31.約束したよね?
わずかに動くのも憚れる気がして、私は息を殺した。
涼しい顔をしているように見えても、シュトリさまのこめかみには青筋が浮かんでいて、目を逸らせなくなる。
「ねえ、ツムギ」
「はい!」
「僕の側からいなくならないって約束したよね?」
「……。し、したのです……」
怒ってる。シュトリさまがものすごく……。
「それなのに、『どこへでも連れて行けばいい』なんておかしくないかい?」
「……あっ……」
「いなくなっていいわけ、ないよね?」
ごくりと唾を飲み込んでいると、ノイルが一歩動いた。
「お待ちなさい! お姉様はそうやって洗脳されているのです!」
「……洗脳なんて君たちに言われたくないな」
「なんですって?」
シュトリさまは私の髪に指を通し、ゆっくりと何度も撫でる。
「天界の規則からはみ出るような思想を持てば、出来損ないとして扱われる。それのほうが、よっぽど洗脳だと思うけどね?」
そうなのかな。
天使は何よりも正しい存在だって思っていた。
人間だって、天使は素晴らしいと言うのに、天界も全て正しい訳じゃないのかもしれない。
「まだ僕と一対一でやり合う気はあるの?」
「当たり前です!」
「やめておきなよ。ツムギを悲しませるのは、僕も本意じゃないんだ」
喉の奥から声を絞り出す。
「本当にもうやめてください。大切な二人が傷つけ合うのは、見たくありません……」
小さな呟きになったけど、ノイルの眉が下がったのを確認できた。その瞳には悲しみが浮かんでいるのが伝わって、胸が苦しくなった。
「ごめんなさい。シュトリさまを残して、天界には行けないのです」
「お姉様……」
「会いに来てくれたこと、うれしかった」
「お別れみたいなことを言わないでください! 私たちは諦めません。お姉様が天界に戻ってこられるようにします」
真摯に訴える姿に、目の奥が熱くなった。
「どうして、そこまでしてくれるの?」
「ツムギお姉様が大好きだからです!」
飾ったような理由ではなく、ノイルの言葉は単純なものだった。
「優しくて、いつも一生懸命で、愛らしい。そんなお姉様がいないと私たちは楽しくないんです」
「それは評価が大きすぎるのです」
「いいえ! 妹分である私たちみんなの総意です」
ノイルは胸の前で手を組み合わせた。
まるで祈りを捧げているようだった。
「お姉様は何も変わっていません。小鳥を助け、とても優しい天使のままでした」
「……そうかな?」
「悪魔だというのが不思議なくらいです!」
私は首を傾げた。
「でも、悪魔なのです」
「そういうことではないんですが……。とにかく、お姉様はその男のものだけではありませんので!」
シュトリさまの腕に力がこもった。
「僕はツムギだけのものだけどね?」
「シュトリさま!?」
「ずっとそう言っているじゃないか。よそ見したら悲しむよ?」
どうしたのだろう。
シュトリさまが子どもみたいになっちゃった……。
「近すぎます! 離れなさい!」
「これが僕たちのいつもの距離だから」
「あなたって人は……!」
まだ揉めるのだろうか。
おろおろと二人の顔を見比べていると、ノイルが咳払いをした。
「分が悪いので今日は帰ります。次はお姉様をお迎えに来ますから」
白い羽根が広げられ、ノイルは窓の外に飛び出した。
天へと昇っていくのをぼんやりと眺めていると、シュトリさまが私の身体を持ち上げた。
「帰ろう? 二人の家に」
「……はい」
「もう勝手に出ていっちゃ駄目だよ」
釘を刺されて、ちゃんと謝らないといけないと思った。
謝るといえば……。
「トーマスさんにも謝らないといけません」
「鳥が大暴れしたせいだって言わないとね」
この部屋の惨状に信じてくれるとは思えなかった。……シュトリさまの冗談は笑えないのです。




