六十四 〜謀〜
そのとき周防国親サイド
群馬県山中。辛うじて車が通れる山道の奥の奥。針葉樹が密集する景色。その木々の間に嵌め込まれるように設置された仮設コンテナ。
フラットな屋根部分は迷彩柄のネットで覆われおり、上空からの露見を防止している。コンテナの周りには茶色のシートが被せられたものが並んでいる。
「諸君。計画は順調に推移している。苦労の連続だったが、ここまで辿り着けたのは紛れもなく君たちのおかげだ」
そのコンテナの内部。薄暗い照明に照らされながら周防国親が声を発した。作戦に参加する二十名ひとりひとりの顔をゆっくりと確認しながら周防は話を続ける。
「わたしも今年で七十六歳。一線を退いた老骨であり、箸すら重さを感じるこの頃だが。諸君らの力となれるよう微力ながら全力を尽くす所存だ」
その場にいるほぼ全員から、小さな笑いが漏れる。この白髪の老人がどれだけ規格外かを彼等は知っているからだ。
刀剣はおろか、弾丸すら笑って受け止めるような超常の存在がこの世にはいる。それらを苦もなく倒す武術を納め、古くから伝わる呪術にも精通し実用レベルで操る。
白いスーツに隠された鍛え抜かれた肉体は、古希を目前にして衰えることなく、その貫手は鉄をも穿つ。
白髪でなければ五十代半ばといっても通用する外見。そんな老人が自虐とも取れない冗談を飛ばすのだ。笑うなといわれても難しいだろう。
「……ふむ。緊張がほぐれたようでなにより。では映像を」
周防の合図でコンテナ内部の照明が完全に落ちる。天井に据付られたプロジェクターから光が発せられ壁掛けスクリーンに映像が映る。
「斎藤主任。状況の共有を」
「了解しましたマスター周防。対象は現在、日本、群馬県へ移動。遠藤八尋が発生させた異界に侵入し、向井良子と交戦中です」
斎藤と呼ばれた白衣を着る茶髪の女性は手元のコンソールを素早く操作しながら周防に答える。
「ドローンは問題なく動作しているようだな」
異界と呼ばれる位相の違う世界。その内部に入り、更には映像の送信までを可能にする機能を有したドローン。周防の知識とエクセルヒューマン社の技術の粋をあわせ集めて製作されたものだ。
そのサイズは拳大。飛翔音は僅かながらするものの、音の出る方向を制御する技術によって、十メートルも離れれば無音といってもいい音量に抑えられている。
光学迷彩機能も有しおり、近くで見れば違和感を感じるが、数メートル距離を離せば目視で気づくことは難しい程の性能だ。
「咒式も機械に馴染んでいるようで何より。相性は良いと睨んでいたがここまでとは」
このドローンの動力は咒式と呼ばれる非生命型のエネルギー体である。異界に侵入する機能はほぼこの咒式の能力による。
周防による咒式の式神化。エクセルヒューマン社による素子開発。ーー咒式が外部に発するエネルギーを利用可能なものに変換するーーこれらの達成により咒式の機械化を実現したのだ。
ただ熱はある程度発しており、熱感知であればドローンは簡単に発見されてしまう。
EIMの対応部隊は熱感知センサーも有しているとの情報を彼らは事前に入手済みである。
そのため今回は数百メートル離れた距離からの監視を実施し、戦闘が始まってからの異界侵入というプロセスを取ることでEIMの警戒網を潜り抜けた。
「介入のタイミングはいつ頃でしょうか」
「オーディンの解放段階は……ふむ、最終段階へ移行したか。遅くてもあと二十分以内といったところだな」
スクリーンに映されるローブをまとう少年、最終解放段階に至ったオーディンが、相対する向井良子に対して体当たりでの攻撃を開始した。
「……観測出来た数値をご覧ください」
斎藤主任がコンソールを操作しドローンが取得した計測値を画面に表示する。オーディンが攻撃を行った際の周辺の振動、気圧の変化、地形の変化などを数値化したものだ。
「さすがは最高神格だな。苦労して現界する条件を整えた甲斐があったというものだ」
数値を確認しながら周防は喜色を浮かべた。
どの数値も迫撃砲の砲弾が着弾した際に認められる数字に近い。あくまで余波を観測しての数値である。直撃となればどれほどとなるのか。
「彼女は一体、何者なのですか? いくらなんでもデタラメ過ぎます」
ごく当たり前に抱く感想が斎藤主任の口からこぼれる。
「高い下駄を履いているのだ。随分と高いが。しかし、それを履いて走れるというのは間違いなく彼女の才能……いや、容れ物としての定めか」
オーディンの放つ攻撃を全ていなし、かわし、すれ違いざまに攻撃を加える。向井良子が映像の中で躍動している。
相手は最高神格であり、放たれる一撃は山を削り海を割るといっても過言ではない。それを焦ることもなく捌ききるとは、どういった心理、精神構造であるのか。
周防の説明とドローンによる行動監視から、精霊の協力と配下の神格権能を駆使した綿密な戦闘プランで、予行演習も重ねた上での今の動きであることは知っていた斎藤主任だったが、それでもやはり信じられない。
「失敗すれば死ぬということを彼女はどう考えているのでしょうか」
「失敗しなければ良い。もしくは失敗しても死なないようにすれば良い」
周防は表情を変えずに即答した。それを聞いた斎藤主任は太めの眉を片方吊り上げた。
「……からかわれている。と、思いましたが、どうやら本当なんですね」
「いかにも。彼女の精神性は常人とは……いや、シンプルだと言ってもいい。皆それに引きずられる。だからこそ読める」
斎藤主任は頷いた。
EIMへのユニコーンについての情報流出。オーディンの素体の準備。スレイプニルの誘導。全ては周防の指示にるもので事態は順調に推移している。
全ては向井良子という人物の行動パターンを周防が予測し準備されたものだ。
遠藤八尋自身はユニコーンの捕獲に動くことは出来ない。調停者とは中立。人と神を繋ぐもの。自己の目的の為に神に近い霊獣を素材として扱うなどすればその資格を失う。
だがユニコーンの素材は目的の為にも手に入れたい筈だ。身近にそれを可能にする人材は彼女しかいない。そして彼女は遠藤八尋の頼みを断りはしない。たとえそれがトラウマを克服する必要があるとしても。
ここまでが斎藤主任が聞かされてきたプランだ。細かい修正は多々あったものの、ほぼ全てその通りに事態は推移した。
だがどうしても聞きたい事がある。今聞けば答えてくれるかもしれない。そう考えて斎藤主任は周防に問いかけた。
「お聞きしたい事がひとつあるのですが」
「どうして彼女が遠藤八尋の願いを聞くか、だろう? さて、なんと説明しようか……」
まるで質問内容を予期していたかのような速さで周防は応えたが、ふと天井を見上げ動きを止めた。
斎藤主任をはじめ他の人員も息を潜め、続きの言葉を待つ。空調とプロジェクターの駆動音ばかりが静かに部屋を満たし、八秒。
「王典」
小さな声で周防は呟いた。
「……彼女が神格を従える資格を有する証と、マスター周防から我々にご説明頂いた内容ですね。確かな記録としては、約二千年前と千年前のごく一部の文書にその文言の記載が認められていますが……」
周防の呟きに答えながら、斎藤主任はコンソールを操作し該当する文献データをスクリーンに表示する。二千年前の資料はヘブライ語で書かれた一行。神を統べる王典、との記述。だが前後が破損しているため何の意味か推測するのは難しい。
千年前の資料は日本語、平安時代の貴族に仕えた女官が書いた手紙に王典という文言が記されている。こちらは前後の文章も完全な状態で保存されているが、王典という言葉が脈絡なく唐突に出現しており、言葉の意味はやはり掴む事が出来ない。
「彼女が遠藤八尋を助けようとするのは運命であり必然であり、皮肉めいた喜劇ですらある」
映された資料に目をやる事もなく、天井を見上げたまま周防は囁くように語る。遠藤八尋を助けようとする向井良子、それと王典が何の意味や関連があるのか。周防からは具体的な内容は明かされない。
「今はここまでなのですね?」
斎藤主任は周防が見つめる視線の先を見つめながら問うた。
周防は必要な情報を出し渋るようなことはしない。あえて内容をぼかすということは、今はまだ知る時ではないということだ。
「そうだ。全ては伝えられぬ。君たちが今知ればこの先起こる状況が複雑化してしまう可能性が高い。それは私達の目的にはプラスとはならないだろう」
「……承知致しました」
渋々とまではいかないが、しかし興味を抑えつけたといった具合で斎藤主任は返事をした。
「もうすぐだよ。すべては変わる——おや? 勝負をかけるか、想定より早いな」
周防の一言でスクリーンへ全員の視線が集中する。
映されるのは、無数の光線が走ったとだけ認識できるオーディンの攻撃。前面から突如生えるように現れるそれは、何発かがあらぬ方向に向かいその先の地面を深く大きく抉る。
その死の光線、弾幕に近い密度のそれを向井良子は先程見せていた動きよりも、更に小さな動きで避けている。構えすらない。ただ立っているようにも見える。
手を僅かに払うような動作や身体をひねる動きがときおり確認できることから、最小限の動きで避けているという結果だけは分かる。その異様さに周防以外は息を呑み茫然とした。
彼女はあくまでも人間だ。精霊や神格の協力を得ているとはいえ、最高神格を相手にここまで戦う様子は、事前に今回の作戦内容を聞かされていてなお彼等の理解を超えていた。
そして避けながら放たれた向井良子の一撃はオーディンの腹部を捉える。くの字に折れ曲がる身体。更に追撃——その場で縦回転。踵が測ったように頭部へ吸い込まれる。
彼らはその光景に湧き上がるような戦慄を覚えた。だがその瞬間。
「さて、諸君。——傾注!!」
周防の大喝が響き、一同は身体を揺らされ我に帰った。
「我々には目的がある。為すべき事がある、前へ進むためなら神をも倒す。作戦通り、オーディンは消耗している。問題はない。そうだろう?」
静かだが身体の芯に届く声は、本来の目的と課せられた各々の役割を思い出させた。スクリーンに向いていた視線が周防に集まる。
「うむ、良い顔だっ! 実行部隊は配置につけっ!!」
「っ——! 配置了解!」
「整備班、マキナシリーズ五機を起動準備っ!」 「搭乗員ステータスチェック!」
周防の号令に次々と反応の声が上がる。
それまでの静まり返った空気が嘘のような慌ただしさが訪れた。コンテナからは整備班が弾けるように飛び出し、茶色のシートを大急ぎで剥がしにかかる。
露わになったのは大型の機械人形とでもいうべき形状を有する、マキナシリーズと呼ばれる機体。膝立ちの姿勢で待機するその姿はプレートアーマーを着込む騎士にも見える。
黒い外装、鷲を思わせるフォルムの頭部。外骨格装甲と呼ばれる各部を覆うパーツは拳銃程度では傷一つつける事が出来ない頑強性を誇る。
整備班の起動作業が進む中、全身を覆う黒いボディスーツとフルフェイスのヘルメットを身につけた五名がコンテナから現れる。
マキナシリーズを操作する搭乗員だ。
その姿、膨らみのある胸と弧を描く身体のラインから全員が女性であることがわかる。彼女達は各々に割り当てられているマキナシリーズの前に立った。
「準備完了、搭乗します。キーはMMV43KDTP」
搭乗許可キーを暗唱すると、マキナシリーズの頭部、人間でいう目の部分が赤く光る。そして機体中央部の胸部装甲が割れたように展開し機体の内部が露出した。
彼女達は機体の内部に躊躇いもなく飛びこんでいく。搭乗が完了し割れた装甲が閉じていく様は彼女達が飲み込まれていくようにも見えた。
五機のマキナシリーズが膝立ちから立ち上がり、直立の姿勢を取る。その高さは三メートルに及ぶ。そこへ周防と斎藤主任が会話を交わしながら近づいてきた。
「私とマキナシリーズ以外は現時点より撤収開始。機材はこの場に破棄。データの消去を忘れるな。鈴菜は合流地点にて待機している。合流後は輸送機へ向かうように……それでは、無事の帰還を祈る」
「お気をつけて」
「死なない程度に励むとしよう……君も、もう行きなさい」
周防は斎藤主任に微笑みながらそう言った。彼女は心配そうにしつつも、言われた通りその場を離れていく。
彼女の背中を見送ると周防はくるりと振り返り、両手を合わせ気を練りはじめた。深い呼吸を三度繰り返し目を閉じる。やがて周防の両手はうっすらと光りを帯びた。
「開け……」
絞り出すように吐いた言葉と同時に前方へ両手を突き出すと、周防の前方に白く光る小さな球体が出現した。
それはみるみると大きくなり、直径十メートル程度のサイズにまで膨張する。
周防はゆっくりとした動きで構えを半身へと転じた。脇に引かれた右手は貫手の形。未だ目は開かれぬままだ。
球体が現れ今まで三分にも満たない時間だが周防の顔には玉のような汗が浮かんでいる。それは額から頬へ伝い顎に辿り着き地面に落ちる。
ポトリと音がしたと同時。
右の貫手が球体に突き込まれた。




