離れた場所で・2
治療室に戻ると、案の定キャメルに色々と愚痴を聞かされた。
要は王子から直接声をかけられるからって、いい気になるなというような内容だ。ディアナは、左の耳から右の耳へと聞き流して、遠く故郷の空気に想いを馳せた。
今頃、ブレイドは剣をふるっているんだろう。ブレイドは体が大きい。とはいえ周りは手錬れの剣士ばかりだ。今年卒業したばかりのブレイドは年齢的には最年少になるはずだ。いくら通常より強いからといって必ず勝てるなどという保証はない。
近くに居れたら。もし怪我をしても自分が助けてあげれるのに。ディアナはもどかしさをため息に乗せる。去年は遠くから見てるだけなのが辛かったが、その姿さえ見えないというのは、それよりはるかに辛い。
「きっと、大丈夫だよね」
口をついて出た言葉が、ブレイドの勝利に対してなのか、寂しさに負けそうな自分に対してなのか、ディアナには分からなかった。
*
ガルデア町の闘技場には、天頂に上った太陽が容赦なく照り付けていた。
その中央で、ブレイドは大きく深呼吸をする。
試合はもう決勝戦だ。先に試合場に登ったブレイドは、反対側から登ってくる剣士を見て、おや、と思った。見覚えのある剣士だ。それは相手の方も同じだったらしく、笑みを浮かべると手を差し出した。
「やあ、サンド村の英雄じゃないか」
「やっぱり、あの時の剣士さん」
サンド村で魔物たちと戦った時に、一緒にいた護衛の剣士の一人だ。
「君の年齢で決勝まで残るなんて大したもんだ」
「ありがとうございます」
握手をして、向き直る。先ほどまでは既知の人物との再会を互いに喜んでいたのに、こうして向き合うともうお互い一歩も譲らない構えを見せる。この人もやはり一流の剣士だ、と思うとブレイドは喜びで背筋がぞくぞくした。
審判であるデルタが双方の剣に違反がないのを確認して、試合開始の合図が鳴る。
ブレイドはまずは左にずれた。相手の男は、あまり戦ったことのない左利きの剣士だ。剣筋がいつもと逆なので、なんだか動きにくい。
まずは様子を見るために、右へ左へと立ち位置をずらしながら剣士の動きを観察する。
バジルの特訓は伊達じゃなかった。この大会で、ブレイドが相手の剣の速さに翻弄されるようなことは一度もなかった。
剣の流れを見る。相手の視線を確認する。次に撃ち込まれるであろう位置を予測して討ち返す。それらの動作が以前よりも自然にできるようになった。
やがて相手が疲弊してくると、必ずどこかに隙ができる。それを、見逃さなければいいのだ。
流れるような剣さばきのその間にも、相手の呼吸がちゃんと読める。
息が上がってきた剣士は、利き手である左から剣を振り下ろした。ブレイド自身も左側によける。
「はあっ」
相手の呼吸が一呼吸遅れた瞬間、右側に隙ができた。
「うりゃああああっ」
雄たけびと共に響く甲高い金属音。剣で胴衣を思い切り叩かれた剣士は、バランスを崩して膝をついた。
その喉元に、剣を突き立てる。一瞬の身じろぎが命取りになるほどの距離に、剣士が生唾を飲み込む。そして、両手を挙げて剣を離した。“降参”の意味だ。
「そこまで! 勝者、ブレイド=ウェルドック」
その判定に歓声が湧き上がる。
ブレイドは、試合にのめりこんでいた意識が徐々に自分の元に戻ってきたのを感じながら、剣士に向かって手を伸ばした。苦笑いをした剣士が、差し出された手に捕まって立ち上がる。
「……まさか18歳に負けるとはな。さすが、サンド村の英雄ってところか」
剣士のその声を聞いた観客が、口々に「英雄」という言葉を口ずさむ。言葉は、やがて命を得たようにどんどん観客の渦の中へと広がっていった。
「英雄だ」
誰がが、声をあげた。
「ガルデアの、英雄だ」
「黒髪の英雄だ」
言葉は徐々に力を帯び、噂となって広まって行った。こうしてブレイドの名前は、数日のうちに黒髪の英雄として近隣の村に知れ渡ることとなる。
*
武道大会の夜、ブレイドとデルタがディアナの部屋を訪れたのは、暗くなってからだった。
「ディアナ、勝ったぞ」
「やったぁ! おめでとう!」
扉を開けて姿を見せて、開口一番言った言葉がそれだ。ディアナは思わずブレイドに抱きつきそうになったが、デルタの姿を後ろに見つけてぎこちない体制のまま何とか押しとどまった。
「おじさんが、城に報告に行くって言うから、一緒に馬に乗せてもらったんだ」
「今から行ってくるから、一時間後にまた迎えにくる。ディアナ、安心したか?」
デルタが冷やかすようにそう言った。
「したよ。ずっと気になってたんだから当たり前でしょ。それより父さん。入城するなら早くしないと」
父親にからかわれるのは恥ずかしい。ディアナは簡潔に言い放ってデルタを追い立てた。
デルタが馬にまたがって去って行くのを確認してから、部屋の扉を閉めた。室内ではすでにブレイドがくつろいでいる。
「おめでとう」
近寄って改めて言うと、ブレイドが笑った。
「次は本大会だ」
こぶしを握ってそう呟く姿は力強い。以前より自信に満ち溢れてるようにディアナには感じた。
「すごいね。ブレイド」
「じいさんのお陰だ。すげぇ特訓してくれて」
「うん」
「少し自信がついた」
「え?」
指先を握られて顔を上げると、視界一杯にブレイドの真剣な顔が広がる。
「だから、待ってろ」
続けて告げられた言葉に、鼓動が高鳴ってくる。
待ってろって、何を? 自信がついたから何? 押さえ込んでた寂しさが、期待となって溢れそうになる。ブレイドは何を言おうとしてるの?
揺れる心情を隠しきれていないのだろうか。ブレイドはディアナの手を甲をゆっくりと硬い指で触っていく。
「おじさんがくるまで、……少しだけ触ってもいいか」
「もう、触ってるじゃない」
「それもそうか」
笑って言うと、ブレイドも笑って唇を寄せた。
久しぶりに触れた体温はとても暖かく、その懐かしい匂いがたまらなく愛おしかった。このままずっと傍にいてと言いそうになる自分が怖くて、ディアナは何度もキスをねだった。
一度でも言葉に出してしまったら、もう離れてることに我慢が出来なくなることが、頭の片隅で分かっていたからだ。
一時間後、父親の馬の蹄の音がが聞こえてくるまで、ブレイドは優しく髪をなでていてくれた。そして、その馬に乗って二人が帰って行くのを、ディアナは泣き出しそうになる思いで見送った。




