第十五話 未来を設計する学び舎
エルドラド帝国との決定的な政治決着、そして皇太子たちの断罪から、三年。
かつて一年中泥にまみれ、毎年のように氾濫を繰り返す「帝国最悪の貧困地域」と見捨てられていた黒土領は、今や大陸全土から畏敬を込めて呼ばれる、最高の経済・建築の新星都市――『アローザ自治都市』へとその姿を完全に変貌させていた。
「よし、そこだ! 梁の接合部に歪みがないか、測量儀でミリ単位まで確認しろ! 道具のメンテナンスを怠るなよ!」
どこまでも青く澄み渡る空の下、現場監督を務める職人の威勢のいい声が、新しく区画整理された美しい石畳の通りに響き渡る。
かつてのぬかるんだ悪路は、緻密な地形勾配の計算によって重力を利用して川へと水を誘導する「暗渠排水網」によって、雨の日でも水溜まり一つ作らない完璧な舗装道路へと生まれ変わっていた。
通りには、壁全体で建物の重量を均等に支える壁式構造の理論を応用した、白いレンガと木目が美しい三階建ての共同住宅が整然と立ち並んでいる。地下には生活用水を一括供給する配管と、汚水を外へと逃がす排水溝が完璧に張り巡らされ、帝都の平民街のような不衛生な臭いは一欠片もない。
商人の口コミやアローザの快適さを聞きつけて、帝国の過酷な税から逃れてきた無数の平民や難民たちが、今やこの街の誇り高き労働者として、目を輝かせて行き交っている。
私は中央広場を見下ろす工房本部のテラスに立ち、生まれ変わった街並みを眺めていた。
眼下には、三年前には想像もできなかった光景が広がっている。
「本当に、夢のような街になったわね……。魔法の補強に頼らず、誰もが安心して暮らせる街。三年前には、まだ設計図の上にしかなかったのに」
「見事なもんだな、エレーナ。帝国の禁輸を逆手に取って、完全な自給自足の工業都市へとアローザを進化させ、今や隣国ローザン連邦へ続く、世界最大の建築市場(交易路)を支配しちまうんだからな」
背後から声をかけてきたのは、レイヴンだった。
三年前、ボロボロの作業着を着て泥まみれで石を弄んでいた元天才職人は、今やアローザ建築工房の最高執行責任者として、仕立ての良い上質な外套を羽織っている。だが、その短い黒髪の隙間から覗く、鋭い鷹のような瞳の知的で不敵な輝きは、出会ったあの日のままだ。
「ええ。ですがレイヴン、これでもまだ、私の引いたグランドデザイン(設計図)の第二段階が完了したに過ぎませんわ」
私は淹れたてのコーヒーのカップを置き、動きやすい上質なウールのパンツスタイルに、腰にはあの一級建築士時代を思い出させる革製の道具袋(腰袋)を巻き直した。
「利権にまみれた古い魔法建築の時代は終わりました。ですが、正しい建築力学と、それを支える職人たちの幸福、そして自然の力を構造の工夫で受け流すこの技術は、私たちがただ独占しているだけでは、いずれ形骸化してしまいますわ。技術とは、広く次の世代へ残し、育てることで初めて永久に崩れない本物の『形』になるのですもの」
私がまっすぐに彼を見つめると、レイヴンは少し照れたように視線を外し、だがすぐに深く、真剣な瞳で私を見返した。
「……ああ。だからこそ、今日この日のために、ダリオたちと一緒にあの巨大な学び舎を造り上げてきたんだもんな」
「ええ。アローザの技術を、世界の未来(つぎの世代)へ繋ぐ時が来ましたわ」
☆
一時間後。アローザ自治都市の中心部に新設された、広大な記念広場。
そこには、数千人を超える職人、領民、そして大陸各地からアローザの噂を聞きつけて集まってきた若い志望者たちが、割れんばかりの熱気で広場を埋め尽くしていた。
民衆の視線の先にあるのは、朝陽を浴びて神々しく輝く、白亜の圧倒的な巨大建造物だった。
柱が一本もない、幾何学的なシェル構造(ドーム形状)によって実現した、広大で清潔な大空間。接着剤(魔法)など一つも使われていない。
ただの泥の土地から採れた石と、ダリオたち石工のミリ単位の技、そして緻密な構造計算だけで、何万トンもの重量が自立している、まさにアローザの技術の粋を集めた最高傑作だった。
その見事な大ドームの壇上に、私は安全帽を小脇に抱え、ゆっくりと登壇した。
一瞬にして、数千人の民衆が息を呑み、静まり返る。
「アローザ自治都市の皆さん、そして技術の光を求めてこの地へ集まった、未来の職人の皆さん。本日、この美しい放物線の下で、我がアローザ建築工房の最大の、そして真の夢の実現を宣言いたしますわ」
私は澄んだ、大地をも揺るがすような凛とした声を、広場全体へと響かせた。
「身分制度の鎖を断ち切り、特別な巨木も、貴族の魔力も一切必要としない、本物の『科学』。それを一から学び、自らの手で未来の街を設計するための学び舎。本日、ここに『アローザ高等建築学校』を開校いたしますわ!」
私が高らかに宣言した、その瞬間。
わあああああああああああああああああッッッ!!!!
広場を埋め尽くす民衆から、これまでの一瞬のどの瞬間よりも凄まじい、地鳴りのような歓声と拍手が爆発した。
「学校だ! 魔法の血筋がなくても、俺たち平民の子どもが、あの崩れない橋や家を建てる技術を学べるんだ!」
「エレーナ様万歳! アローザの新しい時代万歳!!」
若い志望者たちが涙を流して抱き合い、ダリオたち首席職人たちが白い安全帽を空へと高く放り投げて大笑いしている。
かつて私を「国家反逆の罪人」として泥の辺境へ追放した魔法帝国は、今や足元から物理的に解体され、歴史の瓦礫の中に埋もれ去ろうとしていた。
けれど、私がこの大地に職人たちと引いた一本の設計図(線)は、利権の壁を完璧にねじ伏せ、誰も崩すことのできない「不滅の教育」として、これからの世界の常識を美しく塗り替えようとしている。
「本当に、完璧以上のグランドデザインだな、エレーナ」
壇上へ歩み寄ってきたレイヴンが、白い歯を見せて笑い、私の手を強く、しっかりと握り締めた。彼の無骨で温かい手のひらの感触が、私の心へ心地よく伝わってくる。
「ええ。ですが、私の設計を完璧な形にしてくれたのは、あなたという最高のバディ、そしてここにいる信頼できる職人たちの力ですわ、レイヴン」
私は彼に向き直り、満面の笑みを返した。
かつて、ドレスの裾を泥に汚しながら、この地へ足を踏み入れた日のことを思い出す。
あの日、私の手元にあったのは、古ぼけた地図と、前世から持ち続けてきた建築の知識だけだった。
けれど今、この大地には、同じ未来を見つめる仲間たちがいる。
私たちが引いた設計図は、これからも若い技術者たちの手によって、何度でも描き直されていくだろう。
そして、その一本一本の線が、いつか世界の果てまで続く新しい街を造り上げる。
魔法に頼らず、誰もが自分の足で立ち、安心して暮らせる街を。
私たちの都市開発は、まだ始まったばかりなのだから。
(第一部 完)




