離れた場所で・1
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「じゃあ、お大事にね」
さっきまで涙目だった少年に、ディアナはにこやかに手を振る。
今日は日曜。ここは城の治療室だ。週末は、美しい花が咲き乱れる城の中庭の開放日になっていて、町民たちが見学しにやってくる。その時に小さな子供が転んだりして、治療室は案外と忙しい。
本日日曜当番であるディアナは、その後姿を見送ってから溜息をついた。
今頃、故郷ガルデアでは、武道大会が開かれているはずだ。過去三年間、学生飛び入りの部で連覇を果たしたブレイドは、今年初めて一般の部で参加する。
どんな戦いをするのだろう。ディアナの記憶にある、戦闘中のブレイドの姿は学生時代のものだけだ。
正規の剣士になってからより強くなっていることは、戦っていない時を見ても分かる。硬くなった掌、筋肉の付いた腕、常に手入れされた軽い剣。日々、どれだけ訓練に励んでいるのか、それを見ているだけでも想像がついた。
「……ちっ」
なのに、それを見られないなんてね、と思うと舌打ちが飛び出す。
「どうしたのディアナ?」
一緒に治療室当番をしているキャメルが怯えたような表情をする。
「あ、ごめんなさい。なんでもないです」
やってしまった。こんなやさぐれた気分を表に出すなんていけないいけない。ディアナは反省して自分で頭を小突いた。
「失礼、ディアナはいるか?」
そこへやってきたのは、11歳の少年……ではなく、11歳になられるクレオ王子殿下だった。
「殿下、どうされました。どこかお怪我でも?」
「いや、……ちょっと時間があったら、頼みがあるんだが。ええと、君は」
クレオがキャメルの方を見ると、彼女はピシっと背筋を伸ばして敬礼する。
「キャメルです。王子殿下にはご機嫌麗しく。ここは私が見ていますのでどうぞお構いなく!」
「悪いな。30分くらい借りるぞ」
「すいません、キャメルさん」
キャメルはクレオの手前にこやかに笑って見せたが、後で何か言われることは確実だ。特にこの彼女は権力というものに相当弱い。やっかみも人一倍だ。もうちょっとタイミングを見てきてくれればいいのに、なんてディアナは舌打ちする。
「なにかあったんですか? 王子殿下」
「うん、あのな、クルセアがあなたと話したいと言っていて」
先ほどまで尊大な態度だったクレオは、ディアナと二人きりの時には少年の口調に戻る。
「王女様がですか? なんだろう、この間の事怒ってるようでした?」
「ああ、カルラがまくし立てていたなぁ。でも、クルセアはあなたのこと、気に入ったみたいだけど」
そのまま、クレオに続いて私室のある棟に入る。衛兵たちは後ろに続くディアナを見て怪訝そうな表情をした。何故新米治療師が。その眼差しは言外にそう告げている。これだけで「特別扱い」として見られているのだろうか。だとしたら、本当に息の詰まる場所だ。
「クルセア、僕だ。入ってもいいか?」
「お兄さまですか? どうぞ」
返事とともに部屋の扉が開けられた。驚いたことにクルセア王女本人がだ。ざっと見渡しても、今日は近くに侍女の姿がない。
「ディアナさん、入ってください」
「はい。失礼します」
クルセアはにこやかに笑って、ディアナに目を合わせた。幾分顔色がいいようにディアナには見えた。
「ディアナさん、わたし、こっそりおかあさまにお花をもっていくの、成功したんです!」
「え? そうなんですか?」
「そうなんです。カルラにないしょで、かばんにかくして持っていったんです。あんなこと初めてしました!」
どことなく拙い口調で、それでも嬉しそうにクルセアが笑う。
「ずっと、決められたことしかしてはいけないんだと思っていました。でも、自分のやりたいことをやれたらとてもうれしくて、……おかあさまも、喜んで下さって」
クルセアが、ディアナの手を握った。そんなに気軽に王族に触れられた事に驚いて、ディアナは彼女を見る。
「ありがとう、ディアナさん。わたし、どうしてもお礼が言いたくて、お兄さまにお願いして、連れてきてもらったの」
「……王女様」
ディアナの頬が赤く染まる。あまりにも素直なその態度をとても可愛いと思った。最も、王族に対してこんな風に思うのは失礼なのだろうが。
「こ、光栄です」
その言葉に、クルセアは微笑んで続ける。
「それでね、わたし、自分にできることをすることにしたんです。……ディアナさん、次の授業の時間に、聖堂に連れて行ってもらえませんか?」
「聖堂……ですか?」
「ええ、神父様がお祈りをされるところです。わたし、そこでおかあさまのためにお祈りしようと思うんです。でも、わたしが自由に動ける時間はほとんどなくて。こんなこと頼めるの、ディアナさんしかいないし」
「それは構いませんけど、お祈りでしたらカルラさん達も止めたりなさらないんじゃありませんか?」
「いいえ。カルラはものすごく時間に厳しいの。わたしが決められたこと以外のことをするのが、とてもきらいなのよ」
「そうですか。わかりました」
ディアナの返事にクルセアは嬉しそうに笑う。それを見ていたクレオも優しい表情でほほ笑んでいて、珍しく和やかな雰囲気に包まれた。けれど時間の経過を考えるとゆっくりもしていられない。
「じゃあ、私は、失礼してもよろしいですか?」
そろそろ30分が過ぎる。持ち場を離れたことが苦情になる前に戻らないといけない。
「一緒に行こう。僕もそろそろ部屋に戻らないと、何か言われるからな」
クレオがディアナの横に立つ。思考が一緒だったことにディアナは思わず笑ってしまった。王子は王子で、城の中の決まりに束縛されて辟易してるというところなのだろう。常に人の目を気にして、行動しなくてはならない。城内がひどく息が詰まるのは、そのせいだ。
「……てことなんだよ」
「え?」
長い廊下を歩きながら、クレオの言葉に素っ頓狂な返事をする。本来だったら不敬罪とか言われるところだ。
「ディアナさん、聞いてなかったね、僕の話」
「あ、すいません」
「なんか、今日、ちょっとぼーっとしてるよね」
「……そうですか?」
ディアナは確信を付かれて目をそらした。一応、仕事中は集中してやるようにしていたつもりだったが、確かに今日は集中できていない。
「今日、武道大会なんです。地元の」
「ああ、……出たかったの?」
「いいえ。大事な人が出ているので」
「ああ、あの人か。ブレイドさんだっけ」
「ええ」
その時両側の壁が開けて、中庭にさしかかった。急に差し込んで来る日光がまぶしくて、ディアナは目は自然と細くなる。
「……ごめんね」
「え?」
クレオの一言に、ディアナは驚いた。
「あの人と、一緒に行くつもりだったんでしょ? 僕が、命令さえ出さなければ」
「まあ、……そうですけど。なんですか今更」
「だって、ディアナさん泣きそうな顔してるからさ」
「してませんよ!」
「早く母上にお会いできるといいね」
「まあ、そうですね。でも」
ディアナはためらいながらも、クレオと向かいあった。
「もし、私では治せなかったら、どうしますか?」
「え?」
「私が、女王陛下を治せなかった時、王子殿下はどうされますか?」
「それは……」
意外なことを言われたという表情で、クレオは言葉を切った。
その可能性を考えていないというのは、思慮深いクレオにしては意外だ。やはり女王陛下のこととなると、王子は冷静さを欠くようだ。
「それは、その時に考えるよ」
結論を見つけられなかったのか、クレオは困ったように笑ってその場でディアナと別れた。




