表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/27

【第二十七話】歌に紛れたもの

数日が経ち、ある日の夕方。

ハンガーに戻しそびれた服が、

力尽きたかのように床に積もっていく。


窓の外のオレンジがかった夕陽は、

キャンバスと焦る私を照らす。

そう、今日は高城さんのライブだ。


「いやいやどんな服装で行けばいいの!?」

ミュージックバーって行ったことはあるけど

忘年会の二次会だったし、店によって違いそう。


え、ライブを見に行くだけよね。普通で良くない?

でもバー?もしかしてワイングラスが

ちょっとセクシーな感じが正解だったりする?


―――結局、紺のワンピースに羽織を一枚。

派手じゃないけど、コンビニに行くレベルとは違う。

「……うん、丁度いい、かも」

丁度いい、ね……。

最近この言葉は使わなくなったな。


そして、いつもより念入りに化粧をする私。

眉と目を整える途中、夏美ちゃんが浮かんだ。

「夏美ちゃんっていつも化粧うまいよなあ」

試しに写真を撮って送ってみるのは……

無しだな。さすがに恥ずかしすぎる。


―――外に出ると、

夏の名残の生ぬるい風が、ふわっと頬を撫でた。


彼が言っていたミュージックバー。

最寄りから電車で一駅。

電車を降り、何度か通ったことのある道を歩く。

今まで意識したことがなかった、

歩道のそばにある地下への階段を降り、

お店の前に着く。


やたらと重たい木の扉を開けると、

静けさから一気に世界が変わった。

既に大勢の客が集まっており、

ガヤガヤとした熱気とジャズのBGMが

私の耳に押し寄せてきた。


そばにいたスタッフであろう若い男性から

「いらっしゃいませ、チケットはお持ちでしょうか」

と声を掛けられる。私は視線をふらふらさせながら

「あ、えっと、あの、高城さんが確か……」

と相変わらずの語尾の弱さで返したところ、

「ああっ宮坂さんですね!

チケットはお預かりしております。

どうぞどうぞ、自由席ですので」

と言われ、私はドリンク代の500円のみを払った。


店の中は、バーらしいカウンターと、

開けたスペースにテーブルがいくつか。

客は二、三十人ってところか。


奥を見ると、小さめの舞台。

小さなドラムセットと、

マイクスタンドやギターのアンプが

いくつか置いてある。


私は舞台から遠いカウンターの端っこに座った。

すると人の良さそうなマスターが気を遣ってか

声をかけてくれる。

「あ、あ、はい……高城さんの、知り合いでして」

「おお、湊くんの。ゆっくり楽しんでくださいね」


湊くん、か。

私の知らない彼がここにいるんだな。


せっかくだからと注文したスプモーニを片手に、

スパイのようにコソコソと店内を見渡してみる。

するとステージの袖に、彼の姿が見えた。

誰かにぺこぺこと頭を下げ、

別の誰かとは明るく話している。


慣れ親しんだ場所だというのがわかる。

でもどことなく、顔が緊張しているかな?


すると彼は一瞬こちらに目をやり、

「あ」という口をして手を振った。

私はニコッと笑い、片手をスッと胸あたりまで上げて

それに応えた。


……よし、いまのは上品な仕草だったぞ。


彼は私をちらちらと見つつも

あらゆる雑務にせわしない。

私は彼に一度頷いてみせた。

いいよ、こっち来なくて。大丈夫。

ここで応援してるから。


そして開演時間、店内は一気に暗くなった。


―――何組かの演奏が続いたあと。

高城さんはステージに上がり、ギターを抱えた。

「高城湊です、よろしくお願いします!」

というマイク越しの大きな声は、

私を自然と微笑ませた。


そして、ギターをひと撫でして――歌い出した。

一曲目は有名なJ-POPのカバー。その一音で、

私は思わず、背筋を伸ばしていた。


―――あれ。

声が、違う。いや、声は同じだ。

飽きるほど壁越しに聴いてきたあの歌声。

でも、本当はこんなにまっすぐ、

こんなに通る声だったんだ。へえー……。

壁を一枚隔てないだけで、違うんだね。


私に音楽の才能はないけれど、

やっぱり、ずっと歌ってきた人。

想像よりもずっと上手だ。


―――一曲を歌い終え、彼は一度マイクから口を離し、

小さく、息を吸った。

いつものハキハキした顔が、ほんの少しだけ、強張っている。

「……次は、オリジナルです。今回初めて披露します」

店内が小さく湧いた。

「おーっ」という声と、温かい拍手。

彼は拍手に浮かれるでもなく、

ギターを構えた。


緊張している……?でもなんだか、

覚悟を決めたような顔にも見えた。


イントロが、流れ出す。

聴いたことのあるギターの音色。

ここ最近、壁越しに少しずつ増えていった、

メロディたちの完成形。


しっとりとした、バラード。

「自分の心に正直になると、こうなる」

と言っていた曲。


聞こえてくる歌詞は、誰とも言わない主人公が

葛藤の中からもがいて出口を探すような言葉たち。

その歌声と音色はすごく優しくて、

でも苦しみを抱えてそうで、まっすぐで、

彼らしい音楽だった。


そして、二番のサビの歌詞。

「ある日現れた 一筋の風は

心の中に光を通した

壁の向こうへ そっと流れて

今度は誰かの暗闇へ届けよう」


―――あれ?


私の心臓が一拍跳ねた。

壁。向こう。誰かの暗闇……。

あ、ある日現れた……?


頭の中で、いくつもの記憶の断片がぶつかり合う。

いつか彼が言った「『すり抜けたい』もの、かな」。


いやいや、待て待て待て。

壁の歌詞なんて世の中に星の数ほどある。

というか聴け、歌をちゃんと聴け。

なんたる自意識過剰……、


……でも。

でも、どの言葉も、覚えがあり過ぎて。

確信は持てない。

持てないけど――持ちたくなってしまう。


そう思った瞬間、顔が一気に熱くなった。

私の動揺を代弁するかのように、

両手で包んだグラスの中で

氷がカランと鳴った。

私は、最後のサビを歌う彼の雄姿を見ながら考えた。


あの人のことだから、無意識に書いたのかな。

でもさ、私の絵のテーマが壁だってあんだけ話したのよ?

気になるに決まってんじゃんか。

ほんとに無意識ですか?


気になる……ずるいなあ。


―――最後のフレーズを歌い切り、彼は静かにギターの音を止めた。

一瞬の静寂のあと、店内が拍手で満ちる。

彼は照れたように、でも確かに誇らしげに、深く頭を下げた。


私もいつの間にか、ただ感動した客の一人になっていて、

一番遠くから手を叩いた。

心の中では、店内の誰よりも強く叩いた。


彼が客席に降りて私のところへ来たのは、

全部の組が演奏を終えた後だった。


「柚希さん、来てくれてありがとう」

ステージの上とは別人みたいに、

いつもの彼に戻ってはにかんでいた。


「うん……すごく、良かった!良かったよ、ほんとに」

そう返すと、彼は満面の笑みを浮かべた。

「湊くーん、こっちおいで!一杯おごるよ!」

奥のテーブル席から、赤ら顔のおじさんが彼を呼ぶ。

彼は私に「ごめん、ちょっと挨拶だけ」と、

小さく手を合わせて去っていく。


大丈夫、大丈夫……出演者だもの、仕方ない。

仕方ないけど、ちょっとだけじれったい。


そのあとも彼は、何度か私のところに戻ってきては、

別の出演者などに呼ばれたりと、また離れていった。

そのたびに会話は細切れになり、

私といえば、話したいことが喉の奥で渋滞していた―――。


「柚希さん、今日は本当にありがとう、嬉しかった」

帰り際、店の外まで見送りに出てくれた彼が言う。

「ううん、こちらこそ、来てよかった。あの……」

「ん?」

「……ううん。まだ片付けとかあるんでしょ?」

「あー、うん……。また、ゆっくり話そう!」

「うん、また」


―――私は一人、夜道を歩いて帰った。

店の熱気と、まだ耳に残る彼の声と、あの歌詞が、

ぐるぐると私の中で回り続けている。


彼はヒーローみたいに眩しかったわけじゃない。

でも、ちゃんと自分の足で立っていた。

それは出会ってからずっと感じていた眩しさでもあった。


今度は……私の番だね。


部屋に帰り、着替えもせずドスンと座り込んだ。

「ふう……!」

色々考え込んでしまったけど、

彼の演奏は素晴らしかったし、ライブは楽しかった。


……彼はまだ、店にいるんだろう。

寝て起きたら、明日にはまた、いつもの日常。

私はキャンバスの、出来かけの絵をちらっと見た。

「……」


私は携帯を手に取る。

「今日、すごく良かったよ、お疲れ様」

打って、消す。違う、そうじゃない。

「みんなすごく褒めてたね!」

違う違う、ああ、もう!


私は、文面を打ち直した。


「お疲れさま。今日はありがとう。

疲れてるかもしれないけど、

もし、帰って少し時間あったら、

あの公園で話せたりする…?」


親指が、送信ボタンの上で数秒止まる。

こんな誘い文句、自分から異性に打つなんて

今まであったっけ……。


ぽちっ。


「あ……送信しちゃった」


静まり返った部屋に、画面の光が浮く。

心臓が、さっきのライブより

ずっとうるさく、鳴っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ