⑺ 民生委員 ~老紳士の尽力録~
※この作品には残虐性や出血を想起する表現が含まれます。
苦手な方や15歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。
彼女のところへ訪問したきっかけは、同じアパートに住む住人から『最近引きこもりみたいになってしまって体調を心配しているが、何かできないか』と相談を受けたからだった。
ひとまず状況を確認しようと何度も訪問してみるが、家の中に誰かがいる気配はしているものの反応がない。
玄関前を歩き周り、中の様子をうかがってでいると、その様子を不審に思ったのか配達員に声をかけられた。
「民生委員の佐田といいます。こちらのアパートにお住まいの方から相談を受けまして、こちらの方のご様子を確認に来たところなんです。」
と伝えて民生委員証を見せると「あゝ」と納得した様に頷き、忙しい様で「失礼しました。」とすぐに去っていった。
翌日、別件で役所に赴いていたところ窓口から
「配達員の方から佐田さんの所属確認をされていますが、お伝えしてよろしいですか?」
と内線がはいった。
すぐに先日訪問先で巡り会った配達員のことを思い出す。
ちょうどいいとばかりにお時間があればお願いしたいことがあるので相談室まで来てほしいと伝えてもらったところ、そのまま窓口の担当者に案内されやって来た。
配達員は仕事柄だろう逞しい体つきとは裏腹に、腰の低い柔和な面持ちの好青年であった。昨日の事をわざわざ役所に確認するあたり真面目な性格なのだろう。
何度訪問しても居留守を使われ、挨拶すらできず困っていることを伝え、
「次に彼女の元へ配達する際に同行させて欲しいのですが、ご協力いただけませんか?」
と聞くと
「会社に確認してからお返事させてほしい」と返された。
やはり真面目な返事だった。
数日が過ぎた頃、配達員の青年からの連絡を受け、待ち合わせ場所に指定した喫茶店へ向かう。
約束よりも少々早めに到着したので2人分のコーヒーを注文し、今日はどう切り出すかと眉間に皺を寄せたが、約束の時間ちょうどに現れた青年にやはり真面目だなぁと頬が緩んだ。
青年に誓約書を渡すと少し不安そうにしつつもしっかりと内容を読んでいる様だった。
ウィンクで軽い雰囲気を作って見せると青年の強張った顔にも笑みが浮かんだ。
落ち着く香りのコーヒーで気持ちを整え、「では、行こうか」とわざと明るい口調で自分に活を入れ、15年も相棒として頑張ってくれているスクーターにまたがり、アパートへ向かった。
目的の部屋の前で再び合流し、青年の後ろに立って様子をうかがっていると、彼女からの返事などは一切無く、キィと小さく開いた扉から骨と皮だけの手をのぞかせていた。
もしや耳が悪いのか?と手元のメモ帳に急いで書き込んで、そのページを切り取ると役目を終えて扉の向こうへ消えようとするやせ細った手を追いかけ、メモと民生委員の身元を示す委員証を差し出した。
『私はこの地区の民生委員です。
何かお手伝いできることがあればと思いお伺いしました。
お困りの事がありませんか?』
『 宇迦市 民生委員・児童委員証
氏名 佐田 大宣
担当 埴安地区
宇迦市長
平成9年12月1日発行 』
ーそれを受け取った枯れ枝の指が震えていたー
しわがれた「ぢょとまででぐだざぃぃ」という声に20代という前情報が間違いだったかと一瞬戸惑ったが、扉を閉め、がじゃがじゃとチェーンロックを触る音で気を持ち直し、配達員の青年に「またね」と笑顔でウィンクを飛ばす。
青年も驚いた様子だったので初めて声を聞いたのだろう。
戸惑いつつも軽く会釈し「じゃあまた」と階段へ向かって歩き出す。
ギィィィィとかなりゆっくり扉が開いて彼女の全容が見えて来る。
眩しそうに目を細めて覗かせた顔に一歩足を引いた。
眼下が落ち込み頬もこけ頭部は所々に隙間があり、抜け落ちた髪が肩や腕にまとわりついている。
どうぞと闇へ誘う枯れ枝に決意を固めて身を乗り出す。
部屋かどうかも定かでは無いと思わせるほどの闇へ目を凝らしつつ腰を折り上身をさしこむと、ギシリと何かが巻き付いた。
何が何だかわからないまま固い床に叩きつけられ、枯れ枝のものとは思えぬ強い力で抑え込まれる。
ー 彼女では無い何者かが私を襲ったのだ。
身を捩り足をバタつかせ、ぐうぐうとうめきながら少しずつ自由を得た腕を振り回すが、うつ伏せに抑えられているせいで上にまたがる何者かには届かない。
何とか正体を探ろうともがいているとヌチャリとした生ぬるいものが落ちて来た。
「やめろぉ!」と声を上げるが口元まで覆った布が邪魔をする。
ぼたぼたと生暖かいシミが広がり、次の瞬間右耳に熱と激痛が走る。
「がっっ!!ぁぁぁ」
声になりきらない悲鳴をあげ顔を振ると、頭を押さえつけられて左耳にも激痛がきた。
「あぁぁあがぁぁぁ!!」
身を縮め、鳴り響く梵鐘に脳を揺さぶられ、ふっと意識が途切れた。
気がついた時には白く四角い部屋で横になっていた。
うぁんうわぁぁんと何かが泣いている。
視線だけで周りを見ても誰も居ない。
何かがずっと泣いている…
そうしてぼんやりしていると、ガゴンと何かの音がした。
頭に響くその音に顔を顰めていると、知らない顔が笑顔で近づいた次の瞬間、
「キ゚キィがイがどぉぶカだどどぉぉオオオ」と何かが耳の中で騒ぐ。
吐き気を催すほどの刺激に身を捩り、さらに勢いを増す声に抗うすべなく翻弄された。
ーその後も“声”は付き纏い、今も私に荒波を運んでくるー
ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
連載間隔は不定期になりますが、できるだけお待たせしないよう頑張ります。
あなたの何気ない思い出の中にも小さな異変のかけらが落ちているかもしれません。
その欠片が動き出さないようお祈りしております。




