第十二話 黄昏の決闘(血統):後篇
「何をぼやぼやしていやがるのです!さっさとこっちに家宝を渡すのです!」
甲高い耳障りな声だった。いや、不快なのは声色だけではない。顔色の悪い男が話すヴェストリアの言葉には、鼻に抜けるような東部アルヴィオンの特徴的な訛りが混じっていた。
「い、嫌です……」
騒ぎがここまで大きくなってしまったのは不本意だったが、まだシエルは御家再興の一縷の望みに賭けていた。
「くふふふ、まあ分かっていましたよ。おいそれとは家宝を渡せないってところですかねえ?くふふふ。でも、幾ら強情なお前でもこれならどうですかね?」
ギョームはいかにも陰湿そうな濁った瞳を閉じると蚊の泣くような小さな声で何事かをつぶやいた。ドーム型の尖塔の屋根に半径1mほどの光の輪が、屋根にしがみついているシエルを取り囲むように幾つも現れる。魔法陣だった。
「ひっ!」
「おいでませ!我が僕たち!深遠の森の護人ラグロは言った!虚に木霊宿りたる時、其は人となる!」
この様子を反対側の尖閣から見ていたリエナは目を見開いた。
「あれって……さっき散々私たちの邪魔をした木人形じゃないの!」
光の輪の中から次々と木人形が現れる。
「ま、また木のお化けだよぅ……だ、誰か……誰か助けてぇ!!」
自分に向かってゆっくりと近づいてくる木人形を見るシエルの顔は引きつる。手に持っていた抜き身の宝刀をいきなり振り上げるといきなり振り回し始めた。
「いやだあ!来ないで!来ないで!」
片膝立ちの状態でふらふらしながらもシエルの切っ先は意外にも様になっていた。シエルの背後にいた一体が間合いに入る。
「ひゃああ!いやああ!」
振り向きざまに宝刀を真横に走らせると、それは果たして木人形のわき腹を見事に捉えていた。剣先が浅く入っただけだったが木人形がバランスを崩すには十分だった。ガラガラとけたたましい音を立てながら木人形は落下する。
「やっるぅ!あの子なかなか使うじゃない!」
リエナは思わず右の指を鳴らしていた。とても涙目の顔からは想像出来ない奮闘振りだった。
「あ、危ない!何か落ちてくるぞ!まさか!ヴェンデン伯の娘では……」
「違う!よく見ろ!さっき展望室で俺たちの邪魔をした木偶の坊だ!!こっちに落ちてくるぞ!!下がれ!!」
尖閣の様子を遠巻きに見つめていた近衛の少年たちが口々に叫びながら、まるで雲の子を散らしたように彼らが後ろに下がる。城壁に衝突しながら落下していた木人形はやがて少年たちの前で叩き付けられ、彼らの頭上に木片を撒き散らした。
「ぐぬぬ!よくもやってくれやがりましたね!おまえたち!何をしているの!一斉にかかりなさい!相手は小娘たかが一人ですよ!」
飛竜の上でギョームは地団駄を踏む。それぞれが好き勝手に行動していた木人形たちだったが、今度は一転してシエルを取り囲む動きを見せ始めた。さすがにこうなると雑魚も同然の木人形が相手でも厳しくなる。
「不味いわね……数に物を言わされるとあの子じゃ厳しいかも……」
この辺りが潮時だとリエナが思ったまさにその時、スカートの中から紳士の声が聞こえてきた。
「おいうつけ!いい加減にしろ!いったい今何が起こっているんだ!僕にも見せろ!」
そう言うと、グラハムはいきなり窓枠に手を掛けるとリエナを肩車したまま懸垂のように自分の体を持ち上げ始めた。
「ちょ、ちょっと!!ヨハン!!暴れるのはやめて!!きゃああ!!」
まるで歌舞伎の舞台にある“すっぽん”のようにリエナの体が天窓から姿を現す。
「あ、相変わらずバカ力ね……落とし穴に嵌まったマクシマスを貴方一人で抱え上げたって噂が立つのも納得だわ……」
呆れたようにリエナは呟くと、スカートを膝頭までたくし上げてドーム型の尖閣の上に立つ。屋根の上は予想以上に強い風が吹いていた。
「それは悪質なデマだ。僕が一人でマクシマスを持ち上げられるわけないだろ。僕は単に両方の前脚を持って引っ張り上げただけだ。そんな根も葉もない噂話にいちいち騙されるな、うつけ」
ややそれに遅れて窓枠に足をかけていたグラハムは、リエナの横に並ぶと目を合わせてきた。
「それだけやれば十分根も葉もある話だと思うのは私だけかしら……きゃっ!」
突風に煽られたリエナがバランスを崩す。グラハムは咄嗟にリエナの腰に手を回すとぎゅっと自分に抱き寄せていた。
「おい気をつけろよ、うつけ。お前の身に何かあっては僕が困るからな。まあ、裸足のお前の方がブーツの僕より足を滑らせにくいとは思うが、ドレスを着たままではやはりこの場所は危険だ。だが、安心しろ。僕はお前を決して放したりはしない。最後の一瞬までだ。それが僕の願いだ」
その時、夕日を背にした赤毛の紳士の前歯は間違いなくキラッと光っていた。
「なっ……なに……言っているのよ……」
思わずリエナが頬を朱に染めて身をよじると、すぐ隣にネルの姿があった。
「ネ、ネル!?ど、どうして貴女がここに?オークと戦っていたんじゃなかったの!?」
理想的な幼児体型の持ち主はリエナと眼が合うとチッと小さく舌を鳴らした。
「え?いま、私、チッて言われたの?もしかして」
「偉大なる大魔道師アル・フトレは言った(※ 生涯で69回お見合いをして玉砕した。因みに後年の持ちネタは”俺、69の経験だけはあるんだぜ”だった)。愛でるだけの無害な児ポルより、聖☆少年の育成を著しいストレスで阻害するラヴコメの方がむしろ害悪である……それを放置する自称識者の亡国の徒はSATSUGAIせよ……と。引用以上。私も実に同感だ。おい、誰か、壁をもってこい」
「時々思うんだが……お前、一体、誰と会話しているんだ?ネル……ぐはっ!」
ネルはグラハムのわき腹に肘鉄を食らわせると、身の丈にあっていない杖を向こう側の尖閣に向ける。
「そんなことを言っている場合か?このクソったれバカップルどもが。ヴェンデンの娘が思いっくそピンチじゃないか……」
杖の先では孤軍奮闘を続けていたシエルだったが衆寡敵せず、木人形たちについに捕えられていた。おまけにやや赤みがかった鱗を持つ大型の飛竜が本館の屋根に降り立ち、ゴンドラに乗っていたギョームがゆっくりと尖閣の方に向かっている姿があった。
「シエル!」
「フローラ殿!おのれ……女一人になんて卑怯な……それでも男か!!恥を知れ!!」
グラハムはいきなりブーツの横に挿してあった短剣を引き抜くと、本館の屋根に向かって駆け出す。
「ヨハン!待って!私も行く!」
リエナもそれに置くレジと続く。
「おっと少し待つんだお二人さん。私の話を聞け。五分だけでもいい」
駆け出す二人に気が付いたネルは、十分に狙いを定めてグラハムの足を杖で引っ掛けた。
「うぎゃあああ!」
屋根の上で赤毛の大男はいきなり転倒するとそのまま屋根を転がり落ちていく。
「ヨハン!!いやあああ!!」
危うく転落、というところで辛うじてグラハムは雨樋を掴む。グラハムの両の足は完全に屋根からぶら下がった状態だった。
「ちょ、ちょっと!!ネル!!なんてことをするのよ!!危ないじゃない!!」
「あ、すまん。だが、魔導師でもないただの人間が下手にあの男に手を出すのは危険なので止めたかったんだ」
「これじゃどっちが危険なのか分からないじゃないのよ!!」
「それはまあ正論だな」
「ちょ、ちょっと……おまえら……そんなことはどうでもいいから……早く何とかしろ……」
雨どいにわずかに指がかかっている状態で辛うじてグラハムは自分の体を支えていた。並みの握力ならすでに落下して居てもおかしくなかった。
地上ではリエナたちの存在に気が付いた使用人や近衛兵たちは口々に叫び声を上げる。
「おい見ろ!あそこ人が!」
「ヴィッテルスバッハ卿と姫殿下だ!!あんなところにおられるぞ!!」
「あ、危ない!はやくなんとかしないと!」
ただでさえ飛竜の出現によってヴァーリーリエ一帯から多くの人々が詰めかけて来ていたため、大手門近くに陣取っていたヴェンツェルの周囲は混乱を極めていたが、リエナとグラハムが右側の尖閣の屋根に姿を見せた事に寄って更に騒ぎが拡大する一方だった。
一国を統べる将器と誉れの高いヴェンツェルだったが、さすがの彼も自分の配下の大半が年端もいかない少年士官では限界がある。
「まったく……あれほど自重なさるようにと釘を刺したつもりだったが、何をやっていたのだ……」
ヴェンツェルは眉間に深く皺を刻むと小さく舌打ちをし、ズカズカと大股で本館に向かって歩き始めた。
「ここは任せた。俺は姫殿下を迎えにいく」
「は、は!」
きらびやかな近衛士官の軍服に身を包んだ彼の副官は慌てて敬礼をする。ほとんど反射的な行動だった。
「あ、あの!その……えっと……どちらへ?」
「姫殿下と三男坊を迎えに行く」
声をかけられたヴェンツェルは一瞥もくれずに答える。
一方、今にも落ちそうなグラハムに向かってリエナは手を伸ばしているところだった。
「ヨハン!私に捕まって!」
自力で必死に這い上がろうとするグラハムの顔は真っ赤だった。
「ば、バカやろう!お前には無理だ!僕に構うな!」
「何言ってるのよ!そんなこと出来る訳ないじゃないの!」
「お前の細腕で……無理に決まってるだろ!」
二人のやり取りを見ていたネルはぼそっと呟く。
「コイツの言うとおりだぞ、リエナ。そんな危険なことをしなくても魔法で引き上げれば済む話だ」
ネルは終始マイペースだった。その言葉を聞いたリエナはネルをキッと睨んだ。
「だったら早くしなさいよ!なにグズグズしてるのよ!」
「いや……何か間に入りにくかったし……」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!!」
「やれやれ……最初からこっちはそのつもりだったんだが……」
ネルはぶつぶつと独り言をつぶやき始めた。その途端、グラハムの周りが青白く輝き始め、たちまち190cm近い立派な体躯の持ち主は軽々と宙に浮く。
「お、お、お」
いきなり屋根の上に向かってグラハムは放り投げられていた。
「ぐはっ!」
背中を強打して一瞬呼吸が止まる。
「お、お前……シャレになってなかったぞ……死んだらどうするつもりだったんだ……」
「いや、地上に叩き付けられてミンチになる前に引き上げていたから問題ない」
「僕はお前のその感覚が十分問題だと思うが……」
「大丈夫だった?ヨハン、なんともない?」
埃を払うグラハムにリエナは声をかける。
「ああ、なんとかな……そんなことよりなぜ止めるんだ、ネル。あのままだとあのヴェンデンの娘が攫われてしまうじゃないか」
グラハムはネルの方を見る。
「安心しろ。あの三等導師の目的は宝刀だけだ。娘にはまったく興味がない筈だ。宝刀さえ手に入ればあの娘はその辺に放り出されるだけだ。攫われたりはしない」
「すまんがお前と違って僕には安心できる要素が何一つとしてないんだが……」
「まあ、牽制もかねてお前たち二人に見てもらいたいものがある。少し付き合ってくれ」
そう言うと、ネルはまるで釣りのオーバースローのように魔導師の杖を天に向ってかざし、聞き取れないような小さい声でボソボソと詠唱を始めた。
その途端、夏の黄昏時の光よりも強い黄金色の閃光が、バリバリバリという耳を劈く轟音と共に杖の先に埋め込まれているマデライトからほとばしった。
それは一番星が煌めき始めた天頂に向って一気に放たれる。
「閃光の精霊リリアームは言った……人共よ、汝、闇を切り裂きてその盲を払え……と。私も実に同感だ。活目するがいい愚民ども」
威勢のいいネルの台詞とは裏腹に、素人目にも上空の様子に何も変化の兆候が現れない。
「……」
リエナはネルと目が合いそうになると慌てて視線を逸らした。
グラハムも口をぽかんと開けて空を見上げていたが、リエナとは対照的に空を指差しながらネルに視線を自ら向けてきた。
「えっと……今のはまさか失ぱ……」
「断じて失敗ではない。ましてMPが足りなかったわけでもない。やれやれ……どこぞのミニデ○モンと一緒にしないで欲しいものだな……まったく……」
これだから素人は、と言わんばかりにネルはオーバーに両肩を竦めて見せる。
「だから色々危ない橋をグレイズしながらスレスレで渡るのは止めろと言っているんだ!」
「落ち着け馬ヲタ」
「おい……おまえ今なんつった?」
ネルはグラハムとリエナの方に向き直ると一つため息をつく。
「はあ……それどころではない……これではこっちは大赤字だ……魔力だってタダじゃないんだぞ……」
「どういうことなんだ?僕にももっと分かるように説明してくれ」
「マグナブルクに限らず、人間どもが安全無事に開拓地で魔物に襲われずに平穏をのうのうと貪れるのは、領主たちと契約した私たち魔導師が領内に封魔の広域結界を張るからだ」
リエナははっとした表情を浮かべた。
「それってもしかして……」
「そうだ……人間が往来する分には全く支障はないが……」
ネルは目を鋭くして飛竜の方に杖を向けた。
「あいつらのような魔物の接近はすべて結界によって探知することが可能だ。言ってみれば一種の防空識別圏を作れるわけだ。もっとも、私のような上位の魔導師ともなれば、例え竜のような強大な力を持つ魔物の侵入でさえ結界で退けることが可能になる。いちいち国籍不明機が識別圏に侵入する兆候を見せるたびに燃料食いの飛竜共を空に上げずに済めば安上がりだしな。勿論、結界の種類や効能は顧問契約の内容によるが……」
「つまりこういうことか?要は金次第ってことだと……」
「Exactly(その通りでございます)」
その言葉を聞いてグラハムは考えるのを止めた。
「さっき、私が発射した”とある魔力の超電磁砲”は、領内を包んでいる筈の広域結界の有無を確認する意味もあったのだがご覧の有様だ。本来なら魔力を放った人間の頭上に反射衛○砲みたく跳ね返ってくるのだが、全く梨の礫だ。何者かが私の敷設した結界を形成するための魔力ピラーを破壊、あるいは細工をして結界を無力化したとしか思えない」
「え、えらく物騒なものをぶっ放すじゃないか、お前……でも、まあ、お前のことだ。跳ね返ってきてもちゃんと対策は考えてあったんだろう?」
「え?」
「え?」
グラハムとネルの声が絶妙なハーモニーを奏でる。
「えっと……いや、なんか僕は変なことを言ったか?さっきの太っとい雷みたいなやつが跳ね返ってきても大丈夫だったんだろうってだけだったんだが?」
「いや、特に何もしていなかったが?戻って来なくて本当によかった。わりと一か八かだったからな」
「ちょ!ちょっと待てネル!貴様!全員丸焦げになるところだったじゃないか!」
「いや、丸焦げどころか、一瞬で蒸発出来るレベルだ。まあ三等導師くらいなら撃てる奴もちらほら出てくるが、私のは比較にならないほど強力だからな」
「以後、お前は俺の半径3トルム(1000torm=1gal=3kmの設定)以内で何も撃つな。いいか?絶対だぞ?絶対撃つなよ?」
ネルは返事の替わりに親指を立てニヤっと笑ってみせる。グラハムの言葉をお約束だと正しく理解していた。
誓って言おう……こいつ……絶対に分かってない……
今更ながらにグラハムは、ヴェンツェルとリューネがあまりネルと係わり合いたくないと言っていた理由が骨身に沁みていた。
「でも、ネル。結界が破壊されたことは普通は分かるんでしょ?」
本館の屋根にいる飛竜とそこから少し離れた場所に立っているギョームの方を見ながらリエナが言った。
「そうだ。だから一か八かと言ったったんだ。なぜなら、こうしている今でも私は自分が張った結界の魔力を感じているからな」
「ど、どういうこと?」
「分からない。だから私もあの飛竜に跨ってきたオカマ野郎にその辺の話を聞きたくてここまでわざわざ来たというわけだ。ふん、三下術者め……私がさっき放った雷撃にビビッているのがみえみえだ。だが、下手に動けば領空侵犯で撃墜されることは理解したようだ」
ネルの言うとおりだった。黒いフードを被っているため顔の表情は良く見えないが、ギョームは小さな杖を握りしめた状態で緊張の視線をこちらに送っていた。
見下したようにネルはふんっと小さく鼻を鳴らす。
「安心しろ。あいつがヴェンデンの宝刀を奪っても飛び去ることはもうあるまい。まあ……謝罪と賠償をするアルと涙とハナを垂らしながら土下座ったところで炭素一つ残さず完全燃焼してやるがな。私に遺憾の意はないんだ。悪!即!ざ……」
「ねえ!ネル!お願い!あいつを生け捕りにして!」
「……」
締めの言葉を途中で遮られたネルは信じられないといった様子でリエナの方を見る。
「普通ならテイクツーになってもおかしくないところだそ、リエナ……」
プルプルと体を小刻みに震わせているネルを尻目にリエナはグラハムの右手に握られていた短剣を引っ手繰る。
「お、おい!うつけ!そんなものを持って何をするつもりだ!」
リエナはナイフを自分のスカートに突き刺すといきなり膝頭の高さで切り落とす。
「こんな風の強い場所で邪魔でしょうがないわ!!」
「お、お前……ちょ、ちょっとそれは……その……まずいぞ……」
模範的な鈍感系であるグラハムもさすがにこのあられのない姿には思わず赤面せずにはいられなかった。衆目の前で裸足すら見せることですら許されぬこの世界で、その衝撃たるは推して知るべしだろう。
「飛竜とあいつが動くに動けない状態なら私がシエルのところに行っても大丈夫ってことでしょ?なら直接話して来る!」
意を決したかのようにリエナは、自分の腰にまわされていたグラハムの手を解くと、両手で巧みにバランスを取りながら湾曲している屋根の上を走り出した。
「マジか……飛竜がここにいる時点でこの騒ぎの背後関係が強大なのは火を見るよりも明らかじゃないか……」
「!!」
ネルの独り言を聞いたグラハムに電流が走っていた。
そ、そうだ……飛竜なんて目玉が飛び出るほど高い維持費がかかるものを使うっていうことはそこらの小悪党なわけがない……
飛竜一匹で騎兵1個中隊の年間コストに相当すると言われていた。あまりにコストがかかるため、飛竜の存在がこの世界の物流などに影響を与える事が殆どなかったのもそのためだ。
マグナブルク大公国ですら飛竜はせいぜい4匹、騎兵二個連隊程度しか保有していなかった。
「ちょ、ちょっと待て!大丈夫とは限らんだろ!それに話すって何を今更話すつもりだ!これだけの騒動を巻き起こした上に飛竜まで見られているんだぞ!もはや内々に済ませられるような状況ではないぞ!やめろ!戻ってこい!」
このリエナの行動にはさすがのグラハムも度肝を抜かれていた。グラハムに続いてネルも口を開く。
「そうだ、リエナ。極めて不本意だがこればかりはアニマル・フ○ッカーの言う通りだ。異世界風に例えれば、全く予告なしで某南の島県にB-2がラプたん編隊に護衛された状態でこれ見よがしに基地に着陸したも同然の状況だぞ?事故率(笑)が取り沙汰されるオート-ジャイロのプロペラが回ったー!とかでデモる、という次元を遥かに超えている」
呪文のような単語を並べるネルをグラハムは努めてスルーする。
こうしている間にも、リエナは身軽に尖塔から本館の屋根にあっさりと飛び移る。眩暈がするような高さにも関わらず、その動きはまるで軽業師と見紛うようだった。
「おい!!待て!!頼む!!待ってくれリエナ!!」
名前を呼ばれたリエナは思わず足を止めた。グラハムはネルの前を横切ってリエナに向ってやはり近付いていく。
「おい!いいか!よく聞け!これだけ大勢の人間に飛竜を見られてしまったんだ。もはや言い逃れは出来ない!ヴェンデン伯爵家の一族が帝国以外の勢力と内通していたと噂を立てられても仕方がない!残念だがどうやってもあの娘を救うことは出来ないんだ!それに、あの竜がお前を襲ってきたらどうするつもりなんだ!」
「まあ、そんな動きがあれば私がこいつで吹き飛ばすだけだがな……」
二人のやり取りを遠目に見ていたネルは、杖を飛竜に向けたままボソッと呟いた。
しかし、搦め手専門の悪竜にしては随分と今回は派手に動くじゃないか……
「こういう時は他に何か他によからぬことを企んでいる可能性も十分あるな。まあ、首府にいる他の魔道師達が何とかするだろう……多分」
ネルの脳裏には、廃業間近の同業者の面々の顔が浮かんでいた。
「こうなってしまえば……もはや……」
グラハムは一瞬、言葉に詰まるが、決意を固めたかのように再びリエナに語りかける。
「すまん……僕が……僕がバカだった……僕が宝刀を奪われさえしなければこんな騒ぎにはならなかったんだ……これは、これは!これは僕の失敗なんだ!」
「そ、そうとは限らないじゃない!!自分をそれ以上責めないでよ!!ヨハン!!オークだっていたんだから!!しょうがないじゃない!!」
「いや、そんなことはない!!僕の失態だ!!」
リエナは何とかフォローしようとするが上手く言葉が出てこなかった。特大極楽トンボがこれほどまでに沈んでいるところを見たことがなかっただけに尚更だった。
救いの目をリエナは思わずネルに向ける。ネルはため息を付くとリエナに小さく頷いて見せ、そしてやおらグラハムの方を見た。
「お前が宝刀さえ盗まれなければあのヴェンデンの娘も今頃あそこにはいなかっただろうな……正直、これは酷い」
「くっそ!!」
グラハムは頭を抱えるといきなり屋根の上でしゃがみ込んでいた。
「ネル!!追い討ちかけないでよ!!ヨハンが傷ついてるじゃない!!」
「いや、ぶっちゃけこれはありないミスだ。異世界で例えれば機雷をわざわざ掃海した海域があるのに、それをガン無視してわざわざ封鎖海域に飛び込んじゃった、テヘペロ☆、も同然の告白だ。英霊に死んで詫びるしかないレベルだろ、常識的に考えて」
「うおおおおおお!!すまない!!僕のせいだ!!」
「そうだ、全面的にお前が悪い」
ビシッとグラハムに向ってネルが指をさす。
「そんなことないわ!ヨハンが死ぬべきだというなら、それは貴女も同罪だってことよ?ネル!それでもいいの?」
「え?な、なぜ私が同罪!?」
思わずネルは目を見開いて驚愕の表情でリエナの方を見たる。リエナはナイフを片手にジロッと鋭い視線をネルに送っていた。
「防空識別圏が完全無力化していました!ええっと……テ、テロ?プロ?な、なんかそんな感じじゃない!貴女だって!」
「違う。そうじゃない。テヘペr……」
「お黙りなさい!ネル!」
リエナの一喝でほんの一瞬だけ常時猫背のネルの背筋がピンと伸びるが、すぐに形状記憶合金のようにまた元に戻る。
「ちっ!っせーな……反省してまーす」
「とにかく!この場を八方収めるいい考えが私にはある!みんなそれに従いなさい!」
リエナの凛とした声が夜の帳が下り始めたヴァーリーリエに響く。
いつの間にか、尖閣を包囲していた近衛兵のみならず、首府から派遣されている与力の家臣から使用人に至るまで城内の人間のほとんどが集まっていた。そして、リエナの一挙手一投足、一言一句に至るまですべての耳目が集中していた。
グラハムがゆっくりと顔を上げる。
「いい考えだと?こんな状況で何が出来ると言うんだ……」
「ヴェンデン伯号の正当を主張するヨアヒム・ヴィ・ヴェンデンの血統を代表するシエル・フローラ・ヴィ・ヴェンデンに対して、私、リエナ・アントーニア・シュトラント・エニグマ・エル・マグナブルク・ヴィ・ヴェストリアは、新ヴェンデン伯の正当性を認めさせるために、双方が主張するヴェンデン伯号の資格を賭けて決闘を申し込む!!」
高らかにリエナは宣言していた。よく通る声はヴァーリーリエ城に幾重にも木霊した。
リエナの言葉に全員が度肝を抜かれていた。




