首
中年の男を助け、ハレーシャンを発つあなたたちだったが、もう一日滞在することになった。
その訳は、レヴァルツィアに行く列車が隔日運行だからだ。今日は運休日で、あなたたちは駅に着いてからそれを知り、出発を明日に見送った。
街に戻ったあなたたち。時刻は落猿の時を過ぎ、今日も夜に備えて大路が盛り上がり始める。
路上では既にポーカーが開かれていた。昨日見かけたダンサーがまた踊っていた。夕飯には少し早いが、あなたたちが食堂に入り、
「はい、お待ちどうさま」
恰幅の良い婦人が運んできた料理に、
「わあ。ちょーいいにおい」
ワラビが満悦して鼻をひくつかせた。
四角いテーブルを囲むあなたたちの前にはそれぞれ、黒い鉄板の上で「じゅぅー」と脂弾ける、厚いステーキが並んでいた。
これを頼んだ訳は、先日テオが「ミミズのステーキ」と言った事による。トラとの戦いの後ワラビが「ステーキ食べたいね」と言い、このたび実現となった。
コショウとニンニクの匂いが、弾ける脂に併せて香る。ワラビが手を合わせてからナイフとフォークを持ち、汁したたる焦げ目の付いた厚い肉を、少し大きめに切って――。
「いっただきまーす。……うんっ、おいしい!」
「おまえがまずいって言うことあるのかよ」
「ジュリアに言われたくないよ。なに食べたって“うまい”って言うくせに」
「そんなことねーよ、あたしだって嫌いなもの、……ないな。ところでさ、ワラビって東から来たくせに、なんて言うの、“和食”? 全然食べないよな」
「だってこっちの料理の方がずっとおいしいじゃん」
「そうか? あたしはおまえんち方の食べ物もいいと思うけどな。……うん、うまい」
「ほら言った」
ワラビの故郷には「ミソ」「ナットー」等、独特な発酵食品があると聞くが、ワラビがそれらを食べる事はなかった。
専ら、西方の物ばかり食べている。着物という故郷のアイデンティティをいつも着ているワラビだが、どうやら故郷の食べ物はあまり好いてないよう。
逆にジュリアは東方の物があると喜ぶ。それは好物が梅干であることからも窺えた。
「別に食えれば何でもよくね? 腹に入ればみんな一緒だろ?」
「なに言ってんの君。分かってないねー」
「ああ。食べる喜びを分かってない」
ミミズすら食すテオの意見は二人が一蹴した。
それにしても、テオの行儀が案外よい。音を一切立てることなく、静かに肉を切っている。
二人は気に障るほどでもないが、時おり音を立ててしまう。彼の丁寧で落ち着いた卓上の作法を、あなたが観察していると、
「ぐわっ、くせえ! なんだこりゃ、ヒトの食べもんじゃねえぞ!」
そんなマナーを台無しにする怒鳴り声が入口の方から聞こえ、あなたたちが振り向いた。
「なに言っているんだねあんたら、普通の匂いじゃないか。ウチの料理にケチつける気かい?」
「なんだとババァ、俺らがウィルガスト家の者と知って言ってんのか?」
「臭くて吐きそうだ。おい、こんな貧乏くせえしみったれた肉じゃなくてな、もっと上等な肉を焼いてよこせよ。おう?」
語気を荒げているのは若い男三人で、その三人に先ほどステーキを運んできた婦人が果敢にも立ち向かっていた。
男三人は小奇麗な恰好をしていた。さらに「ウィルガスト家」と言って婦人を脅そうとしている。
昼間の輩と同じ連中だろうか。あなたたちが立ち上がると、三人のうちの一人は昼間も見た顔の男であった。
「……うっ」
昼間見た男も、あなたたちに気付く。
「なんだおまえら。ウィルガスト家に文句あるのか?」
「お、おいやめろ、こいつら戦士だぞ」
「戦士だとぉ? ケッ、なにビビってやがる」
「バカ、こいつら強えんだよ。それによ、ここにいる全員を相手にする気か?」
昼間見た男に言われて周囲を見回す若い二人。あなたたちを含めた店の皆が白い眼を向けている。
「下手すると司直が来るぞ」
「……くそっ、こんなしけた店に寄るんじゃなかった。覚えてやがれっ!」
若い男が捨てゼリフを吐いて店を去った。
昼間見た男と残る一人も後に続く。大事にならなくて店の皆が安堵し、そして婦人があなたたちに礼を述べる。
「助かったよ。ありがとうね」
「礼は要りませんよ。私たち、こう見えても戦士ですから、えっへん」
「なに威張ってんだよワラビ。おばさん、あいつら昼間も見たんですけど、何者か知ってますか?」
「“うぃるがすとけ”って言ってたね」
ウィルガスト家とは、最近まで封建体制を敷いていたこの国において、この地方を治めていた領主の家とのことだった。
いわゆる貴族で、王家と繋がりがあり、少し前までは中々の権勢を誇っていたらしい。ただし今ではその力も衰え、王家から軽んじられているとのこと。
いずれにしろ前までは、今のように横暴を振るう真似はしなかった。つい一月ほど前に代替わりし、それから昔の権勢を盾に威張り散らすようになったらしい。
いつも徒党を組んで練り歩く、かつての領主とその手下に、街の人々は困っていると婦人が話した。
「司直は何をやっているのかしら。まったく」
確かに、司直は何をしているのだろう。戦士会のないこの国の治安は司直に掛かっている。
「ねえおばさん、私たちに任せて。私たち戦士だから」
***
ダンジョンとは広い意味で洞窟や迷宮などを指すが、本来は地下牢を意味する言葉である。
その本来の意味のダンジョンが存在した。このすり鉢の街の底では、過去に処刑が行われていたことは説明したが、その受刑者を閉じ込めておくための牢獄が地下に存在した。
規模は大きく、中はまるで迷路のように複雑と聞く。その地下牢の入口付近で、件の貴族の手下をよく見かける、とあなたたちは聞いていた。
思わぬ大義名分を手に入れた。この「ハレーシャンの地下牢獄」をあなたは知っており、いつかハレーシャンに訪れる機会あれば中に入ってみたい、などと思っていたが、この町に着いて訊いてみれば普段は立ち入り禁止とされている施設であった為に諦めていた。
もし中に逃げたなら、多少の侵入は許されるだろう。あなたの冒険心が騒ぐ。しかし、
「あれ? もう捕まってる?」
ワラビが気の抜けた声で言った。地下牢獄の入口に着いてみれば、件の連中と思われる若い男たちが縛られていた。
「司直なめてんのか、この腐れチンピラが!」
「あぐっ! おっ、げぇぇ……」
「お、おい、もうやめてくれよぉ! それ以上やったらそいつ死んじまうよ!」
「ああぁん!? この街で狼藉働いといて許されると思ってんのか! てめえも黙れや!」
「おごぉっ!」
現場はかなり物々しかった。チェインメイルに身を固め、槍や剣などを構えた武装集団が、数にして八人の若い男たちを跪かせていた。
武装集団が着込むチェインメイルの背には、一様にケルベロスが描かれている。司直である。そして、
「おら吐け! あと一人、てめえらの親玉はどこに逃げた!?」
その内の一人が、若者たちを容赦なく痛めつけている。
「おいおい……」
「こわっ、やり過ぎ……」
泣いても喚いても許されず、その様子にジュリアとワラビが引くに引いた。
しかし、司直の者たちは平然としており、若者らの号泣にも態度を崩さない。
いくら相手が悪人とは言え、制裁が過度ではないだろうか。蹲る若者らの顔は誰もが腫れ上がっており、中には血反吐を吐いている者までいる。
病院送りは免れないだろう。もう捕まえたのだ。痛めつける必要まであるのか。その凄惨さにあなたが疑問と同情を覚えたとき、
「おや、君たちは」
若者たちを眺めている司直の一人から、あなたたちが話しかけられた。
「あ、あんたは。……そうそう、刑事のおっさんの」
名前を思い出せないジュリアに代わり、あなたが返事した。
思わぬ人物に出会った。約一年前、ハトゥーサの町にてミゼル商会を捜査し、あなたたちが船に潜入する為の手はずを整えた青年刑事・ソロンと対面した。
ジュリアが言った「刑事のおっさん」とは、あなたたちと共に戦った彼の上司・クライブの事を指す。
「久しぶりですね。元気にしていましたか?」
チェインメイル姿のソロンがあなたに微笑んだ。
右目を前髪で隠し、晒す細い左目はキツネのように鋭く、色白の顔はシャープな造りでとても良い。
嫌味なほどに良い男である。あなたが返答し、クライブの事を訊くと、
「ああ。あの方はレヴァルツィアで元気にしてますよ」
とソロンは爽やかな笑顔で返答した。
「へえ、キツネ目の兄さん、戦えるんだ」
「私と同じ刀。やだ、負けそう」
「フフッ」
笑みを浮かべるソロンは腰に刀を提げていた。
整った容姿が刀を携える佇まいは、どこか達人に見え、ワラビよりずっと強そうだ。
「おいソロン、なに油売ってやがる。働けこの野郎」
ソロンを呼ぶ声にあなたたちが身構えた。
つかつかとブーツを鳴らして歩み寄る者。チェインメイルのフードを深く被っている為に顔は知れないが、胸の膨らみと今の声、歩き方から女性であることが窺える。
右手には砂を詰めた皮袋を提げていた。そして、皮袋は血塗れだった。
この女こそが、先ほどまで若者たちをいたぶっていた者。だからあなたたちが警戒するが、
「わっ。怖いヒトだと思ってたけど」
「けっこう、かわいいぞ」
フードを脱ぎ、かぶりを振った女の素顔に、ワラビとジュリアが息を呑んだ。
やや釣りあがった大きな目は力強く、小さな薄紅色の唇は潤いに満たされている。何よりも小顔で、その可愛らしさは人形のようである。
そして、肌が褐色で、ボリュームある長い髪は銀色だ。まるで伝え聞く魔道士ダビデのよう。
「“ラズィーヤ”、こちら、僕とクライブ刑事がお世話になった戦士の方々だ」
「あん? 何で戦士がここにいる?」
「口を慎め。この方々がいたからミゼル商会の悪事が防げたんだぞ」
「……ふうん」
褐色銀髪の女性刑事・ラズィーヤが、ワラビにジュリア、そしてあなたを嘗めまわすように見る。
前のめりの格好でじろじろと、上から下を満遍なく覗く。その動作はまるでヘビが首を回すよう。やがて、
「クライブの旦那もヤキが回ったな、戦士の手を借りるなんてよ。こっちの二人なんてガキじゃんか、ははっ」
体勢を直した女刑事ラズィーヤが笑って踵を返した。
「なにあのヒト。ヒトの事じろじろ見て」
「おいキツネの兄さん、あのヒト何なんだよ」
「悪いね、僕が代わって謝るよ。彼女は僕の同僚でね、まあ見ての通り乱暴者なんだけど、悪いところばかりじゃないんだ。許してやっておくれよ」
「やけに庇うね、お兄さん。ひょっとして恋人?」
「バカな。今でこそ司直の一員だけど、あのヒト昔は手が付けられないほど札付きのワルだったんだよ」
あなたは、彼女の肌と髪について気になり、それをソロンに尋ねると、
「ああ、彼女“ヒルダガル”出身なんですよ」
この答えを聞いてあなたが得心した。
ヒルダガル。魔道士の生まれ故郷であり、魔王が本拠を構えた遥か東南の地である。
「……くっ、くそ、俺らウィルガスト家に仕える騎士だぞ!? てめえら、騎士にこんな真似してただで済むと思ってんのか!?」
若い男の一人が、打ちのめされた身に我慢できなくなったか声を張り上げた。
「ザイオニア中の貴族が動き出すぜ!? カンテミール家にボアルネー家、アンゲリンゲンだって動き出すだろうなぁ!」
「うるせえなこの腰巾着。ちょっと黙れや」
跪いたまま叫ぶ男の襟を、ラズィーヤが乱暴に掴む。
そして、なんと片手で持ち上げた。女性とは思えない怪力にあなたが目を見張る。
宙吊りとなった男。しかし、男は怯むどころか、ますます声を荒げて汚い言葉を浴びせる。
「おい女! よくも痛めつけてくれたな! てめえのツラ覚えたぞ、犯してやるから覚悟しとけ!」
「そうか。じゃあわたしが手籠めにされないためにも、今ここでテメエの息の根を止めなきゃな。死ね」
「がっ! う、ぐぅ……」
「てめえみたいなのが騎士なんてちゃんちゃらおかしいわ、そもそも封建制度なんてとっくに終わってんだぞ? 早く死ねクズ」
「下ろせ、ラズィーヤ」
「ソロン」
ソロンに言われ、絞めるラズィーヤが男を下ろした。
素直だな、などとあなたが思ったときだった。咳き込む男にソロンが、
「君、顔を上げたまえ」
己を見るように伝え、男が面を上げた瞬間、
「司直を侮蔑した罪は、死を以て償ってもらおう」
一閃。目にも止まらぬ速さで腰の刀を抜き、なんと跪く男の首を、――刎ねた。
「き、斬られた!」
「ひぃぃ!」
もう頭のない首から鮮血が飛び散り、残る若者たちが悲鳴を上げた。
ワラビとジュリアが声を失う。若者の中には、小便を漏らしている者までいる。
「フン。時代に取り残された没落貴族の下っ端が、なに寝惚けたことを言っている」
ソロンが刀を振り払い、手拭いを取り出して血を拭く。
まさか、この男がここまでやるとは思わなかった。しかし司直の者たちは動じていない。ヒトが一人死んでも眉一つ動かさず、ラズィーヤに至っては「ざまあみろ」とまで言っている。
戦士はヒトを相手にした場合、敵がどんなに凶悪な者であろうとも、なるべく殺さないように努める必要がある。それが戦士の決まりだからだ。
殺人犯すべからず。この、古くから続く戦士の掟を胸に、あなたがソロンに問うが、
「面子を守る為には仕方ありません。司直がこんなチンピラに舐められては沽券に係わりますからね。……戦士の皆さんには理解できないかもしれませんが、これも犯罪を抑制する為と割り切ってください」
司直と戦士の差をやんわりと告げられ、
「それよりもこのチンピラ共ですが、聞いていた数と合わないのです。どうやら一人逃げたようなので、もし見かけたらお手数ですが捕まえておいてもらえませんか?」
逃げた者の捜索を頼まれた。
「逃げた者はシモンと言う名の若い男です。御礼は致しますので、よろしくお願いします」
こうしてソロンから逃げた一人の特徴を聞かされ、あなたたちが地下牢獄の入口から立ち去った。
冒険どころではなくなった。首が刎ねられるところを見せられ、あなたたちの足取りは重い。
空を見上げればすっかり暗く、あなたたちが口数も疎らに、街へ戻ろうとするが、
「あれ、テオは?」
ジュリアが気付いた。またテオが姿を消していた。
だが、直ぐに物陰からひょっこりと現れ、あなたたちに合流する。
「またふらふらして。どこ行ってたのよ? 首が飛んだりして大変だったのよ?」
「いや失敬失敬。司直は苦手なんだ」
「なんでだよ? 何か悪さしたのか?」
「してないけどさ、あいつら怖くね? いっつも威圧するように現れるしよ、あいつら見ると、オレ“きんたま”がキュンって縮こまっちまうんだよな」
「……思い出しちまったじゃねえか」
「もうヤダこいつ。キツネのお兄さん、コイツもついでに捕まえてくれないかな」
そして街に戻り、賑わう夜の大路を歩いていると、
「おっ、いたいた。君たち、ちょっといいかね?」
一人の男にあなたたちが呼び止められた。
この男があなたたちを窮地に立たす。特にジュリアは貞操の危機を迎える。




