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Tender Snow  作者: あると
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先輩という人

作中に登場する病気「ナルコレプシー」は、物語上、簡易な症状にしてありますので、ご留意ください。

大村先輩は、あまり人と話すことを好まない人だった。話を振れば穏やかな表情で受け応えてくれるけれど、向こうから話題を振ってくることがない。大人しい、というのが俺たち後輩に共通した印象だった。

だけど、面倒見がよくて、誰からも好かれていた。試験勉強でわからないところがあると、過去問を引っ張り出してきて丁寧に教えてくれたし、些細な悩み事にもじっくりと耳を傾けてくれた。

目立たないけれど、頼りがいのある兄貴。

そんな先輩に、俺はいつの頃からか憧れていた。先輩のいる大学を目指したのは、極めて単純な動機だったのだ。


大学のキャンパスで再会したとき、先輩は静かに微笑んでいた。

「全然変わらないですね」

「そうでもないよ。実は今度、結婚することになってね」

意外すぎる近況報告に、俺は言葉を失った。

先輩はお世辞にも女性受けする顔立ちではない。高校時代は、女の噂なんて聞いたこともなかった。結婚とは無縁と思い込んでいた。

「年貢納めるの、早いじゃないですか」

不自然な間の後に、つっこみを入れる。

「いわゆる許嫁というやつでね。年内には所帯持ちさ」

俺の失礼な態度にも、先輩は笑みを崩さない。

所帯という言葉に、オヤジ臭さを感じたけれども、先輩が言うと、何故か地に足がついているように思えた。

詳しく話を聞くと、奥さんになる人は十八になったばかりだという。まだ遊んでいたい年頃だ。彼女にしても、早すぎる結婚だろう。

「そうかもしれないね」

先輩は何故か口を濁した。俺は不思議に思ったが、今度遊びに行く約束をして、その日は別れた。

それから数日もしないうちに、誰もが予想しなかった出来事が起きてしまった。

この平和な国で、戦争が勃発したのである。


戦争の発端となったミサイル攻撃で、都心に住んでいた俺の両親は死んだ。犠牲者は数十万人とも言われている。

俺の周りの人たちも、親や兄弟、愛する人を失っていた。だからこそ、冷静でいられたのかもしれない。誰もが平等と思うことで、パニックに陥らずにすんだのだ。

「大丈夫かい?」

「何がです」

先輩が声をかけたのは、普段どおりの俺が異様に映ったからだと、後から聞いた。周囲のみんなが打ちのめされている状況で、菓子を食べながら漫画を読んでいるのは、確かにおかしな光景なのだろう。先輩が心配になるのも無理はない。

「僕と一緒に来るかい」

先輩は、妻となる早苗さんの元に避難すると言った。田舎に住む彼女は、戦禍にも巻き込まれていなかった。

「ですけど」

大学は間もなく閉鎖されるという。行くあてがない俺にしてみれば、ありがたい話だった。ただ、彼らの間に、赤の他人である俺が割り込むのは心苦しい。

「むしろ、来て欲しいんだ」

先輩は不安げな顔をした。頼りになる兄貴がこんな目をすることに、俺は驚いた。

「僕たちを、助けてくれないだろうか」

俺は先輩の事情を思い出した。正しくは、早苗さんのことである。

彼女は、特異な病気を煩っていた。ナルコレプシーという病である。眠り病と表現したほうが実態をつかみやすいだろう。一日の大半を眠り、たとえ目を覚ましても、突然、眠りの世界に戻ってしまう病気だった。

病が発症してから、療養所で暮らしていた。ここ数年の経過は思わしくなく、起きている時間はかなり短いらしい。改善の見られない病状に、彼女の家族は諦めていた。見舞いに訪れるのも、月に一度、あるかないか。そして、この戦争で亡くなってしまった。

先輩が結婚を急いでいた理由は、彼女の境遇を慮ってのことだった。そして、戦争がもとでひとりになってしまった彼女と、一緒に暮らすことを決意したのだという。

この優しさは何なのだろう。

俺だったら、親が決めた許嫁なんてものは無視する。病気の女なんて面倒くさいものは、なかったことにして、健康で身近にいる女を彼女にする。

そんなことを思っても、全部が想像だ。

俺が先輩の立場だったら、どうするだろうか。何年も前から、結婚相手となる女性がいて、話をしたり、食事をしたりして、関係を育んでいたらどうだ。会うたびにエッチをして、相性もよかったら、迎えに行こうとするのか。

わからない。俺は先輩ではないのだから。

先輩は、自分の力不足を口にしながらも、逃げずに立ち向かおうとしていた。そんな先輩が輝いて見えた。

「俺なんかが、役に立ちますか」

「僕だけでは、看病しきれるかわからない」

自信がないとも言う。

俺が遠慮すると考えて、わざと弱々しく振る舞っているのかもしれない。勘ぐってしまうほど、先輩はよく気を遣う。

「行きます」

断る理由はもとからなかった。俺から頭を下げて頼むくらいがちょうどいい。

今まで世話になりっぱなしだった先輩に、恩返しができる。そう思うと、嬉しさが込み上げてきた。

先輩は、いつもの微笑みを浮かべて、俺の肩を叩いた。


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