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私を裁いたその口で、今さら赦しを乞うのですか?  作者: 榛乃


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 時が、とまったような気がした。瞬きも、呼吸も、思考も、鼓動も、はたまた赤黒く色づく枝葉のざわめきや、鳥の鳴き声や、沈みゆく夕陽までもが、まるでこの瞬間を境に、ぴたりと動きを止めてしまったかのように。


 何を言われたのか、だからすぐには理解することが出来なかった。ベル様の口にした言葉のひとつひとつは、確かに耳に届いて、頭の中でぐるぐると渦巻いているというのに。助けたい。ルシエル様。死。死。死――。互いにぶつかり合い、個々の存在を主張しつつも、ぐちゃぐちゃに溶け合いながらそれらは暴れ回っているのに。言葉の断片が、まるで他人のもののように、ただの“音”として繰り返し再生されるばかりで、それをひとつに繋ぎ合わせ、意味として呑み込むことが、どうしても出来なかった。


「どういう、意味、ですか……?」


 やっとのことで絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。問いかける私の顔は、きっと見るに堪えないほどひどい有様だっただろう。唇は震え、頬は引き攣り、どうしてか分からないけれど、笑いたいわけでもないのに、顔には歪な笑みのようなものが浮かんでいるのが、自分でも分かったから。皮膚の内側から、痛いほど、ひしひしと。


 そんな私を真っ直ぐに見つめながら、ベル様は今度こそ、やわらかに表情を綻ばせた。口元も、目元も、ふわっと。やさしく、でもどこか哀しそうに。


「そのままの意味だよ」


 きっぱりと言い放たれたその短い一言が、とどめのように胸に突き刺さる。恐らく私は、本能で拒もうとしていたのだろう。理解することを。けれども、自分を守る為に本能で築いた壁は、音もなく崩れ落ちていってしまった。粉々に砕けて。だから私は、理解せざるを得なかった。それまで荒れ狂っていた言葉の数々が、まるで嘘のように、すとん、と胸の奥へ静かに落ちてゆく。それはとても冷たく、底に淀んだ瞬間、ひんやりとした感触が、波紋のように身体の内側に広がった。骨の髄の、その細部まで染み渡るように。


「君は知らないんだろうけど」


 そこで声を途切らせ、ベル様は言葉を選ぶように少し間を置いてから、ルシエル様のかんばせへそっと目を向ける。そんな彼の右肩で、青い小鳥が、物静かに私を見据えていた。愛らしいつぶらな黒い瞳で。けれどその奥には、どこか人間めいた意志と冷ややかさが滲んでいるような気がした。そのせいか、見透かされているような、ひんやりとした静かな圧を感じる。何にも語らない、小さな鳥のはずなのに。


「“聖女”っていうのはね、神の代弁者でもなければ、人間の導き手でもないんだよ、本来は。それらは全部、人間が勝手にでっち上げた“設定”に過ぎない」


 それは、私の中にある“聖女”という概念を根底から覆すような、木っ端微塵に打ち砕くような、衝撃的な発言だった。

 聖女とは、神から授けられる神託を聞き、それを人々へ伝え、導き、時には癒やしとなる――そういう存在なのだと、ずっと教えられてきた。大聖堂へ連れて行かれた日から、王都を追われるその日まで。何度も何度も。大主教の諭しを諳んじられるくらいには、幾度となく言い聞かされてきた。だから私は、“聖女”とはそういう存在――人間と神とを繋ぐ架け橋のような存在であり、且つ、人々を助け、導く存在なのだと、そう思っていた。そう信じていた。

 それなのに、まさかそれら全てが、人間が勝手に創り上げた“設定”だったなんて――。


「……では、“聖女”とはいったい、何なのですか」


 おずおずと尋ねると、ベル様はゆっくりとひとつ瞬き、自嘲とも苦笑ともつかない微かな笑みをふっとこぼした。彼の右肩から飛び立った小鳥が、沈黙の中にぱたぱたと羽音を響かせながら、扉の傍に置かれた小ぶりなゲリドンの上にふわりと降り立つ。以前にも少し思ったことだけれど――。ベル様の横顔越しに、鮮やかな青色の羽を纏った小鳥の、小さく丸い瞳を一瞥しながら思う。この小鳥は、他の鳥たちとはどこか違う、と。まるで人間のような“自我”を宿しているような気がする、とも。


「簡単に言えば、“保管庫”かな。ルシエルの聖力の一部を保管する為の、器」


 確かに、ベル様は以前言っていた。私の中にある“聖女の力”は、元を辿れば“ルシエル様の力”なのだ、と。この身には、つまり紛うことなき“神の力”の一部が宿っている。だから、病を癒したりとなどの人間離れした技を使うことが出来るのだと言われれば、それは十分に納得出来ることだった。とはいえ、あの日――アレク君が助かったあの日――の出来事を、信じられるかといえば未だにそうではないのだけれど。


「何でそんな“器”が必要なのかっていうと」


 長い脚を組み直しながら、ベル様はふと窓の外へを目を向ける。それはほんの一瞬の、でも確かにそこにある“何か”を見ていると確信の出来る眼差しだった。遠い――ここではないどこか遠いところを見つめているような、そんな物憂げな目。


「こういう時の為だよ。瘴気によって聖力を全て奪われたら、世界そのものが終わってしまう。だから、それを防ぐ為に、聖力の一部を“聖女”に預けてあるんだ。そうしておけば、聖力の完全な消失を防げるし、いざという時には補うことも出来るからね」


 ベル様の語る話は、何もかもが新鮮で。私が今まで思い込んでいた“常識”を、ことごとく覆してゆく。気の流れや世界の脈動のことはもちろん、瘴気の影響や、聖力と主神の関係、そして、聖女が謂わば“保管庫”であるということ――。

 

 大主教も、枢機卿も、専属の家庭教師たちもみな、そんなことは何ひとつ教えてはくれなかった。気の流れが何たるかを、それが主神にどういう影響を与えるのかを、そして聖女とは本来どういう存在であるのかを、彼らは知っていたのだろうか。知っていて、それを敢えて隠していたのだろうか。それとも私と同じように何も知らず、いつの時代かに創られた“設定”を信じ込んでいただけなのだろうか。

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