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氷姫の契約婚 虐げられた令嬢は炎の腕に抱かれる  作者: ななみ沙和


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閑話 干し柿2

 数日後、煌貴は最上級の妓楼の上階の部屋に向かった。

 花街で働いていれば、朱夏の当主の居場所はつかめる。名だたる妓楼の花魁を金に飽かせて侍らせ、派手に遊んでいるからだ。

 花街で働くときのお仕着せ――鼠色の着物を着て、とっくりとおちょこをのせた盆を手に階段を昇る。粛々と歩を進めていたが、最上階は勝手が違った。

 三味の音色と長唄の響き、女の甲高い笑い声が聞こえる。賑やかで華やかなさざめきが漏れる部屋の前には、用心棒らしき男たちがいた。みな筋骨隆々としてすさんだ空気をまとっている。男たちは煌貴を見とがめるや、横柄に詰問してきた。


『なんだ、おまえ』

『お酒をお持ちしました』


 緊張でひりつく喉から声を押し出す。男のひとりがふすまを開けて中に入り、すぐに戻ってきた。


『入りな』


 あっさりと許可が出たことに、煌貴は躊躇する。おおかた素性の知れぬ怪しい奴と追い払われるだろうと予想していたためだ。

ともあれ、男のあとに続いて室内に足を踏み入れた瞬間、煌貴はぽかんと口を開いた。

 真新しい畳が敷かれた部屋には明かりがふんだんに灯され、粉黛と酒の匂いがいりまじっていた。

 芸妓衆が並んで歌や踊りを披露している中、上座には血のような紅色の羽織を肩にかけた男が座っていた。

男は紅茶色の伸ばした髪をうなじで結び、胸に垂らしていた。着ているのは、血のような紅色の着物だ。着流し姿には色香がにじみ、両脇に侍る妓女よりも存在感がある。

妓女たちは結った髪に鼈甲の簪を大量に飾り、ひとりは男が手にした盃に酒を注いでいたが、煌貴を見るや目を丸くした。


『おい、ガキ。用事があるんだろ。こっちにこい』


 男に呼びかけられ、煌貴は緊張にすくみそうな足を無理やり動かす。

 目の前に立つと、男と自分の瞳の色がそっくり同じだと気づいた。血が凝ったような深紅の瞳からは、嫌でも繋がりを感じた。


『誰だ、おまえ』


 男は気だるげに問いかけ、煌貴は震える声で応じた。


丹霞たんかを覚えていますか?』


 丹霞は母の源氏名である。


『知らねぇな。いや、聞いたことがあったかな?』

『ご当主ったら……一時期、敵娼だったじゃないの』


 妓女が甘えるように寄りかかりながら笑う。


『今はおまえが一番だ』

『あら、あたしは一番じゃないの?』


 もうひとりの妓女が唇を尖らせるや、当主は女たちの両肩を抱いた。


『拗ねるなよ。どっちも甲乙つけがたい。ふたりともいい女だからな』

『うれしいわ、そんなふうに言っていただいて』

『ご当主、忘れないでよ、その言葉』


 笑い声が渦巻く中、煌貴は唖然としていた。

――なんだこれは。

 この薄っぺらい空気は、会話は、いったいなんだろう。

 金がない嘆きが常にそこかしこから聞こえる長屋と比べ、すさまじい格差だ。


『で、丹霞がどうしたって?』

『……丹霞は俺の母です』


 煌貴の返事を聞き、当主は眉を跳ねあげた。


『まさか、おまえは俺の子だとか言いだすんじゃねぇよな?』


 すごむ男を前にして、煌貴は腹を立てていた。

 苦しむ母を放置しているこの男が、どうしても許せなかった。


『そうです』

『おいおい、丹霞が何人の男と寝てたと思ってるんだ。客は俺ひとりじゃないんだぞ』


 あざ笑う当主につられたように笑いが広がる。煌貴は奥歯を噛み締めた。


『違うって言うんですか』

『おまえが本当に俺の息子かわからねぇだろって言ってんだよ』

『ご当主。丹霞姐さんは身体を壊したって聞いてるわ。この子は助けてほしいのよ』


 妓女が同情に満ちた口ぶりで言う。


『……欲しいのは金か?』


 端的な質問にうなずくと、男は露骨に失望をあらわした。


『つまんねぇな』


 当主が立ち上がるや、煌貴は思わず一歩後ずさった。

 暴力に慣れ切った圧を無意識に感じ取ったからだ。

 彼は左掌から無造作に刀を取り出す。あたかも鞘から抜くように自然な仕草に、煌貴は目を見張った。

 当主は抜いた刀の切っ先を煌貴の顔に突きつけた。


『この刀が欲しいんじゃないのか?』


 煌貴は言葉を発せずに喉を鳴らす。


『いいか。この刀は灼刀といって、妖魔を斬り殺せる。これこそ朱夏の当主の証だ。この刀を持っていれば、あらゆるものが手に入る。おまえが俺の子だって言うならよ。この灼刀を俺から奪ってみせな』


 刀は放熱し、焦げた臭いを放っている。煌貴は息を呑んだ。


『金だって手に入るぜ。当主の地位もな』


 刀身を頬に近づけられれば、火傷しそうな熱を感じる。


『どうする? 俺を殺すか?』


 煌貴は当主を見上げた。父親と呼びたくもないくらいに薄情な男を。

 欲しいのは、当主の地位などではない。


『金が欲しい』


 煌貴の返答に、彼はとたんに興味が失せたような顔をした。


『つまんない奴だな』


 当主は灼刀を左掌に収納する。怪我をしている様子もなく、不思議で仕方がない。

 彼は部屋の端に控えていた若い男に顎をしゃくる。男はそばにくるや恭しく巾着袋を当主に差しだす。  

 当主はそれに無造作に手を突っ込んでから、紙幣を撒きだした。

 紙切れがふわふわと散らされ、蝶が舞い降りるように畳に落ちる。


『さあ、拾え! 這いつくばれ!』


 煌貴はあわててしゃがみ、盆を放りだすと、紙幣を拾いだした。落ち葉のように降ってくるそれを、ひとつも残さないようにかき集める。


『ほら、おまえたちも拾っていいぞ』


 当主がそそのかせば、男も女も紙幣にむらがりだした。


『俺のだぞ!』 


 煌貴は手足を伸ばして紙幣を集める。

 必死だった。奪われるわけにはいかなかった。

 この金がなければ、母は死んでしまう。

 煌貴は紙幣を摑もうとした芸者の手を払う。が、こんどは男の手が伸びて横合いから金貨をかっさらおうとした。


『盗るな!』

『おい、俺の金だぞ。仲よく分け合えよ』


 当主は鼻で嗤い、紙幣を煌貴の前に放り投げた。


『可哀そうなおまえの母親への施しだ。大事に使え』


 煌貴は動きを止めた。

――あんたがそう言うのか。

 自分の息子かもしれない子を助けるでもなく、金を撒き散らす。

 この状況はいたわりではなく、憐れみでもなく、道端の野良犬に肉を放り投げるのと似ている。通りすぎれば忘れてしまうほどの存在。煌貴はきっとそういう位置づけだろう。

 怒りと屈辱で身体が震え、感情のままに吐き捨てる。


『くそったれ』

『お、かわいいことを言う』


 男は口角を持ち上げて笑う。


『悔しかったら、俺を殺しにこい。俺を殺して、灼刀の鞘になってみせろ。そうしたら、おまえは俺よりも偉くなる。名誉も富もすべて手に入る』


 煌貴は金をかきあつめ、懐に収められるだけ、収めた。

 それから慎重に立ち上がる。


『……覚えてろよ』

『生意気だな。でも、俺はそういう奴が好きなんだよ』


 当主は上機嫌になり、両脇の女の肩を抱いて笑う。


『まあ、がんばれ。待ってるぜ、おまえが俺を殺しにくるのを』


 煌貴は当主をひと睨みしてから、背を向けた。ふすまを勢いよく開き、階段を可能なかぎり急いで下りる。袷を押さえて、裏口から出た。


――追っかけてくるかもしれない。


 金を奪いにくるかもしれない。追い立てられるように駆け、妓楼が掌と同じ大きさになった場所で振り返った。

 追手は誰もいなかった。それを確認して、ようやく安堵の息をつく。

 煌貴は袂の金を両手で持ち上げた。かさばる紙から重量を感じ、高揚する。


――帰ろう。


 そして、明日の朝になったら医者を呼ぼう。

 母の病を治してもらう。それから、あんなふうに身体を売らなくても生きていけるようにするのだ。

 再び歩きだし、菓子を売る店の前を通りすぎかけたとき、足を止める。

 飴や干菓子のばら売りや、きれいな包み紙にくるまれた羊羹や外郎が並べられたその中に、笊に入った干し柿があった。

 濃い鼈甲の色をした干し柿は、母の好物だった。


『これを』


 煌貴が笊を指さすと、中年にさしかかった店主の男は、臭いものでも嗅いだように顔をしかめた。


『坊主、金がないなら、帰りな』

『金ならある』


 紙幣を渡すと、店主は何度も裏表にして確認しながらにらみつけてきた。


『偽金じゃないだろうな』

『疑うなら、朱夏の当主のところに行けよ』


 煌貴はそう言い放ってから笊を手にする。希望に背を押されるように足を速めた。


――きっと喜んでくれる。


 今までずっと無力感を噛みしめてきた。

 煌貴は母を助けられず、日に日に弱っていくのを、手をこまねいて見守ることしかできなかった。

 そんな状態をようやく変えられるのだ。真っ暗なトンネルを抜け、陽の光がさんさんと射す外に出られたような爽快感が心の端から広がっていく。

 常にぬかるみができている路地に足を踏み入れ、長屋に辿りついたときだった。 

 突然屋内から障子戸が吹き飛ばされる。

 煌貴は真正面から黒い影にぶつかられ、その場にひっくり返った。

 影は煌貴を踏み台に、天へと飛び上がる。

 煌貴は腰を抜かしていたが、頬が塗れていることに気づき、手でこする。

 掌には、べったりと血がついていた。


『母さん!』


 あわてて部屋に飛び込むと、室内は土間や天井にまで血が飛び散っていた。

 布団の上の母は身じろぎひとつしない。首はちぎれており、虚ろな目が煌貴に据えられている。

 煌貴はとっさに外に逃げ、顔を両手で覆った。


――嘘だ、嘘だ。


 きっと悪い夢に違いない。そう自分に言い聞かせるのに、心臓の音が耳の奥で大きく響く。血の臭いがこれは現実だと突きつけてくる。

 煌貴は目を開けた。足元には干し柿がある。

 ひとつ拾い上げて、口に押し込んだ。噛みしめようとするが、すぐに吐きだしてしまう。


――俺は、なんのために、あんなことをしたんだ。


 空を見上げれば、屋根から跳躍した黒影が月を覆い隠してから姿を消す。どこかから悲鳴が聞こえ――煌貴の意識はふつりと切れた。


 がくっと首を垂れてから、煌貴は目を覚ました。

 宿の縁側に座り、こぎれいに整えられた中庭を眺めながら鹿威しの音を聞いていたら、寝落ちしていたらしい。


――最悪だ。


 昼間に干し柿を見たのがいけない。あれのせいで、忌まわしい過去をたぐりよせてしまったらしい。


「煌貴、起きたんですか?」


 澪が部屋からにこにこしながら出てきた。


「すまない。寝ていた」

「いえ、いいんです。わたしもちょっと出かけたいたところですから。いかがですか?」


 煌貴の隣に座りながら差し出したのは、小皿に入った干し柿である。


「どうしても食べたくなって、その……買ってきたんです」

「……そうか」


 どう答えていいかわからずに口を閉ざしてしまうと、澪のまなざしに陰が宿った。


「もしかして、お嫌いだったのですか? わたしったら、お好きだと勘違いしてしまって」

「いや、好きだぞ」


 とっさに摑み、意を決してかじってみる。干し柿は拍子抜けするほど甘かった。

 澪が心配そうに煌貴の顔を覗く。


「どうですか?」

「……甘い」

「よかった」


 澪は心底ほっとしたのか、満面の笑顔になる。

 裏表のない表情を眺めていると、口の中の干し柿がよりいっそう甘みを増したように思えた。


「澪のおかげで甘い」

「そ、そうですか?」

「ああ」


 煌貴は口元を緩めた。

 澪がそばにいると、固く結んでいるはずの心がほどけていくような気がする。


「おいしいですね」


 澪は干し柿を口にして、笑み崩れる。

 舌に残ったかつての苦みが消えて、記憶の中の干し柿さえ甘くなっていく。

 闇を追い払う明かりのような澪の存在に、感謝せずにはいられなかった。


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