ヒーロー6
「ーーは?」
理解できなかった。それは父さんの名前だったから。
「それは君の父であり、俺たちのパパだったものだ」
顔を上げると、半身が吹き飛んで息絶え絶えになっている白髪の青年がいた。さっきの技が彼の半身をこそげ取ったようだ。あの傷ではもう助かるまい。
現実から逃げるように意識をそちらへと向ける。
だが、彼はとても満足したような満面の笑みで俺に告げた。
「おめでとう! 君は悪の組織の中枢にいた悪魔を倒したんだ! そいつは新しい人類を作ろうとして世界中の超能力者をかき集め、彼らを生きたまま解剖し、内臓を引きずり出し、悲鳴も苦悶の声も命乞いすら無視して笑みを浮かべながら甚振り続けた正真正銘の悪魔さ! 悪魔の父、サタンと言っても過言じゃない!」
何を言っているのかわからない。理解したくない。
「君が倒し続けた怪人。あれらは全て元は超能力者の母体を元に生成された人工生命体だ。君は知らずに無遠慮に倒し続けていたけど、まあ知らなかったんだから仕方ない。そして超人的能力を持つ成功体、それが君たちヒーローだ。要は彼等は自分のケツを君たちに拭かせていたんだよ」
理解したら、壊れる。そんな気がした。
「だ、黙れ……」
辛うじて出せたのはそんなかすれた声だった。
「ハハ、理解したくないって顔してるよ。それも仕方ないね。まさか自分の父親がそんな非人道的な行為をしていたクソ野郎だったなんて思いたくないもんね! 息子に愛されてるね、パパ! ハハ、ごめんね。肉片になったら返事できないよね!」
「黙れクソ野郎!!」
残り10秒だろうと関係ない。今すぐこいつを黙らせないと気が済まない!
体が重い。けど、足はまだ動く! 腕だって振るえる!
「ハハ、俺を殺すのかい? それも良いだろう。俺はこんなくそったれな世界でノコノコ生きてられるほど図太くはないんだ。こんな化物みたいになってまで生きられるほど強くない! さあ俺を殺してくれよ、ギャラクシー・ガイ!!」
一気に跳躍して懐に飛び込む。右腕はもう動かないが、知ったことじゃない。体ごとぶつければいいだけの話だ!
空気弾が骨の砕けた右手から発射される。痛みは感じない。感じるほどの神経もなくなったか。
「願わくば、同胞も全て屠ってくれよ。ヒーロー」
それが奴の最後の言葉だった。
残っていた半身も消え、変身が解けた俺は前のめりに地面に叩きつけられた。
周りの音が聞こえなくなる。眠い。意識が落ちてきた。周囲にはまだたくさんの怪人がいる。起き上がって戦わなくちゃ……。
「――――――ィ!」
誰かの声が聞こえた気がした。それに後押しされるように俺の意識もなくなった。
……。
…………。
「やぁ、兄弟。ヒーロー、ギャラクシー・ガイ」
奴の声だ。でも俺は動くことも喋ることも出来ない。視界は真っ暗で、冷たくて怖い。
「いや、試作ゼロ号って言った方が良いのかな?」
なんだよ、それ。
「君は半年前に倒した豚頭を覚えてるかい?」
そりゃ、勿論。俺が最初に倒した怪人だ。
「ハハ、あれは怪人じゃないよ。魔物さ」
何が違うんだよ。見た目も暴れ方も一緒じゃないか。
「怪人は人口的に作られた存在。でも、魔物は自然に生まれた存在だよ」
わからない。
「アレらは別の世界から来たものだ。ヒーローも戦うことは出来るだろうけど、本格的に門が開いたら対処のしようがない」
門? 対処? 別の世界?
「まあ君にはもう関係のない話さ。君はもう戦えない」
馬鹿言うな。俺は何度だって戦うし、何度だって立ち上がる。それがヒーローだ。
「無理だね。君の脳と心は現実を受け止めきれずにハチ切れた。それが何を意味するのかわかるかい?」
さあな。
「おいおい、自分の事だよ? ま、知らないほうが幸せさ」
奴の声が少しずつ遠くなっていく。
「失敗作とまがい物が跋扈する地獄みたいな世界。そこに他の要素も加わったら――さて、世界は堪え切れるのかな? 俺は無理な方に賭けるよ」
何言ってんだ? ってか、結構眠いな。
「ハハ、脳も体も負担がかか…………たんだ。当……目を覚……ないさ」
ふぁぁ……。奴の声がもうほとんど聞こえない。
「…………ね。俺は…………よ」
奴の声が完全に途切れる。俺も、深い深い眠りに落ちていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
後に『ロストヒーロー事件』と呼ばれることになるこの事件。
敵の親玉と思われる白髪の青年とギャラクシー・ガイが交戦し、ギャラクシー・ガイは瀕死の重傷を負いつつも親玉を打倒した。
親玉を倒された怪人どもは四散し、日本各地へと散らばった。この事件の際に立ち上がった新たなヒーロー四人の手によって周囲の怪人は倒されたが、日本全土で被害は拡大した。
重症を負ったギャラクシー・ガイは搬送された別の病院にて集中治療を受けたが、その甲斐も空しく死亡が確認された。
この事実は多くの人を悲しませ、新しいヒーローたちを悲しませた。
これを皮切りに警察の内部と組織関係図は一新され、怪人対策チームが全支部に配置されることになる。また一月後には20名以上のヒーローが日本各地に配属され、世間を賑わせた。
それでも尚、最初の英雄ギャラクシー・ガイは誰からも忘れられることはなかった。
戦死した病院跡地には有志の寄付によって彫像と慰霊碑が建てられ、何千人もの人がここを訪れるようになった。
ピコン、ピコンと心拍係数の音だけが鳴る。
病院の一室。最上階の東棟の隔離室のベッドの上で斎藤達也は眠り続けていた。
隣には医師と看護師、藤袴と部長の笹竹、達也の母が座っていた。
聴診を終えた医師は閉じた目を開いて診察を終え、藤袴たちに向き直った。
「容体は安定しました。ですが、再度目を覚ますことは難しいでしょう」
「……そうですか」
藤袴の拳が固く握りしめられる。
「……では、失礼します」
医師と看護師が退出し、重々しい空気だけが残る。
達也の母、美由紀とは既に話を付けており、この状況を知る一人となっていた。
達也は先の戦闘の蓄積された疲労と精神的打撃によって一か月も目を覚まさない。肉体としての回復力も人を超え始めており、粉砕されたはずの骨はもう元通りになっていた。
しかし目を覚ますことはない。その理由は達也が自らの手で怪人となった父を殺してしまったからだろう、と藤袴たちは推測している。当時の状況と斎藤道夫のネームプレートがその推測の裏付けとなっていた。
「藤袴さん、笹竹さん。今日もありがとうございました」
先に開口を切ったのは美由紀だ。
「いえ、私たちの方こそ――何もできずにすみません……」
「お気になさらないでください。……私はもう行きますので、何かありましたらご連絡ください」
「ええ」
口数少なく美由紀も退出し、また沈黙が続く。
ヒーロー、ギャラクシー・ガイの死亡。それは全くの嘘というわけでもない。
達也は今、昏睡状態にある。それだけならば目覚めるのを待つだけなのだが、脳にダメージが入っているのだ。例え目覚めたとしても元の人格や記憶はあまり残っていないだろうというのが診断結果だ。
実際どうなるかは目を覚ますまでわからないが、笹竹は例え達也が起きたとしても父のことを告げれば精神崩壊をすることを危惧し、そして再びヒーローになったとしても戦うことは体が拒否反応を起こすだろうと考えて『ギャラクシー・ガイ』は死んだことにしたのだ。
達也がこうなってしまったのは敵の思惑のせいではあるが、その現場に向かわせたのは笹竹だ。藤袴もその現場で達也を助けてやることができなかったことから責任を感じていた。
「……達也君」
笹竹が傷だらけになった手を握る。それで目覚めたことは無いが出来ることはしておきたかった。
「達也……」
藤袴は一度目を閉じ、次いで持参した紙袋の中からベルトを取り出した。そのベルトはギャラクシー・ガイや他のヒーローたちを模した作りになっており、中央には黄色の渦巻きが描かれていた。
「報告だ。あの後、お前と奴の発言が日本中に知れ渡ってから警察も政府も一新され、秘匿されてきた超能力者のことや怪人のこと、研究施設のことを俺たちは知った。その技術は決して褒められたものじゃないが、怪人を倒すためには必要不可欠なものになってしまった」
片手でベルトを強く握り、もう片方の手で達也の手を握った。
「俺もヒーローになって戦うことに決めた。もうお前だけに負担はかけないぞ」
「それともう一つ報告があるの。見て」
笹竹が差し出した左手の薬指には婚約指輪が嵌っていた。同時に藤袴も左手を差し出し、同じように指輪を見せる。
「私たち、婚約したの。目を覚ましたらちゃんともう一度報告するけど、先にね」
「先月までのグータラ部長に惚れるとは、俺も中々阿保だぜ」
「あ、酷い」
二人の微笑が室内に木霊する。
少しして笑い終えると微笑んだまま二人は達也の顔を見つめた。
「……そろそろ戻らないとね」
「そうだな。仕事もまだ山積みだ」
怪人対策チームの仕事は以前よりも多くなった。人員も増え、事件が相次ぐようになって未だに慣れない。
二人は立ち上がって部屋を出ようと踵を返す。
「……ぅ」
その声を藤袴たちは聞き逃さなかった。
「まさか……」
驚いて振り返ると達也の瞼が開かれていく。
「う……ん? ここは?」
「目を……覚ましたのか」
奇跡だ、と藤袴は思う。目を覚まさないと医師は言っていたのに。
「お、おお、お医者様に連絡しなきゃ!」
笹竹も混乱しつつもナースコールを連打し、けたましい音が鳴った。
藤袴は椅子に座りなおし、起き上がる達也の手を握る。
「記憶はあるか? 腹は減ってないか?」
「えっと……う、うん?」
達也は曖昧なまま返事を返し、そんな様子を見ながらも藤袴は頭をくしゃくしゃと撫でた。
「何はともあれ、目が覚めてよかった。そうだ、自分の名前は分かるか?」
少し迷った後、達也は頷いた。
「達也。俺は達也」
「ああ、そうだ。記憶は? 何か覚えているか?」
「う、うーん……? ううん、何も……ごめん」
そうか、覚えていないか。と藤袴は少し落胆しつつも無事に目を覚ましたことに歓喜した。
「いや、良いんだ」
廊下から足音が聞こえてくる。もうすぐ医師が到着するだろう。
「そういや、俺たちのことは覚えているか?」
「ああ! ずっと声が聞こえていたから。何度も傍に居てくれたよな!」
力強い確信的な頷きに二人とも期待する。
「じゃあ、言ってみてくれ」
「言うほどのこと? 父さん、母さん」
ちょうど医師も到着して扉が開かれ――いったんストップして閉められた。
『斎藤達也』はこの日を境にこの世界から消えた。