30.おにぎり
その日は新月だった。無数に広がる星たちは寂しいだろうなと思った。そんな月が、少し羨ましく感じた。
星月は、ジャングルジムのてっぺんで夜空を見上げながらそんなことを考えていた。高木に囲まれた公園には、遊具の他に運動ができそうなグラウンドが整備されていた。
「りりちゃん!? 探したんだよ!」
ものすごい速さで奈々が公園の入り口から駆け寄ってきた。すぐに真下にたどり着き、重力を感じさせない速度で登ってきた。
「怜央くんじゃなくて、がっかりした?」
それよりも、どうやったら重力に逆らえるのかが気になった。奈々が星月の隣で立ち上がると、風が葉を揺らし、楽し気なリズムを刻んだ。
「難しいことはよくわかんないけど、怜央くんなら何とかしてくれるよ! あたしは全部頼ってるからね!」
いや、正しくは頼らせてあげてるかな!と、訂正しながら、胸を張っていた。その言葉は風に流されて消えた。星月は、この人は風の化身か何かなんだと確信した。
——名前、なんだっけ。
『賑やか先輩です! 若しくは、疾風先輩でも、いいかもです!』
——怜央くんって、だれ?
『エリート君かと、思われます!』
星月は、白瀬に複数の名前があることを不思議に思った。彼は三つの名前を使いこなしているらしい。
「こんな寒いところにいたら風邪ひいちゃうよ?帰ろ?」
まるで一緒に帰ろうと言っているように聞こえた。
「りりの家、来るの?」
一緒に住んだ記憶はなかったが、もしかしたらそんな約束をしたのかもしれないと思った。
「なんで!? それも良いけど……うーん……とりあえず、ここ降りよっか!」
星月は言われるがままに、ジャングルジムを下りた。何故か、先に動いた星月よりも奈々の方が圧倒的に速く降りていた。行くよ!と、奈々に手を引かれ、歩き出した。
「ここの公園、よく遊んでたんだ。ちいさ——」
コホンと小さく咳ばらいを挟み、言葉を続けた。
「広くていっぱい走れるでしょ? 昔は——」
二度咳払いを挟み、かすれた声で話し続けた。
「と、とりあえず、行こうね? ……ね?」
変わった人だと思った。変人さんと、名付けてもいいかもしれない。頭をさすりながら、公園を後にした。
『りり……気付いてる?』
頭の中で、言葉が響いた。星月はそれを聞き流し、目の前の奈々を追いかけた。
◇◇◇
奈々に手を引かれ、見たことのあるような部屋に案内された。大きいテレビ、大きなテーブル、柔らかそうなソファ。目の前には、白瀬と黒髪の優しそうな女性がテーブルを挟んで座っていた。白瀬は、少し難しそうな顔をしていた。
「見つかってよかったわ。お皿のことは、気にしなくていいからね。」
『陽だまりさんです! お皿は、さっき……割っちゃいました。』
ティンクはドジっ子さんだなと思った。
「ごめん、なさい。」
気にしなくていい、とひなこが言った。
「そんなことよりも、靴下が悲惨なことになっているわ。早く脱いで、お風呂に入った方がいいわ。」
足を見てみると、靴下にはご飯がくっついており、少しだけ赤く染みているように見えた。星月は急いで靴下を脱いだ。
「大変! 足の裏、血が出てる! 怜央くん、拭いてあげなきゃ!」
座ってろと、白瀬に言われ、その場に座り込んだ。星月は、白瀬にされるがまま足を拭かれ、風呂場に案内された。
「奈々は大丈夫だったか? あいつは阿呆だからな。俺が行けたら良かったんだが……」
「アホって聞こえたけど!? アホってなに!?」
奈々が颯爽と現れ、白瀬を追い出した。まったく!と、呼吸を調えながら、星月と向き合った。
「これ! 使っていいよ! 見た感じあたしと同じくらいだし!」
奈々から服を受け取り、脱衣所にあった棚の上に置いた。ごゆっくりー!と、言い残し、奈々が走ってどこかに消えた。
『あの子は……危なっかしいですわ。』
賑やかさんだよ、と教えてあげた。星月は、ゆっくりと服を脱ぎ、風呂場のドアを開けた。
◇◇◇
お風呂を上がると、白瀬が部屋で作業すると言っていたので、ついていくことにした。白瀬が机の上にノートを広げ、ずっと何かを書いている。小さなテーブルの上には、おにぎりが並んだ皿が乗っている。隣には奈々が座っており、両手におにぎりを持って交互に食べていた。星月も同じようにした。
「おい、それはお前のじゃないだろ。」
作業をしながら白瀬が言った。
「それ誰に言ってるの!? もしかしてあたし!?」
当たり前だろ、と白瀬が言い、なんで!?と奈々が言った。三回ほど繰り返した後、白瀬が黙って作業を続けた。
「エリート君、かきかきさん楽しいの?」
星月は4つめのおにぎりを頬張りながら尋ねた。
「楽しいか楽しくないかで言えば楽しくはない。結末がわかっているからな。ただ、必要なことだ。」
星月は、楽しくないことを夢中になっている彼が不思議だった。いつも自分の理解できないことをしている。
「りりちゃん。真面目バカは忘れてあたしの部屋に来なよ! お話して一緒に寝よ?」
奈々が手を差し出し、星月を誘った。白瀬は何も言わず黙々と作業を続けていた。左手に持っていたおにぎりを一気に口の中に放り込み、星月が奈々の手を取る。
「賑やか先輩のお部屋たのしみだなー!」
グイっと勢いよく立ち上がると、目線が奈々と同じくらいの高さになった。
「待って。りりちゃんの手、すっごいご飯粒くっついてる!」
何のことかわからなかったが、確かに奈々の手のひらにはいくつかの米粒が付いていた。星月は、米粒を掴み取り、口へ運んだ。
「えへへー。賑やか先輩の……もーらい!」
あたしのじゃないけど!?と、困惑した様子が可笑しかった。すると、奈々が星月の右手に持っていたおにぎりにかぶりついた。
「りりちゃんのもーらい! おいしいね!」
二人で笑いあっていると、白瀬に煩い!と、注意されてしまった。奈々が反論していたが、やがて星月の前に戻り、手を取った。行こ!と、声を掛けてから部屋を出て、右隣りにあるドアに手を掛けた。ドアには、奈々と書かれたボードが掛けられている。ハートが散りばめられ、親しみやすさが滲み出ている。
奈々がドアを開けると、そこにはピンクを基調にした可愛らしい部屋が広がっていた。何かの花の香りが漂い、棚や机、ベッドの上など、何かを置ける場所には必ずぬいぐるみが置いてある。コルクボードには写真が所狭しと貼られており、白瀬の部屋とは正反対だなと思った。
星月は大きく欠伸を一つしてから、奈々の後から部屋に入った。奈々から大きなぬいぐるみを手渡され、ベッドの前に座るように言われた。ぬいぐるみの頭を撫で、ギューッと力一杯抱きしめた。
その後、二人で遊んだが、片時もそのぬいぐるみを離すことはなかった。星月が目を擦ると、奈々がもう寝よっか!と言って、一緒にベッドに入った。
「おやすみ。りりちゃん。」
星月もおやすみと言い、奈々がいる方とは逆を向いた。奈々から借りた大きなくぬいぐるみを抱きながら、その日は眠りについた。
次話は8月14日に投稿されます




