製のハンマーだと気がつくと、無理にも立ち上がった。

 久津井の腕を引っぱり、強引に背へかばう。


「だいじょうぶ。直撃はしてない」


 短くつぶやいたが、右目は血でふさがっていた。

 生ぬるい感触が頬へ伝わる。

 右眉あたりの骨がひどく痛み、左目の視界もゆがんで明滅し、耳鳴りが止まらない。


「殺せ!」


「つぶせ!」


 群衆のどこからか罵声が増えはじめ、なにかが当たって跳ねる音、砕ける音も周囲へ次々と散らばる。

 怒鳴り声、野次……加減のない、残忍な敵意の豪雨だった。

 右目の血は襟元にまで入りこんでくる。


「……そんなに怖いかよ? 赤ん坊みたいに、敵味方も考えないでだだこねやがって……」


 貴之はまだ左目の焦点も定まらないまま、ボソボソと不機嫌につぶやく。

 久津井は貴之を見て背筋がぞくりとした。

 少年は苦痛も恐怖も見せないで、騒ぎ狂う暴徒を前に、ただ苛だっていた。


「そんなに死にたきゃ、オレから殺せ!」


 貴之がえ、喧騒がひるむ。

 ちらほらと罵声は出たが、後が続かない。

 銃声。

 貴之がふりかえる。

 裕子の銃ではなく、誰かが撃たれた様子もなかった。


「待て! 話がしたい!」


 背後の路地をふさいでいた集団から、ひとりの男が両手を上げて出てきた。

 筋肉質な体に角刈りで、軍服らしきズボンと長袖の黒シャツ、片手には真上へ向けた拳銃が握られている。


「オレからリーダーに話を通す」


 年齢は三十前後か、堅そうな顔に冷や汗を浮かべていた。

 その行く手には象のごとき巨大な怪物が直立して見下ろしている。

 怪物の隣にいる少女は銃声がした直後に銃口を向けていた。

 その目にはかすかな迷いも見えない。

 女性をかばっている少年は細身で背もそれほど高くなかったが、やはり表情に怯えが感じられない。

 武器も持たないで顔半分を血に染めたまま、獲物を見るような眼を向けてきた。


 角刈り男が水路ぞいの道へ姿を現すと、周囲は急に静まる。

 裕子は通信機へ入った連絡に耳を澄ましつつ、住民を観察した。

 子供や老人がいないだけで、群衆は年齢も性別も格好も統一感がない。

 しかし何人か、煽ったり抑えたりする役の者がまぎれているように感じた。


 裕子はしばらく黙って通信を聞いていたが、眼には暗さと鋭さがこもっている。

 騒ぎが低くなっていた中で、よく通る声が通信相手へ返答した。


「無実のかたを人質にとるような相手へ名乗る気はありません。ふたりは無事なのですか?」


 群衆は少女の異様な態度に驚く。


「人質のふたりも、わたしたちも、なにも知らなかった被害者です。この連絡を中継しているかたがこの事件の責任者ですから、そちらへ尋ねてください」


 裕子は大きくはっきりした声で、話し相手を突き放す。



 裕子の声だけどうにか届く距離で、人混みをそっとかきわけ、前へ出ようとする中年の男女がいた。


「裕子が……?」


「しっ、静かに……」


 裕子の母親が、生え際の後退した中年男を連れていた。


「袋だたきに殺されるくらいなら、皆殺しにしてでも生き残ります」


 人ごみの最前列へ近づくと、話の内容もはっきりと聞こえる。


「裕……子?」


 ふたりは驚いて目を丸くしながら、なんとか声を押し殺す。

 十五年間ずっと、自分たちで育ててきた娘のはずだった。

 今朝もいっしょに食事をして送り出した藤沢裕子のはずだった。


「あなたたちのために死ぬ義理はありません……脅しだと思いますか?」


 その娘が手をかざすと隣の巨大怪物が身がまえ、群衆をひるませる。


「彼なら数分もかかりません。そしてわたしは、迷いません」


 裕子の両親は絶句した。

 少女は銃口をゆっくりと、群衆すべてに向けてゆく。


「武器さえ十分なら、わたし自身の手でも……」


 そこで少女の言葉が途切れる。

 中年の夫婦と目が合った。

 両親と娘は、互いにゆっくりと目をそらす。


「……ち、ちがう。よく似ているけど、別人だよ……」


 父は独り言のように、力なくつぶやく。


「……よく考えてください」


 少女の冷えきった声は変わらない。

 ただその表情はさびしさを深めていた。



 裕子は通信機で話し続けながら、隣家へ視線を向ける。


「目の前にある家を借ります。バケヘビを抑えるために必要です。今すぐ襲うつもりがないなら、協力してください」


「ちょ、ちょっと、なに言ってんの!? わたしの家よ!?」


 バルコニーから身を乗り出していた厚化粧の中年女は、あわてて柵の影へ隠れた。


「あなたがバケモノ呼ばわりしたから、こちらの女性が殺されかけました。あなたの言葉は、この場の全員を殺したかけた責任があります」


「ほかの人も言ってたでしょ!? やめてよ! 来ないで! ほかへ行って!」


 隠れたまま、わめき続けている。

 裕子は表情も変えないで角刈り男へ視線を向けた。


「あの家のかたを連れて行ってもらえますか? わたしたちに敵意がある上、家の間取りを知っていますから、役に立つと思います」


 無愛想な角刈り男は、かすかに動揺を見せる。



 角刈り男の指示で、似たような格好の短髪男たちが集まり、わめき続ける中年女を引きずり出した。


「なんで!? 冗談じゃない! わたしはなにも……!」


 庭先には裕子たちが待っていた。

 中年女は追い立てられながら、にらんで毒づく。


「あんたらみたいに頭のおかしいガキどもなんか、さっさと……」


 しかし逆に目をのぞきこまれて、肩をすくませた。


「死ねばいい?」


 中年女は息をのみ、短髪男たちへすがるように逃げ出す。

 裕子は家の周囲へたかっている群衆にも冷たい視線を向けておいた。


「命を奪う気なら、奪われる覚悟もしておいて」


 短髪男たちと入れちがいに、裕子たちが庭へ入る。


「落ち着いて休めないので、包囲は二軒ほど離してください。バケヘビの前兆があれば連絡します。それまでは安全なはずなので、ほかのかたたちもなるべく休ませてあげてください」


 玄関には角刈り男だけが残っていた。


「……伝えておく」


「バケヘビへの対処や治療に関しては、人質にしているふたりの指示に従えば安全です」


 角刈り男がまたかすかに動揺を見せる。

 周囲にもざわめきが広がった。

 久津井にはその意味がよくわからない。

 貴之はうつむいた。


「全員、二軒先まで離れろ! 監視以外は避難所へもどれ!」


 角刈り男があわてたように怒鳴ると、短髪男たちも指揮をはじめ、群衆が散りはじめる。

 貴之は苦々しい表情で角刈り男をにらんだ。


「指示もできないほどいためつけられているか……すでに殺したか?」


 久津井は驚き、思わず口を押さえる。

 角刈り男は無愛想に黙っていたが、貴之の左目からは視線をそむけた。

 裕子も通信をきってから、角刈り男へ視線を向ける。


「あなたたちの『リーダー』ではなく、あなた自身に聞きたいことがあります」


 角刈り男の仲間たちは、住民の誘導で離れていた。


「あなたたちの『リーダー』は、どれくらい正しかったと思いますか?」


 角刈り男は短い眉をかすかにしかめる。


「答えなくてもいいです。でも、あなたたちが『リーダー』へ意見もできない状態なら……死者は最悪の数字になる可能性が高いです」


 角刈り男は黙ったまま視線を落とし、険しい顔になった。


「この災害の対策責任者は、この町の住民の命よりも優先しているものがあります」


 裕子の声は淡々と落ち着き、男の険しい顔には冷汗がにじむ。


「あなたたちが、あるいは、あなたひとりでもかまいませんから、生き残るために最も良い選択はなにか、慎重に考えてください」


 男は顔を上げられない。

 裕子は貴之たちをうながし、家に上がらせた。

 縁側の引き戸から体を押しこむジンヤを見届けると、裕子も背を向ける。


「あ、あの……」


 角刈り男は自分のズボンから財布をとりだしてあさる。


波佐間はざまと言います。一人身なんで、出せる人質もいませんが……身元だけでも」


 免許証を両手で差し出した。

 裕子は受け取らないで、男の苦しげな表情をじっと見つめる。


「ひとつだけ……頼まれてもらえませんか?」


 今までは決して出さなかった、不安まじりの声だった。

 男が視線を上げると、ひどくさびしげな少女の顔が見えた。



 波佐間と名乗った男は門を出ると、近くの電柱の横で足を止める。

 避難住民が一斉に引き返す中、電柱の陰から裕子の入った家を見ている中年夫婦がいた。


「あの……」


 波佐間が前を見たままボソリとつぶやくと、中年男があわてて頭を下げる。


「あ、すいません! すぐ、もどりますから!」


「いや、そうではなく……『もどろうとしない中年の夫婦』がいたら、伝えてほしいと言われまして」


「な、なんでしょうねえ? 人ちがいだと思いますよ?」


 中年男はぎこちなく会釈しながら妻を引っぱり、その場を離れようと急いだ。


「伝言は『今までありがとうございました』……それだけです」


 背を向けた中年夫婦の足が止まる。


「……そうですか。やっぱり人ちがいですよ。なんのことだか……」


 声がわなないていた。


「それなら、忘れてください」


「ええ、わかりました。すいませんねえ。じゃあ、これで……」


 震える中年女を引いて、肩を落とした後姿が歩み去る。


「違う……あれは違うよ。忘れよう……忘れるんだ」


 波佐間はまだ、顔を上げられない。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ