温かい家庭・1
ガルデア町の隣村であるニニカ村に入って、更に数分奥に入り込むとブレイドの家があった。ブレイドは汗をかきつつも、まだまだ元気な様子で扉を開ける。
「ただいま! 母さん、友達連れてきたんだ。まだシチュー残ってる?」
ディアナはその後ろについて行きながら、荒れた呼吸を整えていた。強がってはいるものの、さすがにクタクタだ。30分ほぼ休みなく走るのはこんなに大変だったかと思い知る。
ブレイドの声に、今日学園の門で出会ったブレイドの母親がやってくる。年の頃は40半ばくらいか。柔らかそうな髪を一つにまとめた優しそうな人だ。
「あらあら、ブレイド。……あら、女の子。あ、今日校門で、ブレイドを呼んできてくれた子じゃないの」
「こ、こんばんは。遅くに、はあ、……すみません」
息を切らして挨拶するディアナに、セリカは満面の笑みを浮かべた。
「はやく入って、疲れたでしょう。ブレイド、あんた女の子にこんなに走らせて」
「いいんだよ。ディアナは」
「ほら、汗を拭いて。まず飲み物をあげるわね。喉乾いたでしょう?」
差し出されたタオルを受け取って、ディアナは家の中に入った。綺麗に片づけられた家具、温かい色調のテーブルカバー。母親がいる家とはこんな風なのだろうか。
もちろんロックの家にも母親はいる。けれど家業が忙しいせいかこんな風に整えられてはいない。この家は、胸が締め付けられるほど温かい空気で満ちている。
「はい、冷たいお茶よ。ご飯食べてないのよね。今用意するわ」
「あ、お構いなく」
「母さん、シチュー出してよ。あれが一番うまいんだから」
家族の中にいるブレイドは、学校で見るよりも子供っぽい印象を与える。それは、誰よりも愛されている証拠。安心して甘えられてる証拠だ。
「母さん、今日、ディアナを泊めてもいいかな。俺のベッド貸すから。俺、ここのソファーで寝るよ」
「あんたのくさいベッドなんかに女の子を寝かせれないわよ。お父さんの書斎のベッドを使うといいわ。
普段は使っていないから、シーツを変えるだけで大丈夫よ。……ごめんなさいね。急だったから、準備もできなくて」
「いいえ、急にきちゃってすみません。……いただきます」
ディアナはそう言って、冷たいお茶を一口飲んだ。思いつきできてしまうなんて、浅はかだっただろうか。きっと迷惑をかけているだろう。そう思って、セリカの方を見るも、彼女はにこにこ笑ってディアナの方を見ている。
「おいしいです」
「そう? ありがとう。やっぱり女の子はいいわね。可愛くて」
「可愛いかぁ?」
ブレイドが野次る。
「うるさいわよ」
ディアナとセリカが同時に言って、思わず顔を見合せて笑った。
「おや、にぎやかだな」
そこへ、奥の部屋から温厚そうな壮年の男性が現れた。ブレイドの父親、アイクだ。
「みて、あなた。ブレイドが女の子を連れてきたのよ!」
「へぇ、ブレイドが? こんばんは、ブレイドの父のアイクです」
微笑んだその穏やかそうな顔は、ブレイドとは似ても似つかない。ディアナは一瞬ブレイドをちらりと見て、なるほど実の親子な訳が無いと頷いてしまう。よく今まで一度も本当の親子ではないと疑わなかったものだ。性格だけじゃなく、容姿だって全然似てはいない。これで疑いも持たなかったというなら、よっぽどこの両親は愛情深いのだろう。
「ディアナ=アレグレードです。すみません、急にお邪魔しちゃって」
「いやいや、いいんだよ。特に、今日はね。……こんな風に、甘えてもらいたかったんだ」
アイクはそう言って、穏やかな瞳でブレイドを見やる。ディアナは胸が軋んでいくのを止められなかった。羨ましい。ブレイドは、愛されてる。例え、本当の両親じゃなくたって。こんなに温かい空気の流れる家を、ディアナは初めて見た。
そこでふと気づく。違う。初めてではない。自分の家にも、かつては確かにあった。……母親が生きていた頃は。それはむしろ気づきたくない事実だった。
「……ごちそうさまでした」
ディアナが食べた茶碗を重ねて運ぼうとすると、セリカが声をかけてきた。
「いいわよ。置いておいて。今日は疲れたでしょう」
「でも、せめてそこまで運びます。とても美味しかったです」
「ありがとう。嬉しいわ。ねぇ、やっぱり女の子っていいわねぇ」
「あっそ」
にこにこ笑うセリカに、ブレイドが適当な返事を投げる。でも、その顔は笑っていた。
幸せを絵にかいたような家族。突然ここから投げ出されたら、きっと辛いだろう。ブレイドがあんな風にショックを受けたのも、分かるような気がする。例えどんな言い方だったとしても、この人たちから『自分たちの子供じゃない』と言われることは、ひどく心細いことのような気がする。
軽口を叩き合うブレイドとその両親を見ていると、その信頼関係が戻っているのが分かる。きっともう、大丈夫なんだろう。
ディアナはほほ笑んでブレイドを見た。心の奥底にある羨望が痛いくらいに胸を締め付けていたけれど、それより増してブレイドが笑っていたことが単純に嬉しかった。




