人生における無数の選択肢
大層なタイトルをつけていますが、そんな大した内容ではありません。
最近、自分の書いている作品の中の登場人物にも次のセリフを言わせました。
「まぁ俺に言えることは、なるべくどんどん吐き出せ。近くに話相手くらい、いくらでもいるだろ?」
僕はそんなカッコイイセリフを言えるガラではありません。
人それぞれだと思うけども、色々なしがらみや、辛かったこと、どうしても忘れたい辛かったこと、それに伴う幸せだったこと、自分のことをどうしても許せないこと、あるかもしれないし、ないかもしれない。
最近読ませていただいた作品の中で、ずっと自分の中で秘めていた。蓋をして、無かったことにしていたことを呼び起こし、向き合う。そういう感じの作品がありまして。
更に言いますと、個人企画なのですが、ライアンさんの「木枯らしの風景企画」という企画が9月25日から始まると告知もありまして。
たぶん、そういう時ってきっと。
自分の中でもそれを吐き出すというか、認めるというか。向き合うことを求めていたのだと思う。
向き合ったからといって解決することではないかもしれない。
ただただ、傷ついてしんどくなるだけかもしれない。
でも、僕はそれを書きたがっている。
なので、書きました。
何をやねん! という感じですが。
少し話は逸れますが、人間ってとても辛かった記憶は忘れようとしたり、変化させて美化させてしまうようなことがあるみたい。
なるほど、僕はなんだか色々あった気がするけども、それなりに幸せに暮らせている気がする。
これは忘れたからなのか。それとも美化したからなのか。
人生とは、選択と決断の連続だと言いますが、僕は今まで生きてきた中で、どれだけの選択をしたんだろうか。
どれだけの決断をしたんだろうか。
こうすれば良かったと思ったことはあるのかな。
しなければ良かったと思うことはあるのかな。
でも、それがどちらにせよ、過去に戻ってやり直すことはできない。
次からはこうしようと、反省材料にするくらいである。
僕の場合、割と自分のことをさらけ出し過ぎだとたまに言われます。まぁまだ隠してるほうなんですけども。
さらけ出すことで見えてくることもあるような気もしますけどね。
まぁそういうこともあるので、少しぼかしながら今までの選択を振り返ってみる。
あの時、きちんとありがとうと言えてたら。
無視なんかしてなければ。
いいよ、と朗らかに許すことができていれば。
手を差し伸べてあげれてたら。
しっかりせんかい、と怒ってあげれたら。
逃げずに立ち向かっていれば。
素直に思いを伝えていれば。
恥ずかしがらず、向き合っていれば。
裏切っていなければ。
引きずり倒してなければ。
もう少し、気遣ってあげれていれば。
しょうもない選択も入れると、たぶん恐ろしく複雑な分岐点がアホほど出来ると思うので、そこまでは辿れませんが……
今回、文章として残した作品は、まぁまぁ僕が若い頃にあった出来事です。
結局、作品の宣伝かと言われればそうなのですが。
このなろうに残した作品は、創作として残ります。ただ、それを書いた時に、どんな気持ちで書いたのか、なんのために書いたのか。
それが自分の中でも解るように、思い出せるように書き記しておくという感じです。
今、このエッセイを書いているのは2026年8月22日の仕事帰りの電車の中です。
先ほど言っていた「木枯らしの風景企画」の投稿は今日より一ヶ月と少し先になるのですが、
「枯葉舞い散る頃に」9月25日投稿
「木枯らし→しりとり」10月2日投稿
の予定です。
活動報告でいいんじゃないの? という感じの投稿告知ですが、少し「頭の中」のことを吐き出すためにこちらのエッセイに書くことにしました。
僕がこれから生きていく中で、これから無数の選択肢がある中で、
少しでも後悔のない選択ができればいいと思う。
後悔をしたとしても。いや、これで良かったんだよと思える選択ができればいいと思う。
僕はとても傲慢です。
自分だけが楽しいんじゃくて、
誰かだけが楽しいんじゃなくて、
一緒に楽しみたい。
一緒に幸せを感じたい。
そんなアホばっかり言ってますが、
今日も僕は、平常運転です。




