↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やすらぎ亭の女将さん  作者: 篠原 千鶴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/23

第23話


街の危機が落ち着いてから、数週間が経った。日常が少しずつ穏やかさを取り戻していく。


宿も以前にも増して活気づいていた。街の人たちとの絆が今回の一件で、さらに深まったように感じる。


「ミーシャさん、今日は畑の見回り一緒に行きませんか」


ある日の午後、クラウスがそう誘ってきた。


「え、珍しいですね。クラウスさんから誘ってくれるなんて」

「たまには、いいでしょう」


そう言って、彼は柔らかく笑った。


畑を歩きながら、とりとめもない話をした。今年の収穫の見込み、街のこれからの発展、それぞれの宿の今後の方針。話題は尽きなかった。


「この畑も随分立派になりましたね」


クラウスが青々と茂るハーブや野菜を眺めながら、しみじみと言った。


「はい。六歳の頃、雑草だらけだったこの土地を見て、なにかの縁を感じたんです」

「六歳の頃から、そんなことを考えていたんですか」

「ちょっと、ませた子供だったので」


冗談めかしてそう言うとクラウスは声を上げて笑った。彼のそんな屈託のない笑顔を見るのは、なんだか新鮮だった。


畑の一番奥、ハーブの香りが特に強く漂う場所で、彼は不意に立ち止まった。


「ミーシャさん」

「はい?」

「今日、あなたを誘ったのには、理由があります」


その真剣な声色に、私は思わず息を呑んだ。


「以前、あなたが宿のことに専念したいと言っていたのを覚えています。あれから、街の危機も乗り越えて、あなたの立場も随分と安定してきたように見えます」

「はい、おかげさまで」

「だから、改めて聞かせてください」


クラウスは、真っ直ぐに私を見つめた。


「あなたの今の気持ちを」


その瞬間、心臓が大きく跳ねた。これまでの日々が一気に蘇ってくる。初めて出会った日、まかない料理を褒めてくれたこと、経営の相談に乗ってもらったこと、フィオナさんとの一件、告白を断った日、そして、彼が動揺した夜。


「私……」


言葉を選びながら、私はゆっくりと口を開いた。


「最初は、ただのライバルだと思ってました。効率重視のクラウスさんと温かさを大事にする私。全然違う考え方をする人だなって」

「ええ」

「でも、話をするたびに色んな発見がありました。クラウスさんの視点があったから、気づけたこともたくさんあります。それに」


胸に手を当てて、私は続けた。


「クラウスさんが、フィオナさんとの縁談を断って、自分の意志を貫いた時。なんだか、すごく誇らしく感じました。あの時、初めて自分の気持ちに気づいたんだと思います」

「ミーシャさん」

「今ならはっきり言えます。クラウスさんのことが好きです」


その言葉を口にした瞬間、なぜか、これまでの迷いや戸惑いがすっと消えていくのを感じた。


クラウスは、しばらく無言で私を見つめていた。それからゆっくりと、でも確かな声で答えた。


「私も同じ気持ちです。あなたと出会ってから、ずっと」


畑に優しい風が吹き抜けた。ハーブの香りが辺り一面に広がる。


「効率と合理性ばかりを重んじてきた私が、こんなに惹かれるとは思ってもみませんでした」

「私もまさかクラウスさんを好きになるとは、思ってなかったです」


お互いに少し照れくさそうに笑い合った。


「これから、正式にお付き合いしていただけますか」


改まってそう聞かれて私は素直に頷いた。


「はい。よろしくお願いします」


夕暮れの光が畑を優しく照らしていた。ハーブの香りに包まれながら、私たちは、これまでの道のりを、そしてこれから始まる新しい日々を静かに噛みしめていた。


遠くからこちらを見ているリナがちらっと目に入った。彼女は、満面の笑みでこちらに向かって親指を立てている。その様子に思わず吹き出しそうになった。


「なんか、見られてる気がします」

「ええ、間違いなく見られていますね」


顔を見合わせて私たちは声を上げて笑った。


こうして長い時間をかけて育ててきた想いが、ようやく形になった。まだこれから色んなことがあるだろう。それでも、この瞬間の幸せをしっかりと胸に刻んでおきたいと思った。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。