城内にて・5
中庭の噴水のある辺りには、花が咲き乱れていた。水の流れは光を浴びて、キラキラと輝いている。草花についた水滴は、まるで茂みに隠された宝石のようだ。それらの景色を見るでもなく、クルセア王女はただ困ったようにディアナを見つめた。
「どれが薬草なの? ディアナさん」
「うーん。実は薬草は嘘です。ほらでも、空を見上げてみてください。雲一つないいい天気ですよ」
「え?」
言われてようやく王女は空を見上げた。青い。ただ、青い。雲がなく、視界をさえぎるような木々もない。
真上に広がる青く高い世界。
王女の白い顔が光を浴びてますます白く見える。それでも目を細めて光を反射するクルセアは、室内にいる時よりは生気が感じられた。
「……まぶしい」
「気持ちいいでしょう?」
王女は驚いた顔でディアナの方を見つめる。
「気持ち……いい?」
「ええ。鳥の声がして、花の匂いがして、陽の暖かさを感じる。これ以上の贅沢はありませんよ」
「感じる?」
王女は、周りを見渡した。噴水からはねる、水の雫。光があるだけでそれが輝くことを見つけた。
「きれい……」
クルセアの顔に、自然に笑顔が現れる。
「こういうの、薬と一緒なんですよ」
「え?」
またも不思議そうに、王女はディアナを見る。
「気持ちが沈んでいたらどんな病気も治らないんです。どれだけすぐれた回復魔法を使っても、治りたいと思っていない人を治すことはできません。今日は王女様に、それを学んで頂きたかったんです」
「……」
「ほら、王女様もやっと頬に赤みが差してきた」
「え?」
「まるでご病気でもしているような顔色でした。きっと気持ちが、沈んでおられたのですね」
「……ディアナさん」
クルセアは、寂しげに微笑んだ。ゆっくりと、言葉を選ぶように目を動かしながら、口を小さく開きか細いな声を出す。
「わたしは、だれのやくにも立たないの。お兄さまみたいにかしこくもないし、お父さまのおてつだいもできない。……お母さまも、わたしのせいで病気になったって」
「王女様のせいではありませんよ」
ディアナは慌ててそう言ったが、クルセアは静かに首を横に振った。
「いいえ。カルラたちが話しているのを聞いちゃったんだもの。お母さまがぐあい悪くなったのは、わたしが産まれたときに、ものすごく時間がかかったからなんだって」
難産で心臓に負担がかかる。それは持病として心臓病を患っていれば、ありうることだ。
「それは、王女様のせいなんですか?」
「そうでしょ? だって、私を産まなかったら良かったんだもの」
「王女様」
ディアナは、わざと聞こえるようにため息を一つついた。そんな風に思ってしまうほど、自分を追い詰めているんだとしたら可哀想だ。
子供を産んで、不幸になったと思う親はいるだろうか。その立場になっていないディアナには想像することしかできない。だけど、自分を恨んでいるだろうと思っていた父親だって、ディアナの事を大切だと言ってくれたのだ。それが親の愛情だと言うなら、女王陛下だって同じはずだ。
「そんなこと言われたら、きっと女王様は悲しいんじゃないですか?」
「……え?」
王女は、驚いたように顔を上げた。
「自分の子供を産めるなんて、女にとっては最高の出来事ですよ。まして、生まれてくる子供はこの世に二つとない宝物です」
「……」
「そんな、宝物であるあなたに、『私を産まなきゃよかった』なんて言われたら、……私だったら、悲しいですけど」
「でも、だって!」
「女王様は、身ごもられた時点から覚悟されていたと思いますよ。心臓病の持病は前からだったとお聞きしています。それでも、……あなたのお顔を見たかったから、出産されたんじゃないですか」
「……」
「生まれてきてくれて、嬉しかったと思いますよ」
「……ディアナさん」
王女はしぶきをあげる噴水を見つめながら呟く。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「王女様にできることをして差し上げたらいいんですよ。毎日笑顔を見せてあげるとか、お花を摘んであげるとか。今日は、女王様のお部屋に行かれないんですか? ここにあるお花を摘んで差し上げたら、喜ばれるかも知れませんよ」
「そうですね。……はい!」
いそいそと、お花を摘み始めたクルセア王女を眺めながら、時計をちらりと確認する。もうそろそろ一時間になる。部屋に戻らないといけないだろう。
「ディアナさん!」
そう考えていた時、後ろから鋭い声をかけられた。侍女のカルラが頬をひくつかせて険しい表情をしている。
「お勉強はどうなさったんですか。王女様をこんな陽の中で遊ばせるなんて困ります」
「これも、勉強の一環です。それに、子供が陽にあたっているのは悪いことではありませんよ」
「そこらの子供と一緒になさらないでください! 我が国の御姫様なんですから!」
カルラは煙たそうな視線をディアナに向けて、クルセアを囲うように手で覆った。
「ほらクルセア様、そのような汚い花ではなくて、お花なら温室から持ってきてもらいましょう。……ディアナさん、お時間ですから王女様はもうお連れします。今日の事は、報告させていただきますよ」
「はーい」
けたたましく話すカルラが慌ただしく王女を連れ去る様子を、ディアナはじっと見ていた。
「やれやれ」
別にこの職に執着している訳ではないので、叱責を受けたところで堪えたりはしない。だけど、あれだけ過保護にされたのではクルセア王女も息をつく余裕がないだろう。
これから外に連れ出すには、あのカルラを言いくるめなければならないのか。そう思うと気分は少なからず重い。
「早く、何とかしたいのになぁ」
ブレイドに、会いたかった。城の中はいちいち約束事が決まっていて、息が詰まる。ディアナ自身も、もっと自由に風や水や陽の光を感じられるところにいたかった。
ブレイドと一緒に旅に出たい。でもそれは弱音だ。自分で人の役に立つためにこの道を選んだのに、それを言ってしまってはブレイドに顔向けができない。
「こんなに早く、へこたれる訳にはいかないよねぇ」
自分を戒めるように、ディアナは独り言を言った。そうでもしないと、力が入らなくなってしまいそうで。




