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悪魔祓いの修道女


 鎧戸の下りた暗い部屋に、グラディスは立っていた。寝台以外ろくにもののないその部屋では、横たわる娼婦の体を闇が覆っていた。


「ぁ、あ……や、ぁ……っ」


 まだ年若い娼婦は固く目を閉じて、悪夢に魘されている。そのふっくらとした唇からは、弱々しい吐息を洩らしていた。


「クソ悪魔が」

 グラディスの形の整った唇が歪んで、端正な面立ちからは考えられもしないような罵声が零れた。


『修道女に、何ができる』


 闇は凝って人に似た形を作った。似ているといっても、角や悪魔の羽は少しも隠せていない。下級悪魔の証拠だった。


「お前を滅ぼせる。だいたいお前ら夢魔は女の扱いがなっちゃいない。気持ち悪い体で触られて、喜んで精気を寄越す女なんていないだろうに」


『餌が小うるさいことだ』

「その餌に生かされてる雑魚具合を自覚しろ、クソ三流が」


 腰につけていたポーチから聖水の入った瓶を取り出し、おもむろに蓋を開ける。夢魔がその余裕に怒って体を膨らませ、暗示のこもった煙を吐くが、グラディスは瓶を小さく揺らして聖水を飛ばすことで軽くいなした。煙は形になる前に、散り散りに溶けていく。


「クソ共に奉仕して疲れてる娼婦に、イイ男の夢でも見せて精気をかすめ取るなら目こぼしもしてやるが。ド低級。お前は駄目だ」


『神父でもないお前に何ができ--っ』


 グラディスの振りまいた聖水が、悪魔を囲った陣を作った。胸元にかけられていたロザリオをかざし、威圧のこもった声で聖句を唱える。


「エクサウディ・オラツィオーネム・メアム(私の祈りを聞き入れてください)」


『何故だ、何故修道女が聖蹟を……っ』


「うるさい黙れ雑魚悪魔。レクイエム・エテールナム・ドーナ・エイ・ドーミネ(主よ、彼らに永遠の安息を与えてください)」


 力のこもったグラディスの声に貫かれたように、闇でできた悪魔の体が千切れ、光に溶けていく。


『ダ……ダヌよ……季節……まだ……めぐら、な……』


 鎧戸から洩れる真昼の日差しに溶けるように、悪魔の体は消えていった。


「聖蹟が使えるかどうかは、あたしが決めるんだよド低級」


 鼻で嗤ったグラディスは、安らかな寝息を取り戻した娼婦を見てほんの僅かに唇を歪めた。笑顔にも似たその歪みは瞬く間に消え、それから娼婦に背を向けてその部屋を出る。店主から謝礼の寄付金をせしめたグラディスがその淫売宿を出る頃には、かつての自分と似た娼婦の面影はすっかりぼやけ、脳裏から消えていった。






「ロットゥウマ、ベェル……」


 サザークの薄汚れた通りを、鼻歌を歌いながら進む。ロンドン市からはみ出した汚れを集め、練り上げたような場所がテムズ川南岸のサザークだ。五月の爽やかなはずの風も、このサザークのごみ溜めのような路地ではどこか薄汚れて感じる。


 浮浪者、犯罪者が逃げ込み、裕福な男達が娼婦を買うためだけに立ち寄るこのサザーク。グラディスにとっては第二の故郷ともいうべき場所であった。ゆえに、掏摸も恐喝もグラディスには降ってかからない。


「ロットゥウマ、ベェル、ラリルゥリ、ルゥリ……」


 遠い昔に馴染んだ歌を口ずさみながら、サザークの中でもロンドン橋に一番近い、聖メアリ修道院に帰還する。ここがグラディスの家である。はなはだ居心地の悪い家ではあるが、家には違いない。清潔で安全ならば、多少の居心地の悪さは我慢する程度の忍耐力は、グラディスにもあった。


「シスター・グラディス。帰ったのですか」


 淫売宿から帰還したグラディスを、目ざとく見つけたのは修道院長だった。五十代に見える院長は、修道女を束ねる役割を持つだけあって険しく厳めしい顔立ちをしている。いや、険しい顔立ちなのは話す相手がグラディスだからなのかもしれないが。


「はい、修道院長」


 さすがのグラディスも、彼女の前ではしおらしい子羊を擬態するようにしている。間違っても娼婦上がりのふてぶてしさなど見せはしない。そのはずなのだが、どうにも院長にはその本性を見抜かれているような居心地の悪さはあった。


「今から大聖堂に向かうのですか? くれぐれも無礼のないように気をつけなさい。あなたの悪評はこちらにも届いていますよ」


「はい、気をつけます」


 それ以外の返事など、考えようもないし、求められてもいないだろう。抗弁してみたところで無駄なことを、グラディスはとっくに悟っているし、それに絶望するほど純真でもない。


「エイベル様によろしくお伝えするよう」


 白豚司祭の名前を出され、グラディスはしおらしく頭を下げた。






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