第3話 ちびっ子王子襲来
「あー、第一王子殿下にご挨拶いたします、本日より…」
「クビにしてやる!」
うろ覚えの挨拶をさせてもらうことは叶わず、いきなり怒鳴られた。
それどころか、ぎゃあぎゃあ喚きながら脛を蹴られた。
豹のようにスカートの裾を引っ張られて、振り回される。
慌てて止めようにも、王子に触っていいかもわからなくて、裾ごとその場にしゃがみ込むしかなかった。
なんだこのクソガキ…、ごほんごほん、不敬で死ぬにはまだ早いわ。
しゃがみ込んで同じ目線になったからか、無遠慮に髪を掴まれた。
子どもだから手加減を知らなくて、思わず声が出る。
「痛っ」
「おまえなんかしんじゃえ!バカっ!」
私が何をしたというんだ。
仕事しているだけだし、いくら王子とはいえ仕事の邪魔をする方が悪いだろ。
せっかく家を出たというのに、なんでまたニコルみたいな人間の相手をしないといけないんだ…。
私は、獣係だぞ。
……いや、これもある意味、獣か。
絶対不敬だ、口にしないようにしよう。
「痛いです、離してください」
「こんなきたない、ちゃいろのかみのけくせにぃ!」
「馬と同じ色ですよ」
「ぼくはっ、ぼくはキラキラですごいんだぞ!」
色で優劣がつく世界に生きていらっしゃるの?
変わった子ね。
言っていることがめちゃくちゃだし、それなのになぜかボロボロ泣き出した。
王子はわんわん泣きながら、ずるいずるいと泣き叫ぶ。
近い距離でやめていただきたい。
この状況、どう見ても泣きたいのは私の方じゃない?
こんなことで、いちいち泣かないけどさ。
あ〜、もう〜!
4歳ってこんなに行儀悪かったっけ?
私が4歳の頃は、子どもが身につけておきたいマナーくらいできたと思うけど。
うん、思い出してもできてたわ、家庭教師に褒められた記憶がある。
王族なんだから、もっとできていないとまずいんじゃないの?
どうしたものか、と半ば諦めた頃。
「ヒョウにさわるなんて、ぼくだってゆるされてないのにっ!」
王子は大きな瞳に涙をいっぱい溜めて、ぷんすかしながらそう言った。
「豹、ですか…?」
「どうしておまえはさわれるんだ!ぼくはいつもにげられるのに!」
「豹に逃げられているんですか」
「一回もさわれたことないのにいいいいい〜〜〜〜!!!!」
しゃくりあげて泣くから、私の髪からも手が離れて、ぐずぐずの顔を自分の小さい手で拭き始めた。
あー…、豹に触れなくていじけているのか。
ふと、相変わらず木の上にいる豹を見上げた。
心なしか、小さき王子を睨んでいるようにも見える。
何したんだ、この王子。
私が当たり前のように触れていたから、八つ当たりされたのか。
嫉妬ってやつか。
情緒激しくお育ちのようで。
なんか本当にニコルを見ているようで、頭痛いわ。
髪を引っ張られて数本抜けたんだけど、これって何かの手当てはつくのかしらね。
「殿下、豹はたしか警戒心の強い動物だったはずです」
私の変わらない平坦な声に、王子はぐしゃぐしゃの顔を上げた。
喚かないなら、それなりに可愛い。
ふうと息を吐きながら、私はその目を見た。
「警戒心というのは、危険がないかと常に周りを見ているということです。誰が敵か分かりませんからね、用心深いのです」
「……?」
「つまりですね、自分の身を守っているだけなのです。親でも兄弟でも友達でもない相手から逃げるのは、普通のことです」
「…どうしたら、にげられないんだ」
「仲良くなるように努力することです」
「…おまえは、ヒョウとなかよしなのか?」
そう訊かれると、違いますと言いたいが、話がややこしくなるからやめよう。
「そうですね、豹に怖がられないように工夫しています」
私の声が届いているのか、王子は呆けた顔で私を見つめ返してくる。
泣きすぎて、鼻も頬も真っ赤だ。
殿下の中で、赤色はどれくらいの地位なのかしらね?
短い腕でゴシゴシと目を擦って、相変わらず生意気そうに言った。
「どうしたらいいか、おしえろ!」
もっちりしたほっぺが膨らんで、ようやく年相応に見えた。
言い方はアレだが、人に教えを請うのはいい姿勢だ。
この方は、学ぼうとしている。
これはニコルとは大違いだ、一緒にして申し訳なかったな。
「豹は木登りが好きです。だから、木の上にいる時は待ちます」
「うん」
「あと、匂いに敏感です。香水などが苦手でしょうから、もしかしたら殿下に近寄らないのは、匂いのせいもあるかもしれませんね」
「こうすいというのは、ははうえがつけているお花のかおりがするものだな」
「よくご存知ですね。そうです、それがついていると豹は嫌がります」
「ぼくはしてないぞ」
「でも、香水をつけている方のそばにはいますよね?匂いは移るので、殿下の服にもついていると思いますよ」
そう言うと、切なそうな苦しそうな顔をされた。
「ははうえに、ぎゅっとされるのが、だめなのか…?」
そうくるか。
そしてまた泣きそうになっている。
「抱き締めてもらうのはとても素敵なことです。ただ、豹に会いにくる時は、その服は着替えてきた方がいいかもしれません」
「きがえ…」
「ええ、できれば侍従の方に汚れてもいい服を用意してもらうのがいいですよ」
そういえば、付き人はどうしたんだ。
「それは、むずかしい…」
あからさまにしゅんとして、下を向いてしまった。
口を尖らせて、ほっぺが落ちそうだ。
「ぼく、ほんとは、ヒョウに会いにきちゃいけないから」
「会ってはいけないのですか?」
じゃあ、なんで乗り込んできたんだ。
「ヒョウは、ぼくのじゃないから。おうじょのヒョウ、だから」
「…あー、まあそうですね」
「ははうえが、かなしいかお、する…」
「そうですか」
「でも、ぼくもヒョウさわりたい。…ほんとはね、ぼくのが、ほしい」
また泣き声に変わって、しょんぼりしている頭を撫でてあげるわけにもいかなくて、私もなんとなく体が固まってしまう。
これは、厄介な問題がやってきてしまったかもしれない。
うーんと唸った時、庭の入り口に大人が現れた。
可哀想なくらい青い顔をして、こちらに走ってくる。
「エルバート殿下…!またこちらにいらしたのですかっ!探しましたよ!」
たぶん、王子の侍従だろう。
目を離した隙に逃げられたのかな。
だったら、逃げる豹の気持ちも汲んであげてほしいところだが、そこまで4歳児に求めるのは難しいか。
侍従が到着しそうになった途端、王子はバッと振り返って、走っていってしまった。
「…っ!」
「「ええぇ…?」」
私と侍従の情けない声が、同時に響いた。
私は立ち上がることもなく、そのまま庭を出ていく殿下を見送った。
侍従は、私に頭を下げるなりUターンして、王子を追いかけるべく走っていった。
「うーん、ちょっとだけ可哀想だったかもなぁ」
私の呟きに、いつの間にか豹が真隣に来ていて、すりすりと頬擦りされた。
「何よ、同情するなら触らせてあげれば?」
そう悪態ついたけど、豹は何も言わない。
ただ体温が伝わるようで、正直ホッとしてしまった。
なんか、疲れたな。
豹は座り込んでいる私をいいことに、膝の上に顔をのせてきた。
その頭の肉を摘むように揉みほぐしながら撫でていく。
もふもふが今は心地よかった。
豹はされるがまま、まるで猫みたいに目を細めた。
第一王子殿下は、側妃様の子どもだ。
そして、先日生まれた王女殿下は正妃様の子。
隣国から嫁いできた正妃様になかなか子が生まれずに、自国から側妃様を選ばれた。
側妃様はすぐに子を成し、誕生したのが、さっきまで泣いていたエルバート第一王子だ。
そしてこの度お生まれになった王女殿下には、正妃様の生まれた地から祝いの豹が送られてきた。
隣国ではそもそも高貴な女子が生まれた時に、お祝いとして調教済みの大型動物を贈呈する慣習がある。
『弱き女児を、強き獣が守ってくれますように』という願いが込められているそうだ。
だから隣国は、動物の調教が上手なのだ。
正妃様の子どもだから、隣国の王はこの豹は贈られたのだし、王妃陛下もご自身が生まれた時に自分の唯一の動物となった鷹を連れて、この国にやってきた。
鷹は飼育の元だと、30年近く生きることも可能だそうだ。
隣国のつながりを考えると、王女殿下が豹をもらえたのは当たり前だし、女児ではなかった王子殿下に送られなかったのも別に不思議な話じゃない。
ただ、自分の時はもらえなくて、腹違いの妹にはもらえたことに、王子は何か思うところがあったのかもしれない。
側妃様と侍従の目を盗んで、王妃の庭まで会いに来るくらいなのだから。
「…本当は僕のがほしい、ねぇ」
どうしたものかと思いながら、私はブラッシングの続きをしたのだった。




