第十四話 翼をもつ民
「ヤガー、あなたはゲヴェルナで史上初の自由を手に入れた竜になるのよ」
リエナの言葉は300年の長きに渡ってこのゲヴェルナという一つの世界を見聞してきた彼の頭を大いに混乱させた。
こいつは世紀の大法螺吹きか……それとも……
先ほどから突拍子もないことばかりを言う人族のメスを見る目を細める。
綺麗な金色の髪を手作りのリボンで無造作にアップにしたその姿は飾った様子がまるでない。むしろ質素すぎるくらいだ。少なくともその姿はヤガーが今までに見てきた自称”高貴な方々”とは、まったく異なるものだった。
異形の人族、それがまさに彼のリエナ・アントーニアに対する偽りのない印象だった。
地上四階の城館の屋根の上で、しかも自分よりも数倍大きな体の竜に咥えられた状態で、よくもまあこれほど頭と舌が回るものだと関心する。
飛竜は竜族の中でも小さい部類に入る。連絡飛竜などに使われる小竜と火竜(赤竜)の中間に位置する大きさだ。人族に生活圏が近いこともあって飛竜の知能水準は竜族の中でも群を抜いて高いとされていた。
創意工夫によって技術や社会システムなどを向上させる人族ほど彼らの知的好奇心は高くなかったが、彼らは人族より圧倒的に長い平均500年という寿命を持っているため、その代わりに経験に裏打ちされた老成した見識を備えているのだ。
しかし、その経験を持ってしても、自分の民になれ、と嘯く人族の小娘の内奥を推し量ることができないでいた。
「ううむ……」
ヤガーは唸る。実際に彼の喉は地鳴りの様な低い音を発していた。リエナが振り返る。金色に輝く瞳に映る自分の姿を見てヤガーはぎょっとする。そこには眉間に深い皺を寄せて困窮している一匹の成竜がいるからだ。
「ねえ、私たちの話はまだ途中だけど、さっきの提案の返事を聞かせてもらえない?」
真剣な眼差しだ。しかし、口元を僅かに綻ばせているように見える。これではまるでどちらが主導権を握っているのか分からなかった。
滑稽だな……これが“魔の知恵もの”を自称する種族の姿か……このオレがさっきからこんな人族の小娘に押されっぱなしではないか……だが……
不快ではない、と彼は思った。そう思うとすっかり翻弄される自分の姿を想像して途端におかしさがこみ上げて来る。
「ふふふ…… ははは! はっはっは!」
リエナの体は激しく中空で上下する。飛竜は全身を揺らしていた。傍目には不気味な唸り声を上げて威嚇しているようにも見えたが、念話の声は笑っている。その笑い声は今までの様な剣呑な雰囲気を微塵も感じさせない。何処か吹っ切れたかのように快活だった。
「どうやら腹つもりは決まったみたいね」
ひとしきり笑った後でヤガーは、リエナの言葉に小さく頷いていた。
「おもしろいことを考える人族だな。お前みたいなヤツは初めてだ。そうか、オレは自由になるのか……考えてみればオレは今まで自分が自由になって、誰にも命令されずに飛びたい時に飛んで、水浴びしたいときに水浴びするなんて生活など考えたことがなかった。そういう生き方もあるんだな……」
「そうよ。まだ、いろいろ細かいところで手を打たないといけないところはあるけど、ね」
リエナがウィンクして見せる。
こいつ……
ヤガーもふっと笑みを浮かべる。
「そうと決まればそろそろ私を降ろして……えっ……」
ああ、と言いかけてヤガーはふとリエナの異変に気がついた。さっきまで自分に対して一歩も引けを取らなかった強気の顔から一転して血の気がみるみる失せていく。
腰の辺りから布地が破けるような音がしていた。
「ウソ……ちょ、ちょっとヤガー!これってやば……きゃああああああ!!」
「ア、アントワネット!!」
破れる音がやむとリエナの小さな体が今度は真っ逆さまに落ちていく。この様子を地上から見ていた城兵や召使たちは一斉に叫び声を上げた。牙の隙間に残った僅かな布の切れ端をペッと吐き出すと、ヤガーもリエナの後を追う。
バサッバサッという大きな音と共に嵐のような強い風がリエナを襲う。眼前に迫っていた城の石畳が目の前から消え、視界が真っ黒になった。その次の瞬間、どんっという強い衝撃がリエナの全身を駆け巡った。
「私……死……んでない……」
固く冷たい感触が伝わってくるが、明らかに石畳のそれとは異なっている。リエナは恐る恐る目を開けた。大きな籠の中だった。それが木枠と籐で作られた頑丈なバスケットであることに気が付くには少しの時間を要した。
風を感じる……
夏の夜とは思えない冷たい風だった。頭が朦朧とする状態でようやく上体を起こす。
「気が付いたか?」
ヤガーの声がする。しかし、それ以外の音は何も聞こえない。
「こ、ここはどこなの……?」
「ここはオレの世界だ」
「あなたの?」
リエナはゆっくりと籠の淵に手をかけると、ゴンドラからおずおずと顔を出した。
「すごい……これが……これが飛竜の世界……」
「そうだ。人間が現れる以前の太古の昔よりオレ達が守り続けていた場所だ。ここにはオレ達を押さえ付けるものはなにもない。上には雲と星々が、そして下には大地のみがある」
リエナは固唾を呑む。眼下にはヴァーリーリエ城が小さく見えていた。城の周囲を取り囲むようにかがり火が付いており、領内をすっかり隅々まで見通していた。
「素敵……なんて天は高くて、そしてこの大地は広いんだろう……」
地平線の彼方に沈んでいく黄昏の光に目を見張った。そこには果てない大空と大地があった。その真ん中で人間たちだけが汲々としているのだ。
「世界が狭いんじゃない……私たち人間がきっと勝手に雁字搦めになって生きているだけなんだ……」
息を呑むほどの美しい世界に境界線は見えない。
自由……これがきっと……本当の自由というものなんだ……私はまだその本質を理解していなかったんだ……
「ははは!面白い!面白いぞ!アントワネット!オレはきっとこの世界で初めての自由な竜だ!」
「そう!あなたは竜!この世界で初めての自由な竜!」
ヤガーの雄叫びが何度も大気を切り裂いていた。しかし、それは恐ろしくもなんともなかった。リエナの耳には歓喜の歌のように感じられた。
「ねえ、ヤガー!」
「なんだ?アントワネット」
「騒動の全てが片付いたら契約書を書いてあなたに渡すわ」
「そんなものは必要ない」
「え?」
ヤガーの発した意外な一言にリエナは戸惑う。ゴンドラの中でキョトンとしているリエナをヤガーが振り返る。
「オレはもう自由なんだろ?自由なのに契約する必要があるのか?」
リエナはふっと口元に笑みを浮かべた。
「いいえ、必要ないわ。だってあなたは自由だもの。じゃあ、このままヴァーリーリエに向かってもらえるかしら」
「いいだろう!しっかり捕まっていろ!急降下だ!」
少し、時を遡る。
リエナが新たにペットになったという飛竜の前に立った時、反対側の尖閣の屋根には二つの魔法陣が二つ浮かび上がっていた。
「あ、あれは……」
木人形に取り押さえられていたシエルの目には、木人形たちが現れた魔法陣とは明らかに異なる形と色をしているように見えた。
「も、もしかして……あれは……騎士マ……」
夢見がちな乙女はこの期に及んでも騎士マーヴェラスの登場を期待していた。
「バカを言うんじゃないよ!あ、あれはデュブロイ式転移陣じゃないの!」
「うぇぇ……ひどいよぅ……」
あっさりギョームに全否定されて再びグシュグシュと嗚咽をシエルは再び上げる。
目と鼻の先というには距離があったが、それを見ているギョームは30cm程度の小振りの杖を握り締めたままわなわなと体を震わせるしかなかった。
転移魔法陣は魔力攻撃で破壊することが出来る。もし、何らかの理由で出口を破壊されてしまうと移動中の人間は次元の狭間を永久に彷徨うと言われていた。しかし、魔法陣の破壊には発動している魔力以上の魔力を必要とされる。ギョームはそれを破壊する自信が全くなかった。
「おや、幾らでも魔法陣を破壊する時間はあったと思うが余裕綽々だな?それともお情けで見逃してもらったのか」
2つのうちの1つを庇う様に手前の魔法陣の中からネルがゆっくりと姿を現した。
「お、おのれ……魔導師でありながら世俗に与する愚か者め……所詮はレアに唆された異端者!恥を知りなさい!」
「やれやれ……その言い草……まったく悪竜の関係者っていうのはワンパターンでいかん……」
ネルはため息を一つ付くと、自分の目の前で大粒の汗を額に滲ませている同業者のものとは比べ物にならないほど大きなマデライトが付いた杖をおもむろに構える。
「どうやって私の広域結界を搔い潜ってきたのかは知らんが、三等導師にしてはまずまずの仕事だ。褒めてやるぞ?」
ネルから少し遅れて現れたグラハムは真っ青な顔で屋根にひざを付く。彼の顔は真っ青だ。両手で口を押さえている。
「うっぷ……き、気持ち悪い……お、お前……今度から転移する時はちゃんと僕にそう言え……」
「ヴィ……ヴィッテルスバッハ様!!」
いた……本当にいたんだわ……私にも……私にも騎士マーヴェラスが!!
グラハムの姿を見たシエルの顔にパアッと喜色が浮かぶ。名前を呼ばれたグラハムは声の方に血走った目を向ける。そこには木人形たちとシエルが人間ピラミッドを作っていた。当然、シエルは最下層にいた。
「フ、フローラ殿……待っていろ……い、いま助け……うえええええ!!」
無常にもシエルが待ち焦がれた救世主は真っ青な顔で激しい嘔吐と戦っていた。まるで船酔いにやられたような姿だった。
「あ、あのぅ……だ、大丈夫ですかぁ?」
「すまん……全然大丈夫じゃない……」
「ちっ!助けるはずの相手から気遣われるとか……馬ヲタマジ使えねえわ……」
ネルはやれやれといった様子で肩をすくめた。
「誰のせいだと思っているんだ!うえええ!お、お前が!うえええ!何の心の準備もないまま!うえええ!ぼ、僕を魔法陣に蹴り入れたせいだろうが!うえええ!!」
「吐くかしゃべるかどっちかにしたらどうなんだ?」
「う、うるさい……」
グラハムの声はすっかり弱り切っていた。助けに来たというより、要救助者が余計に増えたような感じさえする。
「い、一体何があったんですか?」
シエルが遠慮がちにネルに尋ねる。
「安心しろ、ヴェンデンの娘。そいつは転移酔いをしているだけだ。命には別条ない。放っておけばいい」
「で、でも!こんなに苦しんでますよ!ほ、本当に大丈夫なんですか!?」
いや、少しは魔物に取り押さえられている自分の心配をしろとネルは思ったが、おそらく自分のことより周りの人間を心配する、そういう奇特な性格の少女なのだろうと思い直した。少なくともコミュ障とアスペくらいしかいない魔導師の目にはシエルの言動は奇異なものにしか映らなかった。
「空間転移中の気持ち悪さは異常だからな。話だけ聞けばとても便利だから儲かりそうなものだが、残念なことに誰もホイホイと使いたがらないから転移魔法は全然流行らない。現に私の姉弟子は転移魔法を使って旅行会社のベンチャーを起業したが、ツアー客全員を療養所送りにしたせいで三カ月で廃業した。人によっては3日から下手をすれば1週間くらい悪心、嘔吐、頭痛、眩暈などで苦しみ続ける。だがそれで今までに死んだ奴はいないと姉弟子から聞いているから大丈夫だ。たぶん……」
「おい……なんで“たぶん”だけ声が小さいんだ……うえええ!!」
神様……本当に私は助かるのでしょうか……
シエルの顔が僅かに曇る。
「それにしても……」
ネルはグラハムとシエルから視線を正面に立っているギョームの方に視線を向けた。
「お前の主は一体何を考えているんだ?これ見よがしに飛竜を使って登場とは随分と柄にもないことをするじゃないか?フレイア国軍もお前とグルなのか?」
「う、うるさい!お、お前に答える必要なんてないのよ!」
「ふふふ、どうやら図星らしいな。最初は外国勢力の存在を匂わせて帝国側の動揺を誘う謀略かとも思ったが、それにしてはやることなすこと全てが行き当たりばったり過ぎる。オークに木人形となりふり構わなかったところを見ると……」
ネルはシエルの方に視線だけを送る。
「大方、ヴェンデンの戴冠式に向かうリエナの行列の道中を飛竜で襲う計画だったのろうが、全く予期しないところでヴェンデンの家宝を盗み出して騒ぎを起こしたヤツが現れて全てが台無し。そこで宝刀を所持しているヴェンデンの娘をここまで追い立てて宝刀だけ奪おうとした、まずはそんなところだろうな。城内に中途半端に固有結界を張ったのも、オークを召喚したのも増援がこの場に現れないようにするため。まったく……搦め手専門の悪竜のやることにしてはどうも姿が見えすぎると思ったよ……」
ギョームはネルの言葉に顔をしかめていた。
「お、お前には関係のない話よ!それに悪竜などと無礼千万な物言い!恐れ多くも大魔神皇猊下に向かってそのような無礼!断じて許しませんよ!」
「大魔神皇猊下とか、聞かされる方の身にもなれ。恥ずかし過ぎて赤面ものだ。黒歴史ってレベルじゃねえぞ。カルトの日陰者が付ける名称はどうにも厨二臭くて適わん。もうまとめて[検閲]学会の会長でいいだろ」
「ネ、ネル……と、特定の宗教団体に……喧嘩を売るのはマジでやめろ……失礼にも程が……うぷっ!」
どんな時でも突っ込みを忘れないグラハムはさすがだ。
「ぶ、無礼な口をきくんじゃない!これでも食らいなさい!」
激昂したギョームは杖をネルに向けるとぶつぶつと何事かを呟く。真っ赤に燃える炎が杖の先からほとばしる。
「焔の妖精カノーピスは言った。その闇を照らして我が道を指し示すべし」
放たれた炎が束となって一直線にネルに向かっていく。
「きゃあああ!」
ネルの後ろで小さな背中を見ていたシエルは、自分の方に唸り声を上げて向かってくる火柱を見て恐怖のあまり思わず目を瞑った。
「やれやれ……妖精風情の炎が私に通るとでも思っているのか……」
ネルは持っていた杖を構えると下から上に火柱を切り上げた。炎の束はたちまち小さな火の粉となってあたりに霧散していく。
「あ、あれを無詠唱で……ば、バカな……ありえない……」
「私の体に煤の一つでも付けたければ、最低でも火竜くらいは連れて来ることだな。まあ火竜でも無理なんですけどね」
「す、すごーい!!すごいです!!魔法使い様!!」
シエルは目を輝かせて羨望と尊敬のまなざしをネルに向けていた。わずかにネルは頬を染める。シエルに過剰に褒められてまんざらでもないらしい。
「おっと……そうだった。すっかり囚われの姫君を助けるのを忘れていた」
ネルはシエルを取り押さえている木人形の方に杖を向ける。ドンっという衝撃を体に感じたかと思うとシエルはふっと自分の体が軽くなっていた。シエルを残して木人形たちは全て宙に舞っていた。
「このモブたちはなかなか楽しめたぞ。それに、今時、古代ジュライ式というのも興味深かった。だが……」
パチンと指を鳴らすと辺りをゆらゆらと漂っていた無数の火の粉がネルの指先に集まり始め、それは直径50cm程度のファイアーボールになる。
「こいつらはもう用済みだ」
一顧だにせず、練り上げたファイアーボールを後ろに向かって放り投げると、木人形たちはいっせいに炎に包まれる。
「もはや大勢は決した。降伏しろ。お前にはいろいろ聞きたいことがある……らしい」
「はっ!降伏などこの我輩がするとでも思っているのか!」
「ですよねー、私もその点に関しては禿げ上がるほどお前に同意なのだが、うちのスィーツ(笑)がどうしてもというのでな。お前を捕えねばならん。まあ、結界の無力化については私も少しは興味があるのだが、どうせ拷問にでもかけなければおいそれと話さないだろう?だったらめんどいからもう火達磨にした方が色々捗るんじゃねと考える俺ガイル」
「くっ……」
圧倒的な力量差を目の当りにしてギョームの奥歯がギリッと鳴る。ネルが向こう側の尖閣から現れた時から予感していたことだったが、とても太刀打ちが出来る相手ではない。明らかに進退窮まった、という表情だった。
「さて、まだ俺のレイズの権利が残っているぜ!てめえに悪竜の企みの秘密をしゃべってもらう!」
ネルがギョームを指差したまさにその時、まるで噴水のようにギョームの口から赤い鮮血が吹き出し始めた。
「うわーう!」
眼球が飛び出し、舌が溶け落ち、肉という肉はまるでバターのように溶けて血と混ざり合っていく。
「な、なんだと…… しまった…… 悪竜め! 自分の手駒まで!」
「げ、げいひゃあ……ひょ、ひょんなあ……あんまりれふ……わ、わらいは……な、なひも……ひゃへって……い……な……」
「ひいいいっ」
グラハムの傍らにいたシエルは思わずその場にしりもちをつく。腰が完全に抜けてしまっていた。ネルはギョームに向かって駆け寄ろうとした足を止める。助からないことは明白だった。
じゅうじゅうと音を立てて血と肉で出来た液体が沸騰する。あまりのことにその場にいた全員が言葉を失っていた。
「な、なにが起こったんだ……いったい……」
グラハムはそこまで言うのがやっとだった。
「こいつは・・・…こいつは恐らく”禁呪”を受けていたんだろう……迂闊だった……」
激しい怒りに身を焼かれる。ネルは血煙りの中から現れた白い骨の山を睨みつけていた。その雰囲気を察したグラハムとシエルはそれ以上何も言わなかった。
間違いない……これは……禁呪グランディエの印……
「私は……また防げなかった……禁呪を……」
お師様……
ネルは天頂に瞬き始めた星々を見上げていた。
ヤガーに乗ったリエナがヴァーリーリエ城に舞い戻ってきたのはこのすぐ後のことだった。




