184 気が付けばイベント
私を守るべく前に出てこようとしたアシリカとソージュを手で遮り一歩前に出る。
「そんなにこの本が欲しいのかしら?」
実際はレイアが求めている本と違うと思うけどね。
「あら? くださいますの?」
私の言葉を明らかに本気にはしていない口調でレイアが返事する。手に持つ本を見つめる熱い眼差しは、この本を本物と思い込んでいるようだ。
「嫌だと言ったら?」
「ここで騒ぎを起こしてもかまいませんけど?」
無邪気な、それでいて悪意の籠ったレイアの目だ。
「でも、こんな本をどうするつもり? 以前に言っていた世の理を操るのに必要なの?」
また一歩前に出て、少しづつレイアに近づきながら話しかける。
「まあ! ナタリア様も呪術に興味を抱かれたのですか?」
大袈裟に驚いてみせたレイアが笑みを見せる。
「好奇心、かしらね」
さらに歩みを進めて、私も笑みを浮かべ返す。
残り五歩ほどの距離まで近づいた所で立ち止まり、笑顔を向け合う私とレイアだが、その目はお互いの真意を探り合っている。
「……ナタリア様」
しばらく続いた沈黙の後、すっと表情を消したレイアがおもむろに口を開く。
「この世には、筋道が定められております。朝になれば太陽が昇り、夜になれば沈む。春が来れば夏が来て、秋に続いて冬を迎える。赤ん坊は時と共に大人へとなり、やがて死を迎える。すべて定められた筋道です。それらが世の理」
教室にレイアの声だけが響く。
「それを呪術で操ると?」
時の進み、季節、人の生き死に、すべてを操ると言うのか? そんなもの、終末への入り口だ。破滅への一直線にしか思えない。
「はい。申し上げたではありませんか。呪術でもって世の理を操ると」
「レイア。その結果が何をもたらすか分かって言っているの?」
彼女らの所業は、狂っているとしか思えない。
「時の流れ、自然の摂理から解放される。理想の世界だと思いませんか?」
そう言うレイアの目からは狂った様子が伺えない。それが余計に不気味に感じる。
「本気でそう思っているの?」
感情を見せずに淡々とレイアに尋ねる。
「はい、もちろん。ナタリア様に理解して頂こうとも思いませんわ」
頷きこちらを見るレイアの瞳に冷酷な影が浮かび上がる。
「そろそろお話はおしまいです。さあ、それをこちらに渡してもらえませんか?」
「嫌だと……、言ったら騒ぎを起こすのだったわね」
「ええ。多くの方が亡くなるかもしれませんね」
窓から外に向かってレイアが手の平を向ける。その手の平に呪術の紋章が浮かび上がっているのが見える。
私のすぐ背後で一緒に近くまで来ていたアシリカとソージュが臨戦態勢となる。
「そんなことしてみなさい。これがどうなってもいいのかしらね」
私も手の平を上に向けて火を熾す。数少ない私が使える魔術だ。その火に本を近づける。弱々しい火だが、本一冊を焼くには十分だ。
「この本が無くなったらあなたたちの望みをすべて消えるのよね」
「多くの方が亡くなりますよ」
お互い腹を探り合うように見つめ合う。
「それに、その本は呪術の力の籠った本ですわよ。気安く燃やしたら、何が起きるか分かりませんよ」
脅しのつもりだろうか。挑発するようなレイアの口ぶりである。
でも、残念。これ、実際はフィオラの教科書だからさ。本物だったらさすがに私も躊躇するけど、入学時に配られる本だからとんでもない何かが起こるとかそんな心配は無い。
「じゃあ、試してみる?」
すっと手の平の火を消して、裏表紙を破り取る。
「お、お嬢様……」
レイアの言葉に不安を覚えたのか、アシリカが声を震わす。
だから、大丈夫。これ、フィオラの教科書だから。フィオラには申し訳ないが、この緊急事態だ。そんな事も言ってられない。最悪、去年使っていた私のものとすり替えておこう。綺麗に残しておいたはずだ。
「さあ、どうなるかしらね」
口元に笑みを浮かべてレイアを見る。
そのレイアはというと、じっと黙ったまま窓の外に向けて呪術の文様が浮かんだ手を向けたままだ。感情に動きは見られない。
破いた裏表紙の角に再び灯した魔術の火を近づける。ジリッと音を立てて、火が燃え移る。
半分ほど燃えた所でそれをポンとレイアの目の前に投げ捨てる。
「何も起きないみたいね。残りも燃やすわよ」
ポケットに戻していた本を取り出して、手の平の火を近づける。ただし、中身を見せず、そしてタイトルの部分は持つ手で隠す。
「さあ、その手を下ろしなさい」
無言で燃え尽きる裏表紙を見つめていたレイアがすっと手を下ろす。それと同時に手の平に浮かんでいた呪術の紋章も消えた。
「ナタリア様……、このような真似をなさるとは……」
私の名前を呟き、レイアはそっと屈む。そして、すっかり灰となった裏表紙を手でかき集めている。
「あなたには聞きたいことが山ほどわるわ」
目でアシリカとソージュに捉えるように合図を出した時である。
「ふふふふふ」
肩を震わせ、レイアが笑い声を立てると、立ち上がる。
そんな彼女の様子にアシリカとソージュが再び警戒感を露わにする。
「ありがとうございます、ナタリア様」
両手に本の灰を乗せて満面の笑みのレイアである。
「これで必要な物は手に入りましたわ」
「え?」
どういうこと? 本はまだ私のポケットに入っているけど。
「私がいつその本を欲しいと言いましたか? 私が欲しかったのは、その本に使われている紙。そして、その燃えた後の灰が必要なのです」
満面の笑みを浮かべながらレイアは立ち上がる。取り出したハンカチにしっかりと灰をくるんでいた。
「だ、騙したわねっ!」
本の内容ではなく、その紙、しかも灰が必要だったとは驚いたが、ここは悔し気な表情で叫んでおこう。
「騙してなどいませんわよ」
笑みを浮かべたままレイアは、ひょいと窓から飛び出す。
「ま、待ちなさいっ!」
慌てて窓まで駆け寄る。
「もう少し学生気分を味わっていきたいのですが、忙しい身なので」
そう言うと同時にレイアの体の周囲に白い煙が立ち込め始める。
「待ちなさい!」
今度そう叫んだのはアシリカ。ソージュと共に窓を乗り越え、その煙幕に突っ込もうとするのを止める。
その煙が風に流され、向こうまで見渡せるようになった時にはレイアの姿が消えていた。
「何故、お止めになったのですか?」
不服そうなアシリカとソージュである。
「だって、レイアが持っていたのってこれよ」
ポケットから裏表紙を破られた魔術の教科書を取り出して二人に見せる。
「これは……。いつ取り替えられたのですか?」
魔術の教科書だと気づいて呆気に取られるアシリカが尋ねてくる。
「うーん。まあ、いろいろあってね……」
「おお、リア。ここにいたのか。一体何なのだ? 突然走り出して」
私が入れ替わった本のことを説明しかけた時に、ようやく私を見つけたらしいレオが顔を不機嫌そうに顰めながら入ってきた。その後ろには、彼の従者二人。そして、ミーナとシルビア。そこまではいい。問題はそのさらにその後ろからフィオラたちも付いてきていたのだ。
「殿下! どうされたのですか? ここは一年生の校舎ですけど。まさか、私を迎えに?」
一人脳内がお花畑のようだ。
レオの不機嫌の理由が分かった。ずっと付きまとわれながらここまで来たのか。でもフィオラの方も何も答えないレオにずっと付いてあの笑顔を向けているなんて、強いな。ま、空気を読めていないだけだと思うけどさ。
それにしても、何でここにいるのよ? ケイスたちとお昼に行ったんじゃなかったの? 今は忙しいから相手してあげる暇ないんだけども。
「あっ!」
だが、その可憐な笑顔も私の姿を見つけると同時にあっという間にどこかに消えてしまう。
「さっきぶつかった時に持っていった本はどこですか?」
ああ、魔術の教科書ね……。まずいな。こんなにも早く気付くとは思わなかったわね。
「気づいたら、こんな訳の分からない本と入れ代っていたんですよ」
そう言いながらフィオラは鞄からあの呪術の力の籠っている本を取り出す。
「見た事もない文字が書かれていたが、いったいどういった本なので?」
訝し気な視線をフィオラから本を受け取る私に向けてくるのはケイスだ。
「ま、まさか何か恐ろしい呪いでも……」
セロンが顔を青褪めさせている。どうして彼は悪い方にばかり考えるのだろうか。もっとも、あながち間違った解釈ではないけどね。確かに普通の本じゃない。
「まあ。怖いですわ」
そう言って両手を胸の前で合わせるフィオラはわざとらしいぐらいに震えた声でレオの顔を見上げている。さっきまで、平気で持っていたのをもう忘れたのかしらね。
「フィオラも怖がっている。早く本を返してくれ」
苛立たし気なライドンである。
いや、そもそもそれを手渡してきたのはアンタじゃないか、ライドン。それを忘れたとは言わさないぞ。
それにさ、さっきからミーナが冷めた目でアンタらを見ているのに気づかないのかしらね。フィンゼントにあまり恥をさらすような真似をして欲しくはないわね。
「あっ!」
その時、フィオラが短く叫ぶ。その視線の先にあるのは、私の持っている破かれた魔術の教科書。
「これって、まさか……」
慌てて駆けよったフィオラは私の手からひったくるようにして教科書を取ると、きっと目つきを鋭くして私を睨み付ける。
「どういうことですか? 教科書は私にとって大切なものなのに……」
その場にしゃがみこんで目の端に涙を浮かべる。
「どういうことだ、ナタリア嬢? しかも、破った上に燃やされているではないか」
ライドンは怒りに顔を赤くして尋ねてくる。
「殿下、ナタリア様が私の教科書を……」
胸元をぎゅっと両手で掴んでフィオラは、涙を浮かべた目でレオを見つめる。
「う……。こ、これはだな……」
おそらくレオもここで何かあったのを察したようだ。だが、何と説明していいのか分からず口籠っている。
そういえば、ゲームの中でも我儘ナタリアが彼女の取り巻きを使ってヒロインの教科書を破くというシーンがあったな。今回は私自ら破いているけど。確か、それを知ったレオがヒロインに自分の使っていた教科書を贈るのだ。それがきっかけで二人の距離が縮まるイベントだったはず。
「ナタリア嬢。ご説明を」
冷たい声色のケイスだ。
呪術のことを正直に説明をするわけにもいかないしな。ま、今のケイスらに何を言っても悪く取るだけのような気もするけど。
「お、お待ちくださいませ。これはわざとではありません。お嬢様は――」
「侍女の身で差し出がましい。黙っていてもらえるか?」
アシリカの言葉をケイスが遮る。
随分と変わったものだ。以前は、アシリカやソージュに対しても分け隔てしない人だったのに。この変わり様はいったい何なんだ?
「ふん。大方純真なフィオラへの嫉妬からの嫌がらせだろう。貴族のやりそうなことだ」
オーランドが忌々しそうに顔を歪めている。
今は過去を振り返っている場合じゃないな。でも、何と言えばいいか……。
「リ、リアは訓練をしていたのだ!」
突然教室に響くレオの大きな声。
「リアは魔術が苦手だ。だから俺がその本を与え、毎日一枚づつ破り魔術で燃やすように訓練を申し付けたのだ。少しでも魔術を鍛えるようにとな」
レオはゆっくりと私の隣まで来ると、ケイスたちの方へと向き直る。
「そ、そうですの! 私、いつまでたっても魔術がダメでして。レオ様に相談して訓練を付けてもらおうおと……」
ナイスフォローだよ、レオ。まさか、レオに助けられるとは思ってもいなかったよ。
「リアの言う通りだ。どういった経緯で本が入れ替わったかは分からんが、俺がやった本と似ているな。間違えても無理はないだろう」
「そ、そうでしたか……」
さすがにレオにそう言われたら、反論も出来ないようでケイスたちはそのまま黙り込む。
「……フィオラ。もう行こう」
最後にもう一度私を睨んでから、優しい目に一転したケイスがフィオラの方に手を掛ける。
「はい。でも、教科書が……。明日の朝一番は魔術の授業なのに……。あっ、そうだわ!」
悩まし気な顔で首を振っていたフィオラの顔がぱっと輝く。勢いよく立ち上がるとレオの前で瞳をうるうるとさせる。
「な、何だ?」
後ずさり私の後ろに逃げ込むレオが頼りなく感じる。さっきの窮地の私を救ったレオとは別人だね。
「殿下も一年の頃に同じ教科書を使っておられましたわよね? 是非、それを頂けたらと……。もし頂けるのならすぐにでも殿下のお部屋に伺います」
心折れないな。タダでは転ばない人だ。もうここまで来ると感心すらしてしまうよ。
「俺の? それなら、ケイスかライドンに――」
「おお、それはいい。殿下。是非、フィオラに殿下の使っていた教科書を贈られませ」
レオの言葉を遮ってケイスがうんうんと頷いている。
「レオ様。言われた通りにするのが一番早いかと……」
すっかり私の背後に隠れた場所にいるレオを振り返り、囁く。
「わ、分かった。おい、マルラス。部屋から魔術の教科書を取ってきてくれ。それでケイスにでも渡しておけ」
どうやら、部屋には絶対に入れたくないようだ。
「え? 取りに伺いますよ?」
「早くしろ、マルラス」
フィオラの声が聞こえないとばかりにレオがマルラスを急かす。
「さあ、リア。行くぞ」
私の腕を取り、教室を後にする。
「殿下ぁ?」
後ろからの甘ったるい声から逃げるように足を速めるレオだった。