34.どこまでいっても、私は『私』
あの時の判断を、私はきっと後悔なんかしない。
「ルクレツィア様、こちらの書類についてですが……」
「見せて」
中身は、どこにどんな魔力を分配して、どんなふうに作物の育成補助をしていくのか、について。じっと見ていると、集中的に補助を行うであろう箇所が見えてきて、私の目がそこから進まなくなる。
「どうしてここだけ」
「それはですね、あの、ルクレツィア様は知らないかと思いますが」
「理由を聞いているの、ここに、どうして、偏りがあるの」
「いやだから」
「ここに植えられているのは、ごく一般的な小麦だったと記憶しているけれど」
ぐ、と言葉に詰まった役人は、目をあちこちに泳がせている。ああ、なるほど。この人はきっとあの時私が地べたに這いつくばらせたあの長老会のメンバーの親戚か何かなのね。
……わかりやすいほどに、お馬鹿さんだわ。
見え透いた依怙贔屓なんて、私がするわけがないというのに。
「理由が話せない、っていうことは……ろくでもない理由しかない、っていうことだと己自身で証明しているわね」
「……っ!」
かぁっと、私の目の前の役人の顔が真っ赤になる。
「き、さま……」
「何よ、私が悪いっていうの? ……馬鹿馬鹿しいこと」
人間界で散々罵られて、馬鹿にもされて、蔑ろにされて、99回も死ぬことを選んだこの私のメンタルの強さを、舐めてもらわないでいただきたい。
「ああ、そういえば……私の……いいえ、わたくしの無いこと無いこと悪評を広めてくれたのは……お前?」
言葉遣いを変えて、『私』から『わたくし』に変えてやって、ぎろりと睨みながら問いかければ、その人は面白いくらい……こほん、失礼。可哀想なくらいに、がたがたと震え始めてしまったわ。
「そ、それは、あのぅ……」
「この神界において、王族に対して良からぬことを企んだ者の末路って……知っていて?」
「!!」
「ご丁寧にわたくしがやってもいないことばかり広めてくれたものだから、証拠集めがとっても簡単だったんですって。……ね、ルーカス」
私がルーカスの名前を出せば、目の前の人は面白いくらいに体を跳ねさせて、慌てて後ろを振り向いた。
彼の視線の先に立っているのは、何やら書類を手にしているルーカス。
にっこにこの笑顔は、とても憎たらしいくらいに輝いているけれど、目の奥にはとんでもない怒りが宿っているから……まぁ、ある意味ご愁傷様、とでも言うべきかしら。
この人の、私への溺愛っぷりを舐めないでいただきたいわ。
――嫌というほど溺愛されまくって、最近じゃ例の幸せアレルギーがどこかに消えたんじゃないか、ってくらいに症状が出るのが間に合わないんだもの。
ちょっと誰、『それってルーカスの愛を受け入れたんじゃないか』だなんて言ったのは。
確かに受け入れてはいるけど、まさかここまでだ、だなんて思っていなかったんですもの。まぁでも、ルーカスは小さい頃から私のことをずっと探してくれていたんだから、当然と言えば当然……かしら。
「次期女王、ルクレツィア様に対しての陰での暴言……例えばそうだな、『まともに業務をこなしていない』……いやいや、今はダイアナ様と業務分担をして普通に公務を行っているんだがな。で、『まともな意見を言えない』……ほう、だがしかし、そちらがまともな意見書を出してこないのが原因の一つだろう。それから……何だこれは、『弱い』って……お前たちの方が弱いのに……大丈夫か?」
遠慮のないルーカスのツッコミの嵐に、書類を確認している私は、ついつい手がとまってしまう。私悪くないわ。
あーあ、可哀想。困ったような……いや違うわね、いたたまれなくて、穴があったら入りたいっていう顔になっちゃってるわ。でも原因は貴方なんだから、それは仕方のないことなのよ……。ご愁傷様。
「そ、そんな、あの、ええと」
「言うなら精霊の耳に入らないように気を付けて言えよ? ルクレツィア、実力主義の精霊にめちゃくちゃ気に入られてる上に、気の早い精霊の王からは神界の女王就任おめでとう、って祝福も受けてるんだからな」
「はぁ!?」
ルーカス、ドヤ顔なのはやめた方が良いと思うわ。気持ちは分かるけど。とっても分かるけど。ダイアナ様もこの前同じお顔していらしたし。
「そ、そんな……! 人間界の匂いが染み付いた、こんな奴に……!?」
「……“ひれ伏せ”」
ついうっかり。
そう、ついついうっかり、私は遠慮なく彼のことを睨んでから呪文を口にしていた。この世界でもそうだけど、どうしてうっかりしちゃったー、とかいうふざけた理由で人のことを貶せるのかしらね。
べしょりと間抜けに、床に言われた通りの姿勢を晒している彼を、私は冷めた目で、じぃ、と見ていた。
――こんな馬鹿に対してはもう遠慮しない、って決めてるけど。
人間界に居た頃は、周囲ばかりを気にして、どうにかして馴染まなくちゃ、とか色々考えたりもしていたけど、ダイアナ様が色々配慮してくれて、ルーカスも私のことをしっかりとサポートしてくれている。
そもそもの話。
帰ってきてからしばらくの間、確かに私は不貞腐れていて、最悪の態度を取っていたわ。
でも、きちんと向き合って、この世界でやっていくと決めたから、私は色んな意味で覚悟をしたの。神界でも社交の場はとても大事だと聞いたから、参加をするようにした。
王室の行事だって、参加している。
ダイアナ様やルーカス、ルーカスのご両親は私に『無理はするな』と言ってくれていたけれど、甘えたままでいるわけにはいかないんだもの。
好き勝手噂をまき散らしている連中は、私が帰ってきたことがとても気に食わないって感じている長老会や、かつての『ルクレツィア』を溺愛していた年長組。
それを良しとしないダイアナ様をはじめ、『私』をきちんと受け入れてくれる、とした皆のために、私はうじうじなんてしていられない、って思えたんだから。
「おかしな噂をまき散らしたいなら、好きになさい。でもね、わたくしはもう遠慮しないって決めたんですからそのつもりでね?」
「う、ぐ」
「ルクレツィア、コイツ……どうするんだ」
「別に、好きにしていたら良いわ」
ぱちん、と指を鳴らして魔法を解除してあげれば、のろのろと立ち上がる。
まぁ、とってもお間抜け。
「好きに、って……」
「ええ、そう。好きにしていればいい。でもね……」
にこ、と私は意味あっりげに微笑んでから、ちょうど良いタイミングで出てきてくれた書類を見て、署名欄にサインをしたものを彼の方に投げ捨てる。
「……これは……って……!?」
「ルクレツィア、それは」
「とっても可愛そうなこちらの世界の、ご令嬢のご家族からの嘆願文。何でも……とってもご高齢のクソ貴族が、ご令嬢の家の借金を肩代わりしてあげるから嫁に、っていうふざけたことを言ってきたんですって。手引きしたの、お前よね?」
「……!?」
彼は口を開けたり閉めたり、とっても忙しそうにしている。顔色も青くなったり赤くなったり、何ともお忙しいこと。
「わたくしね、腐ったロリコン野郎って反吐が出るほど嫌いなの。特に、お前のような……弱い立場の人に対して、無理な縁談を持ち掛けたり、人身売買のようなふざけたことを抜かす輩が、ね」
「ひ、っ」
「ダイアナ様に相談して、宰相の許可も取ったわ。そもそも、その借金だってお前の一族が手引きした、っていうじゃない。自作自演的なことしないでちょうだい。クソ野郎」
にっこりと微笑んで、私は彼の目の前で、くい、と親指を下に向けて下ろす。
神界でこれが意味を持つのかは分からなかったけれど、私の蔑んだ目で分かったらしい。くたばれ、クソ野郎、って口パクもしたから、効果倍増だったかしらね?
「綺麗ごと、って言われるかもしれないけれど、そういうことを是として行っているクソ共は、すべて滅びてほしい、って思っているわ。そうするための法案も通す予定よ」
「ああ、最近根詰めてるのはそれか」
「そういうこと。摘発第一号が……」
「コイツ、か」
「そんな……っ!」
書類を手にしてがたがたと震えているが、そんなこと気にしてなんかやらないわ。
私はね、私らしくこの神界を治めていく。
……かつて存在していた『ルクレツィア』は、こちらの世界の甘っちょろい部分だけ吸い上げて、堕落した、って言っても過言ではないわ。
あんな甘ちゃんはもういない。
ここにいる私は、人間界で色々と経験しすぎてしまって、ある意味精神の一部が壊れてしまっている、といってもおかしくないかもしれない。
でも、こんな私にだってできることはある。
「膿を取り除くことは、そう簡単じゃないかもしれないけれど……でも、やってみないと分からないでしょう? それにね、お前たちが罵っている『私』こそ、ダイアナ・エルマ・アーレ・トイテンベルクの正当なる後継者にして、次期女王。前にここにいた『ルクレツィア』はまがい物にすぎない。わたくしこそが、ルクレツィア・リリ・トゥエ・トイテンベルクよ」
真っすぐに宣言して、立ち上がってから、今だ這いつくばっているようなおかしな体勢のままの彼の元に行って、視線を合わせるようにして膝をついた。
「人間界から帰ってきたまがい物王女、って罵ってくれてありがとう。お前たちが罵って、下に見ている人間界で、私は99回己を殺して、やり直してきた。お前たちの戯言なんて、ちょっと薔薇の棘に触れてしまったくらいの、細やかすぎる痛みでしかないわ」
ここまで言えば、私が甘っちょろい、だなんて認識は捨ててくれるだろう。
『私』は、どこまでも私らしく、これから走っていくの。ルーカスが一緒にいてくれる、ってちゃんと宣言してくれたんだから。
……後ろで私以上にルーカスがあくどい顔をしているけど、このおめでたい頭のお馬鹿さんには、見えていないみたい。その方が幸せよ。……今は、ね。




