違和感と変化・2
けれども、次にやってきた患者の怪我はてこずるものだった。
「……火傷ですか?」
「そうだよ。喧嘩してたやつらを止めようとしたら、あのガキども、火魔法を使ってきやがった」
痛みに顔を歪めながら言うのは、大会の実行委員の一人でもあるヤマジである。
「本当の治療師さんの方がいいかも……」
咄嗟の判断でそう思うも、二人とも別の患者にかかっていて手が空く様子はない。ディアナは一つ溜息をついた。この状況では仕方ない。自分でやるしかないのだろう。
けれども、今までに火傷を治した事はないし治し方も習っていない。とりあえず回復魔法を唱えてみるも、あまり効果はない。
「どうだい? デルタんちの嬢ちゃん」
「……難しいです」
ヤマジの問いかけにも、良い返事が返せない。ディアナはもう一度考え直した。
火傷というのは、要は皮膚が死にかけているのだ。だったら、蘇生呪文の方が効果があるのかも知れない。
どっちみち、回復魔法で効果がなかったんだから、試すだけなら問題ないだろう。
「ちょっと待っててくださいね」
小さな声で、蘇生呪文を唱える。
“母親を失ったあの頃にこの呪文が使えていたら”
以前囚われていたそんな思いからはもうディアナは解放されていた。
いつかこの呪文を使えるようになって、母親のような人を救いたい。そんな風に気持ちが前へと向いたのは、ブレイドとその家族のお陰だ。
大事なのはイメージ。救いたい人の元気な姿。死にかけた皮膚を治すには、まずその熱を冷まし、新しく皮膚を張る。綺麗なピンク色の肌……
「おお、痛みが引いて行くぞ」
徐々に古い皮がはがれて、新しい皮膚が張られていく。ヤマジはうれしそうに笑って、ディアナの肩を叩いた。
「出来た!」
「やるじゃねぇか、お前さん。いい治療師になれるぞ」
ディアナ自身も驚いていた。ヤマジは気づいていないようだが、今のは回復呪文ではなく蘇生呪文だ。この国で限られた数人しか使うことができないと言われる蘇生魔法を、今ディアナは成功させたのだ。
すぐさま闘技場を振り仰ぐ。ブレイドに伝えたかった。けれど、彼は戦いの真っ最中だ。木製の掲示板に貼られたトーナメント表を見る。遠くて文字までは読めないが、赤線は上まで登っている。残す線は二本。つまり今の戦いは決勝戦だということだ。
流れるような剣さばきと軽々とした身のこなしで、ブレイドは相手を追い詰めていく。剣で受け止めた相手の剣を、瞬間ではじいて相手の喉元につきつけた。
ブレイドの勝利が決まった瞬間を、ディアナはしっかりと見た。歓声が湧いて、ブレイドが礼をする。そして顔を上げたとき、彼はやはりディアナの方を向いた。
「……」
まだ止まない歓声がどんどん聞こえなくなっていく。ブレイドの視線に吸い込まれるような感覚だ。何もかもなげうって、彼のもとに行きたい衝動に駆られる。ブレイドに、触れたい。傍にいたい。
「……ブレイド」
届くはずがない程の小さな声で名前を呼んだ。遠く、小さく見えるブレイドの瞳が揺らいだように見えた。口を動かして何かを言っているようにも見える。
「聞こえないよ」
泣きたいような気持になって、ディアナは目をこすった。
闘技場から救護テントまでなんて、悲観するほど遠い距離じゃない。なのに、今のディアナにとっては、ものすごく遠かった。見えるのに手が届かないことが、ものすごくもどかしい。
「ディアナ、新患よ……どうしたの?」
「あ、はい」
うっすらと滲んだ涙を拭いて、顔を戻した。頭を叩いて自分を叱咤する。仕事中なのに、恋愛に翻弄されているなんて情けない。
捻挫をしたというその人の治療をしてから、ブレイドを探すも、もうそこには見えなかった。
闘技場では、本番の剣士たちの大会が始まろうとしている。試合が始まり、決勝が終わっても、ブレイドの姿を見つけることはできなかった。
ディアナは治療の仕事から解放された後、会場中を走って探した。端から端まで。いろんな人にぶつかりながら。けれども、ブレイドを見つける事は出来なかった。
腹が立っているのか、寂しいのか、もどかしいのか自分でもわからない。渦巻く感情が強大すぎる。
蘇生魔法ができたことを伝えたかった。優勝の喜びを一番に伝えてほしかった。だけど彼は何も言わずに帰ってしまったんだろうか。
「……バカ」
思わず口からこぼれた言葉は、涙の代わりだった。
*
大会が終わり、実行委員たちは片付けを始めた。
「ディアナ」
「おじいちゃん」
バジルが、書類を手に近くまでやってくる。ディアナは顔を見られたくなくて目を伏せた。
「わしとデルタはこの後、城に呼ばれてるんだ。悪いが、帰りは遅くなる。今日はご苦労だったな」
「うん。……分かった」
その返事の後、バジルは珍しく表情を和らげた。
「あいつ、優勝しよったな」
「え? ……ブレイドのこと?」
「ああ。今度会ったら合格だ言っておけ。それで分かるはずじゃ」
「うん」
「じゃあな。気をつけて帰るんだぞ」
そのまま背中を向けたバジルをディアナは黙って見つめた。いつも厳しいバジルから、今日は優しさやねぎらいの気持ちが感じられた。
ほっと息を吐き出して、良かったとディアナは思う。今厳しくされたら、落ち込んでしまうだろう。会いたいのにブレイドがいなくて、自分が思っているより、ずっとずっと堪えていた。
「ディアナ」
懐かしい声に振り向くと、ロックが立っていた。
「帰んないの? ディアナ」
「ロック。ブレイド見てない?」
「ブレイドなら……って、ディアナ?」
不意に目に涙が浮かんできて、ディアナは慌てて袖口でそれを拭きとった。ロックの顔見たら、なんだか気が抜けてしまったみたいだ。
ロックは驚いた顔でディアナの方をじっと見ている。
「……家に帰ろうよ、ディアナ」
「うん」
優しい言葉に、また泣けてきそうになる。おかしい。こんなに不安定なのは初めてだ。
「ブレイド、待ってるよ」
「……え?」
「家の前で待ってる、って、闘技場のど真ん中から叫んでたけど、……ディアナ聞こえてなかったんだね」
「……ええ?」
驚いて顔をあげると、ロックが苦笑している。
「行こう?」
「うん!」
一気に元気が戻ってきて、足が急に軽くなる。ディアナはロックをひっぱるようにして、大会会場を後にした。




