雪国の生活
空から舞い降りてくる牡丹雪は、目で追うと目眩を誘う。だから、雪を見ない。存在しないものとして扱うことで、まっすぐに歩くことができる。
バイト先から家まで、そう遠くなかった。コートの色が白に変わる前に、林の隙間に浮かぶ屋根が顔を出した。
北国の小さな家。
それが、先輩と早苗さんの新居であり、俺の疎開先だった。
木造の屋根が、積もった雪でかすかに悲鳴をあげる。
「重いんだろうな」
家は、人間と違って動くことができない。自分で振り落とすことはできず、誰かの助けを必要とする。いつ雪下ろしをしようかと考えながら、コートを脱いで雪を払った。
「また、降り始めました」
薄暗いリビングに顔を出すと、暖炉の薪がはぜて迎えた。
「春までこんな日が続くよ」
大村先輩は、椅子に腰掛けたまま、背中越しに返事をした。先輩はベッドに眠る早苗さんを見ていた。彼女は、時折にしか目を覚まさない。
「春までですか」
雪国の冬はどれくらい長いのだろう。このままでは、いずれ雪に埋もれてしまうのではないかと思うほど、外の世界は白かった。
俺は、暖炉であぶられたパーコレータからコーヒーを注いだ。先輩に差し出すと「ありがとう」と言って口に含んだ。俺も身体をあたためるために、好きではないコーヒーの匂いを嗅いだ。
「まずいな」
煮詰まっていた。朝から置きっぱなしだったに違いない。先輩を見ると、気にした様子もなく飲み干していた。
「メシ、作りますね」
「ありがとう」
先輩からカップを受け取り、慣れた足取りでキッチンに向かった。
奥の部屋で、冷蔵庫の扉を開けた。庫内の明かりは消灯していた。戦争が始まって以来、電力の供給はどこも不安定だった。
今はもう扱い慣れた灯油ランプを近づけて、しおれかかった野菜を吟味した。
葉物野菜の表面に霜が降りていた。冷えすぎないように、冷蔵庫の蓋を閉めていても、この有様だ。
「こいつを使うか」
端っこが茶色くなった白菜と、じゃがいもをふたつ取った。
俺が料理をするようになったのは、先輩たちと暮らすようになってからだ。今では、人並み以上にできる。バイト先のお客さんに振る舞うのにも、気後れがなくなった。
みんながうまいと言ってくれる。こそばゆく思いながらも嬉しかった。
先輩も俺たち後輩の面倒をみていたとき、同じような気持ちだったのだと、近頃は思えるようになった。
翌朝、暖炉の残り火に細い薪を足していると、人の動く音がした。
「おはようございます」
驚いて振り向くと、珍しく早苗さんが目を開けていた。
「あ、おはよう」
俺は返事をしたが、すぐに面を伏せた。ひとつ年下の彼女を見るのが辛かった。長い時間、眠っていたはずなのに、隈の浮かんだ顔が痛々しい。色が白く、痩せすぎの顔立ちが病人だった。
彼女も、自分がどう思われているか感じ取ったのだろう。何か言おうとしていた口元が、ためらいがちに閉じられた。
俺は止まった空気をほぐすために、火掻き棒を動かした。早苗さんがほっとした顔になるのがちらりと見えた。
火が熾ると、壁に映った俺たちの影が揺れた。その機を待っていたのか、早苗さんが口を開いた。
「冬弥さんは、ずっといたの?」
早苗さんは、ソファで眠っている先輩を見た。とても優しい表情だった。
「……そうだね」
俺は、ひと呼吸置いて頷いた。冬弥というのは、俺の名前でもある。下の名が同じということも、俺が先輩を慕う理由のひとつだ。
「先輩は、昨日休みだったから、一日中いたんじゃないかな」
意識したわけではなかったが、先輩というところに力がこもってしまった。彼女ははっとして、頬を染めた。恥ずかしがる彼女をかわいく思った。妹がいたら、こんな感じなんだろう。
「俺が帰ってきたときも、君のそばにいたよ」
片時も離れず、顔を眺めていたと言ったら困るだろうか。赤くなって照れるだろうか。それとも、先輩を束縛していることに、胸を痛めるのか。
そんなことを想像して、俺はどうしたわけか、嫉妬を感じた。
「冬弥さんは」
彼女は同じミスをして、唇を噛んだ。
「僕がどうしたんだい」
毛布にくるまったまま、先輩が起き上がった。早苗さんと目が合うと、いつもよりやさしい笑みを浮かべた。
俺は居心地の悪さを感じて、朝食の用意を理由に、キッチンに逃げ込んだ。




