(03)名前とバラ
リベラート、シビル侍女長、料理長のコズモの3人は、可愛い女の子を前に唸っている。
赤ちゃんからハイハイもせず、何もかもすっ飛ばし、スックと立っている謎の赤ちゃんのことで悩んでいる・・のではない。
「そうですね、名前は可愛くて、この子にぴったりなものがいいですよね?」
コズモが、にこにことしている。しかし、シビルが難色を示した。
「可愛い名前なんて嫌ですよ。この子は絶世の美女になります。だから凛とした名前がいいわ」
シビルが、コズモの意見を容赦なくはね除けた。
「名前か・・。既に立ち上がっているもんなー・・早くしてやらないと」
リベラートが自分の言葉で、はっとする。
「僕が言った今の言葉で、とても良い名前が浮かんだぞ!」
リベラートの言葉に、女の子が珍しく無表情ながらもワクワクしているのか、彼の足に引っ付いて、名前を待っている。
それに対し、残りの2人は渋い顔だ。
「『立ち上がっているもんなー』って言葉で名前を思い付いたですって?」
「この台詞のどこに、名前の要素がありました?」
あからさまに二人は嫌な顔をしている。
「なんだ? その顔は?」
せっかく良い名前を思いついたのに、二人の態度が悪くて、リベラートが少しむくれたような態度になった。
「だって、坊っちゃんは名前のセンスが、全くといってもいいほど、ないんですもの」
「そんなことはないぞ!」
強く否定するリベラートに、小さい頃から世話をしている二人ならではの、衝撃的な名付けセンスが明らかになる。
シビルが昔の事を思いだし、当時のことを話しだした。
「だって、昔に坊っちゃんが庭で見つけた青虫を育てたいって仰って、付けた名前なんて・・確か、虫が丸くなって葉っぱにいたから『虫丸葉っぱ』って名前をつけてたし・・」
それを聞いたせいで、リベラートの足に引っ付いていた女の子が、一歩下がった。
コズモも思い出す。
「そうでしたね。それに子猫を拾ってきた時も、箱の中で眠っていたから、『箱猫ねんね』と名付けたもんだから、呼びづらくてしょうがなかったですね」
女の子はすっかりリベラートから離れて、シビルにくっついていた。
ジト目で3人に見られたが、リベラートは思い付いた名前を変える気はないようだ。
「絶対に気に入るよ。『立ち上がった』から『タチアナ』ってどう?」
女の子とシビルとコズモは3秒ほど考えた。
「あれ? ビックリするほどの変な名前じゃないですよね・・」
「いや、むしろ良い名前ですよ」
二人は大賛成で、女の子も再びリベラートの足に引っ付いた。
この反応を見るに、どうやら、女の子も賛成のようである。
「じゃあ、君はこれから『タチアナ』だ」
リベラートが抱っこすると、タチアナは無表情ながら、リベラートの首に可愛い腕を回し、ギュッと抱きついたのだった。
◇□ ◇□
タチアナは成長したことで、片言だが、お喋りが出きるようになっていた。
「りべたま、お腹しゅきまちた」
「くうぅぅぅ。可愛い!」
3人が悶絶するほどの可愛さである。
お人形のように可愛い口から出る可愛い言葉にメロメロだった。
我慢できなくなったリベラートが、抱っこする。
だが、すぐにシビルに取り上げられた。もう、タチアナの取り合いである。
「なぁんて可愛いのでしょう!」
シビルの言葉に頷く大人たち。
コズモはいつもよりも調理時間を費やしている。
「焼きたてのパンを食べて下さいね」
そう言うと、焼きたてのパンをタチアナの前に置く。
母乳ではなくて、すっかり普通食を食べられるタチアナは、ふわふわモチモチパンを小さな両手で包み込むように持ち、少し齧る。
「ふお?」
美味しさに声を出したタチアナの動作から、皆、目が離せない。
パンが美味しかったのか、再びもくもくと口にパンを押し込むように食べている。
そのタチアナの可愛い仕草は、まるでリスがドングリをほっぺに蓄えているようで、それを見ながら、リベラートが声をかける。
「あはは。タチアナ、慌てなくても、まだまだ沢山パンはあるよ。ああーもう、可愛いなぁー」
コズモが更にパンを追加してテーブルに置くと、タチアナは真っ赤な瞳を輝かせて、新しいパンを見詰めていた。
お腹が一杯になり、椅子の上でお腹をさすっているタチアナを、リベラートが散歩に誘う。
無表情でわかりにくいが、少し眉が上がるとか、頬に力が入ったのを見て、タチアナが喜んでいるとかが分かった。
この可愛いタチアナを、もっと喜ばせてあげたいと、リベラートは小さな中庭に咲いた花を、見せようと思いつく。
「タチアナは花を見たことがあるかい?」
ふるふると小さな頭を横に振る。
「にゃい」
「じゃあ、見に行こう。今はバラが見頃なんだ」
「ばら?」
タチアナの可愛い声を聞いて、微笑むリベラート。
すぐに抱きあげてダイニングルームを出ようとしたが、シビルに止められる。
「タチアナちゃんのスタイを取ってあげてください。それと中庭に行かれる前に少しお着替えをしたいので、少し、お待ち頂けますか?」
「たかが、中庭に行くのに着替えなど、必要なー」
必要ないと言いかけたリベラートの腕から、スルッとタチアナを奪われた。
「バラ園散策にぴったりの、可愛い服があるんですよ! なので、少々お待ちください。いいですよね!!」
リベラートは、シビルの目力に押し負けて、玄関前で待つことになってしまった。庭といっても小さな庭なのに、と愚痴をこぼしつつ。
そして、コズモと談笑して待っていると、興奮気味に鼻を膨らませたシビルが、タチアナを抱っこして登場した。
タチアナの衣装を見てリベラートとコズモは気合いのドレスに、驚いた。
小さな屋敷の小さな中庭に、バラを見に行くだけなのに、タチアナの格好は、これからセレモニー会場に向かうかのような、衣装なのだ。
お出掛け用のフレアドレスは、白いレースの大きな袖とピンクのオーガンジーを何枚も重ねたふわふわで、胸の切り返し部分に大きなリボンが付いていて、タチアナの可愛さを引き立てている。
『どう?』とばかりにタチアナが首を傾げると、まるで小さな妖精だった。
あまりの可愛さに、二人とも目尻を下げる
「うん、とっても可愛いよ! よし、お姫様。早速バラを見に行こう」
リベラートが抱っこすると、タチアナの顔が少し緩んだように思われた。
実際にはタチアナの表情はほとんど動いていないのだが。
貧乏伯爵の中庭に、申し訳程度だがバラ園がある。
「坊っちゃん、また今年もバラが咲きましたよ」
声をかけてきたのは、庭師のトンマーゾ。50年庭師を続けている大ベテランだ。庭木の管理の他にも、屋敷の修繕もしてくれている。
「おや? やっと結婚なさって、やっと、お子さまに恵まれなさったんですか?」
「違う、この子はこの領地で捨てられていて、ここで育てていくことになった子なんだ。名前はタチアナだ」
リベラートが、否定するが、トンマーゾは、どうも怪しんでいる。
「こんな可愛い子が捨てられていた? これほど可愛い子が生まれるなら、お相手も相当な美人さんだろう。この領地にそんな女性はいないはずだし・・・。ん? 角?」
タチアナに羊のようなカールした角を見つけ、眉をよせた。
「これは!!」
驚くトンマーゾに、やっと本来のリアクションを見たリベラートが、深刻そうに「驚くのも無理はない・・。実は」説明をしようと口を開いたが・・。
「この角のカールは、アモン角ではないか! この地方の羊はドリル型のラセン角だというのに、どういう事だ?」
リベラートには、トンマーゾの言っていることが分からない。
「・・・やはり、この屋敷に、まともな反応をする人間はいなかったな」
リベラートは、肩をがっくり落としながらも、一応の報告を老人にしてみる。
「領地の視察の帰りに、捨てられていた魔族の赤ちゃんを拾ったのだが・・」
せっかくリベラートが説明を始めたが、トンマーゾはそんなことよりも、バラのつぼみにアブラムシが群棲しているのを見つけ、「おお、こりゃいかん!」と、さっさと小屋に害虫駆除のスプレーを取りに去っていってしまった。
「ふー・・トンマーゾは庭の草木にしか興味がないんだから、仕方ない」
小さくため息をついたリベラートの横で、タチアナが瞳を大きく真ん丸にさせて、一輪のバラを眺めている。
初めて見るあらゆる物が面白いのか、あれほど表情がなかった顔に、少しずつ変化が表れたのだ。
「タチアナ、そのバラは一際大きくてきれいだろ?」
「き・・れい?」
その言葉を確かめるように、タチアナが同じ言葉をオウム返し。
「そうだ。タチアナにはこれから美しい物をいっぱい見てほしいんだ」
生まれてすぐに捨てられていたタチアナには、これ以上つらい思いをしてほしくない。
できれば、楽しいものや美しいものを見て育ってほしい、とリベラートは願う。
優しく微笑むリベラートに、タチアナの胸の奥底がこそばくなる。
「うん、いっぱいきれーなの見る」
そう言うとタチアナはもっとバラを見ようと、目の前の茎をグッと掴み、引き寄せた。
その途端、タチアナの手から赤紫の液体が流れ出た。
「わー! 大変だ、タチアナが怪我をした!」
バラには棘があるということを知らなかったタチアナは、思いっきり茎を掴んでしまったのだ。
「手!手を開いて!」
リベラートに言われるまま手を開くと、タチアナの小さな掌が傷付いている。
リベラートは大慌てでタチアナを抱っこして、屋敷に戻る。
リベラートは大騒ぎしているが、タチアナは泣きもせず、流れている血液を見ていた。
リベラートは屋敷に入るなり、「タチアナが怪我をした」と叫んだため、駆けつけたシビルによって、すぐに手当てがすんだ。
その間、リベラートはまるで自分が怪我をしたように、つらそうな顔をして見守っている。
「痛かったよね。僕がバラには棘があるって言わなかったばっかりに、可哀想なことをしてしまった・・。」
手当ての終わったタチアナの小さな手を、包むようにしながら優しく撫でる。少しでも早く痛みが治まらないかと思った行動だった。
「手、もう痛くにゃい」
タチアナが、痛いはずなのに平気そうな声でいうのだ。
表情はないが、痛くないなんて嘘だ。
「君は優しい子だ」
リベラートは、タチアナをギュット抱き締めた。
居心地が悪そうに、一瞬だけタチアナが動いたが、すぐにじっとしたので、リベラートは、痛くならない呪文を唱えながら、しばらく頭を撫でていたのだった。
◆■ ◆■
「タチアニャ・・タチアニャ・・」
魔王の娘は、リベラートに名付けて貰った名前を気に入り、自分でも何度も口にした。
『タチアナ』と呼ばれる度に、自分は特別なのだと自慢したくなる。
それと手に巻かれた包帯も、嬉しくてしょうがないのだ。
バラをもっと近くで見たいと、茎を力一杯握りしめたために、怪我をしたのだが、シビルに包帯を巻いてもらい、それをリベラートに見せると、「痛いの痛いの飛んでいけ」と謎の呪文を唱え、手にキスをしてくれた。
その呪文が利いたのか、1時間後には、タチアナの手の傷はなくなっていたのだが、包帯越しにキスをしてくれたのが嬉しくて、包帯をほどきたくないのだ。
タチアナが怪我をしたときに見せた
、リベラートの悲しむ顔を見ていると、タチアナは自分の手の傷よりも、どこか他の場所が痛んだ。
どこが痛んでいるのか分からないが、とにかくリベラートに安心してほしいと思った。
「手、もう痛くにゃい」
もちろん手はまだ痛かったが、そう言った。
なぜかは分からないが、人生初の嘘をついたのだ。
それを聞いたリベラートに「君は優しい子だ」と言われて戸惑う。
なぜ、優しいと言われたのか分からない。それに、心がざわざわとしてしょうがなかった。
今日、タチアナの中に、今までにない感情が出てきたことは確かだ。
体と一緒に心まで育ったのだろうか。
今日、嬉しいという感情で、心が満たされたのを感じた日だった。
「タチアニャ・・。うふふ・・」




