六十五 〜見えた糸〜
八尋視点
「玄武! 閉じるぞ!」
「構わん! はよ閉めいっ!」
突入と同時に作り出した異界を閉じる。これで外部からは切り離された。オーディンの下へ易々といかせはしない。
スレイプニルは五十メートルほど地面を削り土煙をあげながらようやく静止した。だがあれほどの衝撃にも関わらず、すぐ様立ち上がってくる。目立つキズもないか。
やはり霊獣への攻撃は属性を考えないと痛打とはならないな。
「八尋! スレイプニルが変化しおるぞ!」
何故だ? 前回、良子さんと戦っていた時にはそんな変化は無かった。まさか戦闘に適した変化を隠していた?
スレイプニルが光りに包まれだした。どんな変化を遂げるのか、大幅に変化するとしたら厄介だ。準備してきた手札で対応出来れば——人型だと?
光が収まるとそこには、トーガを纏う美青年がいた。灰色の長髪と四本の腕、四本の脚、鋭い顔つきではあるが、飛びかかってくるような気配はない。
ゆっくりとこちらに近づいてくる。無防備すぎる……。一体何の意図があるというのか? 考えいるうちに四メートルの距離。身構えると声をかけてきた。
『少し話せるか?』
柔らかな声色。敵意は感じられない。
「言葉を話す……玄武どう思う?」
「人との契約も無しに言葉を操るのは解せん、儂とてお前と契約して居らねば念話が精一杯じゃ。人の言葉を話すというのはそれ程までに重いということを知っておろう? 儂らは与えられた役割をこなす事が第一の存在意義なんじゃから」
『地仙よ』
人型で落ち着いた雰囲気だからと、警戒を解く気にはなれないが明確な殺気もない以上ひとまずは応じてみるか。玄武から飛び降り正面に立つ。
「話を聞こう、ただし調停者の立場ではないということを理解してくれ」
『だからこそ、地仙と呼んだ』
俺の仙人としての位階での呼びかけにまさかと思ったが、本当に話をするだけのつもりか?
玄武は既に身体のサイズを縮小させている、危険はないとの判断か。
『これを』
手招きに従い、ゆっくりとスレイプニルに近づく。手のひらに何かを載せている。……黒いカケラ?
「これは? ……まさか、この気脈っ!」
小指大のカケラからは咒式が放つ特有の気脈、冷たい鼓動と呼ぶべきものが感じられる。
『あるじの依代に埋め込まれていたモノの一部だ』
よく見ろというかのように手渡された黒いカケラ。手に持つだけで感じる不快感は間違いなく咒式のものだ。
オーディンの現界になんらかの作為があるやもと、玄武が気にしたのはこれか。それに依代ときた。人為的だということがはっきりしたな。
依代……最高神格の素体となるもので、最も簡単に用意できる手段は一つしか思い浮かばない。
『その顔つきからして想像出来ているようだな』
神格を宿したもの。それも未覚醒の者たちを素体……生け贄にしたと考えるのが妥当だ。オーディンという格から考えて一人以上は必要だろう。
その中のひとつに咒式が埋め込まれていたのだろう。悪辣にすぎるやり方だ。しかも咒式を使って行動を制御下に?
刃物を添えられたかのようないやな感触が背中に走る。予知内容が外れるか事態を見切れていない時に良くある感覚だ。
『あるじは、影響の大きさから長期の現界を自ら禁じておられる。その短い時間で人間へ執着されることはまずない。だが今回は、我が身についたあの娘の匂いに殊更興味を示されたのだ。いくら依代を用意して無理矢理に現界させられたとしても、それであるじの性質が変化するとは思えん。怪しむとすればこれだ』
執拗に追いかけてきた理由はスレイプニルへの攻撃に対する報復。今回、異界へ入って直ぐに駆けつけてきたのは挑発とも取れる行動に対する制裁。
御霊からも匂いを覚えられていると聞いたので一連のオーディンの行動に納得していたが、確かにここまで執着するのは不自然さがあるな……良子さんだからと見過ごしてしまっていたか。
咒式のかけらからは確かに澱んだ気が出ているが、オーディンへ影響を与える程とは思えない量だ。しかし一定方向への思考誘導に絞ればあるいは。
「中身を調べても?」
『壊しても構わぬ』
スレイプニルからは二つ返事が。すぐに仙気と龍気を体内で練りこむ。今回はあの術が適しているだろう。
「玄武、札を」
玄武の口が大きく開き一枚の札がこちらに向かって飛び出してくる。伝えなくとも目的の札だ。腹に保管してもらっていたそれを受け取り、練っていた気を流し込む。
「反響」
札に書かれた甲骨文字が淡く光り、札から剥がれ空中に浮かぶ。白紙となった札はその場で燃え上がり灰となる。
手に持ったカケラに意識を向ける、これで術の対象指定が完了。あとは、発動起点となる文字に気を流せば発動する。
人差し指で文字に触れる。浮かぶ文字が網状に変形していき、カケラを包み込む。発動させた術は周辺索敵や空間把握の為に使用されるものだ。練った気を網目のように広げ、指定範囲内の対象に当てることで反響情報が取得出来る。それを術者の網膜に映像として返す。
「恐ろしいまでに緻密な術式だな……」
明らかになったのはカケラの中に高密度に書き込まれた術式、一見すると集積回路のようなパターンにも見える。
カケラですらこの術式密度。咒式がオーディンを思考誘導させるだけの能力は持たされていたということはわかった。そしてこの癖というか術式の特徴は見覚えがある……前後の情報がもう少し必要だな。
「ユニコーンの後釜として現れたのは偶然ですか?」
『あの娘に痛打を貰うまで我の意識は定かではなかった、怒りに呑まれていたからな。なので偶然かどうかは解らぬ。ただ我はオーディンが跨る神馬、現界の際に怒りに呑まれるなど本来あってはならぬ。故に——』
「——!」
これだ。真っ先に疑うべきだった。先例を鵜呑みにするなど油断でしかない。このレベルの神格が我を失うなど必ず理由があるはずなのに。
『何者かの企みがある』
スレイプニルと目線を合わせる。共通の敵が存在することを互いにはっきりと理解した。スレイプニルの言葉から初期段階から仕組まれていたことも確認できた。
……仕組んだ相手の目星もついた。
あの術式は見たことがある。忘れるものか。
『もう戦う理由はないだろう』
「そうだな」
であれば、すぐに外の様子を確認し状況を把握する必要がある。横に居た玄武に声をかける。
「玄武、外の様子を確認したい。頼めるか」
「任せろ。紫苑に繋いで目を借りる、声も出そう。八尋よ仙気を寄越せ」
契約者と霊獣の間にある繋がりを通じて仙気を玄武へ送り込む。玄武の目から光が放たれ、空中に映像が浮かぶ。
『——! 玄武様っ!? これはっ?!』
「慌てるな紫苑、嬢ちゃんとの繋がりを通じて儂からお前に接続したんじゃ。状況を話してくれるか」
『直撃は一度も受けておられません、順調なのですが……』
紫苑の声が浮かんだ映像から飛び出るかのように響く。驚きはしたのだろうが直ぐに冷静になりこちらに情報を伝えてくれた。
目線の位置から紫苑は斜め後方にいるようだ。
子供が良子さんに体当たりを敢行している。両手をクロスガードで受ける。良子さんの踵が地面にめり込む程の衝撃。
老人の姿から変化しているがあの子供がオーディンだろう。先程みた姿の濃い面影を残している。神格が力を解放することで変化することは良くあることだ。
「見たところやや押し込まれておるか?」
『……アクア様から我が君の消耗を懸念する思念が飛んでおります。それとお父様がそろそろ限界に。そちらからの力添えが必要かも知れません』
想定よりも早い……。オーディンの最高神格としての強さは上振れ方向だったか。スレイプニルとの敵対関係が解消され、黒幕が浮かび上がった今としては、危険な状態になればすぐに撤退を選ぶ局面だ。
『紫苑。今しばしだ。我が君のご尊顔を見よ』
割り込む声。水嶋さん? 良子さんを見ろ? 紫苑が良子さんの顔を見るために横方向に移動していき、良子さんの顔が見えた。
「笑っている……?」
『見よ、あの解き放たれたお姿を。禍根による始まりといえど、オーディンには感謝だな。それにあと少しで、もう一段高みに昇られる』
肉眼で追えないオーディンの攻撃、光線の軌跡の中を彼女は散歩しているかのような歩みで進んでいる。ある程度付き合いがないと分からないが、あの顔は確かに笑っている。
『八尋よ、こちらにきても良いがまだ手は出すなよ』
「承知しました。ですが余計な手出しをするかもしれない勢力を確認しました。危険と判断すればすぐに割り込みます」
『そうか……それは注意が必要だな』
水嶋さんの言葉を最後に映像が途切れる。
「これ以上の接続は紫苑に負荷が掛かるのでここまでじゃ、あとは向こうに行ってみた方が早い」
玄武のいう通り、まずはここから出るべきだ。
「スレイプニル。貴方はどうする?」
『あるじに逆らうことはできぬ。ここで待つ。ただしお前たちがあるじを滅せぬと約束するのなら、だが』
返ってきた答えは妥当なところだ。元々、討滅のプランではない。
スレイプニルから得た情報とこちらの事情を説明すれば、戦闘を止める事は難しくないだろう。最悪でも当初の保険案とした計画は効果があるだろう。
前回、調停者へ攻撃を加えたことを材料にすれば引き下がる、もしくは仕切り直しとするところまでは交渉できるはず、という案だ。
「約束致します」
『良き返事だ。ならばここに留まる、其方らだけであちらへ行くが良かろう』
「「承知した」」
玄武と声を重ねスレイプニルに返答する。急いで向こうに戻ろうと逸る気を落ち着かせながら彼に背を向け異界の出口を作るために印を結ぶ。
両手を前に突き込み、集めた気を一気に解放。手には硬いものを掴む感触が返ってくる。引き戸を開けるようにそのまま横にスライドさせると、黒い先の見えない大きな穴が現れた。出口だ。
二メートル四方の大きさに開いた出口に飛び込む。一瞬の浮遊感のあとに開ける視界。目に飛び込んできたのは良子さんの背中。その前方にはオーディンがいるのか、隠れて全貌はよく見えない。
まだ決着はついていないようだ。
少し離れた横手に紫苑がいた。前方を見逃すまいと凝視している。
動かず対峙する二人までは三十メートル程度の距離。詰めるべきか逡巡しているとオーディンの背後の空間に突如亀裂が現れた。
——このタイミングで来るのかっ!!




