↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/25

アーチ1: 第5章:第十の神獣と肌の血痕


[第一節:闇狼の目覚め]


霧の向こうからこちらを見つめていた二つの赤い目は、普通のものではなかった。


瞳孔は存在しない。ただ二つの真紅の炎の球体が、周囲の空気を歪ませる黒い魔力の海の中に浮かんでいた。


その獣が茂みから一歩前へ踏み出した瞬間、足元の黒い泥がまるで沸騰するかのように蠢いた。


その姿は、二階建ての家ほどもある巨大な狼だった。


濃密な煙と生きた影を固めたかのような漆黒の毛並み。呼吸するたびに、ルーンの刻まれた牙の隙間から冷たい霧が漏れ出している。


周囲の空気があまりにも重くなり、私の脚が震えた。


……今回は、ブーツのヒールのせいじゃない。


「そ……そんな……ありえない……」


背後から聞こえたブリナの声が完全に震えていた。


弓を握る手はガタガタと震え、恐怖のあまり歯がカチカチと鳴っている。


「ただの『影の獣』じゃない……。あ……あいつは……!」


「……あいつ? 何の話よ、ちびっ子?」


私はいつもの自信満々な口調を保とうとした。


けれど、首筋を冷たい汗が伝っていくのを感じていた。


「ザルヴォク……」


少女が、今にも泣き出しそうな声で呟いた。


「世界で十番目の神獣……。絶対的な闇を司る狼……」


ブリナの顔から血の気が引いていく。


「辺境の昔話では、あの魔獣が持つダークレスの魔力は、触れたものすべての光と生命を喰らい尽くすって……!」


「マガ=サマ、逃げないと……! この大陸の誰にも、あの闇の神には勝てない!」


……闇の神?


私は唾を飲み込んだ。


その瞬間、私の隣に浮かんでいた『願いのグリモワール』が激しく唸り始めた。


金色のページが狂ったように震えている。


……なるほど。


騎士団の部隊が何個も消えた理由が、ようやく分かった。


彼らは怪物を狩っていたんじゃない。


呪われた神の領域に、足を踏み入れてしまったのだ。


---


[第二節:ダイヤモンドの閃光とダークレス魔法]


ザルヴォクは、私たちに作戦を立てる時間など与えてくれなかった。


巨大な狼が耳をつんざくような咆哮を放つ。


その衝撃波だけで、何本もの木が真っ二つにへし折れた。


黒い地面が弾け、巨体がその大きさからは想像もできない速度で私たちへ突進してくる。


「ブリナ、避けて!」


私は叫びながら彼女を横へ突き飛ばし、両手を前へ突き出した。


私の恐怖に反応して、ダイヤモンドの魔力が一気に膨れ上がる。


純粋な輝きを放つ巨大な結晶の壁が黒い泥の中から一斉に突き出し、ザルヴォクと私の間に立ちはだかった。


次の瞬間――


ドゴォォォンッ!!


ザルヴォクが真正面から私の防壁へ激突した。


凄まじい轟音が森中に響き渡り、無数の輝く結晶の破片が周囲へ飛び散る。


それでも――私の盾は耐えた。


ザルヴォクは数メートル後方へ弾き飛ばされ、頭を振りながら低く唸った。


まさか、たかがダイヤモンドごときに自分の突進を止められるとは思っていなかったらしい。


「ふふん! 見たか、この腐れ犬!」


一瞬で、私の得意げな笑みが戻った。


私は紫色の帽子を軽く整える。


「あなたが第十の神獣だろうが第一の神獣だろうが、関係ないわ!」


そして、白く細い指先を赤い目へ向けた。


「私の服を汚して、無事で済むと思わないことね!」


『願いのグリモワール』が目も眩むほどの光を放つ。


「――絶対的なダイヤモンドの槍!」


私の全魔力を込めて叫んだ。


空中に五本の巨大な尖った水晶の槍が形成される。


そして、それらはミサイルのような速度でザルヴォクへ向かって一斉に飛んでいった。


しかし――


ザルヴォクが大きく口を開く。


次の瞬間、その口からダークレスの魔法が放たれた。


液体のように蠢く、腐敗した漆黒の闇。


五本のダイヤモンドの槍と真正面から激突する。


ドォォォンッ!!


広場の中央で、紫色の光と黒い影が入り乱れ、魔力の残滓が空中を舞った。


戦える。


もちろん、私だって戦える。


自分自身を守ろうとする意志は、まだ途方もなく強かった。


けれど――


こいつは、村の入口で戦った魔物たちとは違う。


ザルヴォクの黒い魔力が、まるで強化ガラスを砕くように、私のダイヤモンドを少しずつ蝕み始めていた。


---


[第三節:爪撃と、私の神聖な身体の悲劇]


魔法の爆発によって生じた黒い煙が、私たちの視界を一瞬だけ覆い尽くした。


私は荒い息を整えながら、あまりにも大量の魔力を維持したせいで痺れている腕を感じていた。


そのとき――


右側から、何かが軋む音が聞こえた。


ザルヴォクは、森の影を利用して私の攻撃を回り込んでいた。


赤い目が、ブリナの頭上で不気味に輝く。


少女は黒い泥の中で完全に凍りついていた。


その視線の先には――


彼女を真っ二つに切り裂こうとする、巨大な漆黒の鋼の爪が振り下ろされていた。


……間に合わない。


盾を召喚する時間なんてない。


二人分を守ることなんて、できない。


「――ブリナ!!」


私は叫んだ。


その瞬間、誇りも、優雅さも、女神らしいポーズも、すべて忘れていた。


私は少女へ向かって一直線に飛び込み、全力で彼女を突き飛ばした。


なんとか攻撃の軌道からブリナを逃がすことには成功した。


けれど――


私自身の身体が、完全に無防備になった。


ザルヴォクの巨大な爪が、死の速度で私の身体を掠める。


次の瞬間。


身体の胴と腕を、燃え上がる炎のような痛みが走った。


ビリッ!


布が引き裂かれる音が、私の血を凍らせた。


衝撃で私は数メートル吹き飛ばされ、黒く悪臭を放つ泥の上を引きずられながら、木の根元へ叩きつけられた。


私はその場に倒れ込み、荒い息を吐いた。


視界がぼやける。


アドレナリンと、これまで日本で一度も感じたことのない、直接的な肉体の痛み。


ようやく自分の身体を見ることができた瞬間――


私の思考は完全に凍りついた。


闇の神獣の爪によって、革製のコルセットの側面は無残に引き裂かれていた。


金色のルーンが刻まれた透明な袖も、完全に裂けている。


そして――


完璧だったはずの白い肌には、肩から腹部へ向かって三本の赤い傷跡が走っていた。


そこから、本物の赤い血が細く流れ出している。


鮮やかな血が、破れた紫色のドレスの縁を赤く染め、黒い泥と混ざっていく。


---


[第四節:闇の中で砕けた私の自尊心]


「マガ……マガ=サマ……?」


ブリナの声が遠くから聞こえた。


怯えた少女が、水たまりの間を這うようにして私のもとへ近づいてくる。


私は、返事すらできなかった。


ただ、泥と自分自身の血にまみれた震える両手を見つめていた。


かつて東京で暮らしていた頃、私が感じた最大の痛みなんて、膝を擦りむいたときの痛みか、仕事のストレスによる頭痛くらいだった。


自分の肉が傷つき、血が流れるところなんて見たことがなかった。


ましてや――


死というものが、こんなにも現実的で容赦なく自分の肌を掠める感覚など、知るはずもなかった。


頭の中が完全に真っ白になる。


あまりにも突然の衝撃に、精神まで追いついてこなかった。


……私は、誰?


スプーンの反射に映った自分を見て、うっとりしていた、あの神聖で完璧な魔女はどこへ行ったの?


私の、誰にも傷つけられないはずの美しさは?


高級仕立ての美しい紫色のドレスは、もうボロボロだった。


その下の傷ついた肌は血に染まり、腐り果てた森の中で無防備に晒されている。


異世界の現実が――


たった一撃で、私の自尊心を引き裂いた。


地面に倒れた私は、あまりにも無力で、そして恐ろしかった。


数メートル先。


巨大なザルヴォクの影が、再び闇の中で立ち上がった。


闇狼はゆっくりと私へ歩いてくる。


まるで私の絶望を楽しんでいるかのように。


霧の中で、二つの赤い目が不気味に輝いていた。


もう『願いのグリモワール』を持ち上げる力すら残っていない。


ドレスは台無し。


身体は傷ついている。


そして、神獣は最後の一撃を放とうとしている。


私はゆっくりと目を閉じた。


もう、どうすることもできない。


――そのとき。


深い森の外側。


木々の隙間から、不思議な純白の光が差し込み始めた。


その光は、ザルヴォクのダークレスの魔力に真正面から抗うように、暗い森の中を照らし始めていた。

読んでいただきありがとうございます!私の夢はずっと異世界アニメを作ることでした。皆さんの応援をいただけたら嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。