第23話
街の危機が落ち着いてから、数週間が経った。日常が少しずつ穏やかさを取り戻していく。
宿も以前にも増して活気づいていた。街の人たちとの絆が今回の一件で、さらに深まったように感じる。
「ミーシャさん、今日は畑の見回り一緒に行きませんか」
ある日の午後、クラウスがそう誘ってきた。
「え、珍しいですね。クラウスさんから誘ってくれるなんて」
「たまには、いいでしょう」
そう言って、彼は柔らかく笑った。
畑を歩きながら、とりとめもない話をした。今年の収穫の見込み、街のこれからの発展、それぞれの宿の今後の方針。話題は尽きなかった。
「この畑も随分立派になりましたね」
クラウスが青々と茂るハーブや野菜を眺めながら、しみじみと言った。
「はい。六歳の頃、雑草だらけだったこの土地を見て、なにかの縁を感じたんです」
「六歳の頃から、そんなことを考えていたんですか」
「ちょっと、ませた子供だったので」
冗談めかしてそう言うとクラウスは声を上げて笑った。彼のそんな屈託のない笑顔を見るのは、なんだか新鮮だった。
畑の一番奥、ハーブの香りが特に強く漂う場所で、彼は不意に立ち止まった。
「ミーシャさん」
「はい?」
「今日、あなたを誘ったのには、理由があります」
その真剣な声色に、私は思わず息を呑んだ。
「以前、あなたが宿のことに専念したいと言っていたのを覚えています。あれから、街の危機も乗り越えて、あなたの立場も随分と安定してきたように見えます」
「はい、おかげさまで」
「だから、改めて聞かせてください」
クラウスは、真っ直ぐに私を見つめた。
「あなたの今の気持ちを」
その瞬間、心臓が大きく跳ねた。これまでの日々が一気に蘇ってくる。初めて出会った日、まかない料理を褒めてくれたこと、経営の相談に乗ってもらったこと、フィオナさんとの一件、告白を断った日、そして、彼が動揺した夜。
「私……」
言葉を選びながら、私はゆっくりと口を開いた。
「最初は、ただのライバルだと思ってました。効率重視のクラウスさんと温かさを大事にする私。全然違う考え方をする人だなって」
「ええ」
「でも、話をするたびに色んな発見がありました。クラウスさんの視点があったから、気づけたこともたくさんあります。それに」
胸に手を当てて、私は続けた。
「クラウスさんが、フィオナさんとの縁談を断って、自分の意志を貫いた時。なんだか、すごく誇らしく感じました。あの時、初めて自分の気持ちに気づいたんだと思います」
「ミーシャさん」
「今ならはっきり言えます。クラウスさんのことが好きです」
その言葉を口にした瞬間、なぜか、これまでの迷いや戸惑いがすっと消えていくのを感じた。
クラウスは、しばらく無言で私を見つめていた。それからゆっくりと、でも確かな声で答えた。
「私も同じ気持ちです。あなたと出会ってから、ずっと」
畑に優しい風が吹き抜けた。ハーブの香りが辺り一面に広がる。
「効率と合理性ばかりを重んじてきた私が、こんなに惹かれるとは思ってもみませんでした」
「私もまさかクラウスさんを好きになるとは、思ってなかったです」
お互いに少し照れくさそうに笑い合った。
「これから、正式にお付き合いしていただけますか」
改まってそう聞かれて私は素直に頷いた。
「はい。よろしくお願いします」
夕暮れの光が畑を優しく照らしていた。ハーブの香りに包まれながら、私たちは、これまでの道のりを、そしてこれから始まる新しい日々を静かに噛みしめていた。
遠くからこちらを見ているリナがちらっと目に入った。彼女は、満面の笑みでこちらに向かって親指を立てている。その様子に思わず吹き出しそうになった。
「なんか、見られてる気がします」
「ええ、間違いなく見られていますね」
顔を見合わせて私たちは声を上げて笑った。
こうして長い時間をかけて育ててきた想いが、ようやく形になった。まだこれから色んなことがあるだろう。それでも、この瞬間の幸せをしっかりと胸に刻んでおきたいと思った。




