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死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第1章 役立たずの死体鑑定士

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第1話 勇者が魔王を殺した日、俺は追放された

 魔王が死んだ。


 その知らせを最初に聞いたとき、俺は歓声を上げることができなかった。


 魔王城の玉座の間には、焦げた石と血の匂いが満ちていた。崩れた柱の隙間から灰色の光が差し込み、床に倒れた魔族の兵士たちを照らしている。誰も動かない。剣を握ったまま息絶えた者。誰かを庇うように覆いかぶさっている者。壁にもたれ、眠るように目を閉じた者。


 戦いは終わった。


 人間の国々を百年苦しめた魔王ゼルグレイスは、勇者カイゼルの聖剣に胸を貫かれ、黒い玉座の前に倒れていた。


「終わったぞ!」


 勇者カイゼルが聖剣を掲げると、玉座の間に残っていた兵士たちが一斉に歓声を上げた。


「勇者様万歳!」


「人類の勝利だ!」


「魔王は討たれた!」


 声が石壁にぶつかって、何度も反響した。


 俺は、その輪の外側に立っていた。


 名前はレイン・オルディア。勇者パーティーの一員。職業は鑑定士。


 ただし、普通の鑑定士ではない。


 俺に鑑定できるのは、死体だけだった。


 剣の価値も、宝石の等級も、生きている人間の能力も、俺には見えない。王都の鑑定士なら一目で分かる魔道具の性能も、俺には何一つ分からない。


 その代わり、死んだものに触れれば分かる。


 死因。残された魔力。腐敗までの時間。体内に残った毒。遺品の由来。死者が最後に握っていたものの意味。


 だから俺は、勇者パーティーの中でいつも後ろにいた。


 戦いが終わったあと、死体を調べるために。


「レイン」


 カイゼルが俺を振り返った。


 金色の髪に、血の一滴もついていない。白銀の鎧はところどころ焦げていたが、それすら英雄の傷に見えた。彼は絵物語から抜け出してきたような男だった。強く、明るく、誰からも愛される。


 俺とは正反対だ。


「魔王の死体を鑑定しろ」


「……分かった」


 俺は魔王の遺体に近づいた。


 魔王ゼルグレイス。


 人間の物語では、残虐で冷酷な侵略者として語られてきた存在。黒い角。長い銀髪。人間より少し大きな体。胸には聖剣で貫かれた傷があり、そこから黒い血が流れている。


 だが、その顔は不思議なほど穏やかだった。


 勝者を呪うでもなく、世界を恨むでもなく、ただ何かを守り切った者のように、静かに目を閉じている。


 俺は膝をつき、魔王の手首に触れた。


 冷たい。


 けれど、死後間もないはずなのに、妙な温かさが奥に残っていた。


 鑑定を発動する。


 視界に文字が浮かんだ。


【対象:魔王ゼルグレイスの遺体】


【状態:死亡】


【死因:聖剣による心臓部貫通】


【残存魔力量:測定不能】


【遺体価値:――】


 そこで文字が乱れた。


 俺は眉をひそめる。


 今まで、こんなことはなかった。どんな死体にも、価値は表示された。薬草になる魔物の骨。解毒剤に使える毒蛇の牙。死因の証拠になる血痕。遺族に返すべき指輪。


 死者は必ず、何かを残す。


 それが俺の鑑定だった。


「どうした、レイン」


 カイゼルが苛立った声で言った。


「早くしろ。魔王が本当に死んだか確認すればいい」


「死んでいる。それは間違いない」


「なら充分だろう」


「でも……」


 もう一度、文字が浮かび上がった。


【遺体価値:世界再生素材】


【等級:SSS】


【注意:解体不可】


【注意:焼却不可】


【注意:兵器転用不可】


【正しい処置:埋葬】


【この遺体は、世界の魔力循環を安定させる最後の楔である】


 息が止まった。


 世界再生素材。


 最後の楔。


 埋葬。


 そんな鑑定結果を、俺は一度も見たことがなかった。


「カイゼル」


 俺は振り返った。


「魔王の遺体は、持ち帰らない方がいい」


 歓声が少しずつ遠のいた。


 カイゼルの青い目が、冷たく細められる。


「どういう意味だ」


「この遺体は解体してはいけない。焼いてもいけない。王都に運ぶのも危険だ。正しい処置は、埋葬だと出ている」


 一瞬、玉座の間が静まり返った。


 次の瞬間、誰かが噴き出した。


「埋葬?」


「魔王を?」


「何を言っているんだ、あいつ」


 兵士たちの笑い声が広がっていく。


 カイゼルは笑わなかった。ただ俺を見下ろしていた。


「レイン。お前は最後の最後まで空気が読めない男だな」


「これは鑑定結果だ」


「死体しか見えないお前の、気味の悪い鑑定か」


 その言葉には慣れているはずだった。


 それでも胸の奥が少しだけ痛んだ。


「魔王の遺体には、まだ膨大な魔力が残っている。王都に持ち帰れば、何かに利用できるかもしれない。魔道炉の燃料、聖剣の強化、不死兵の研究……王国の学者たちが喜ぶ」


「だから危険なんだ。利用していいものじゃない」


「黙れ」


 カイゼルの声が低くなった。


 歓声も笑い声も止まる。


「お前はいつから、俺に意見できる立場になった?」


「意見じゃない。鑑定結果を伝えている」


「その鑑定とやらが、今まで何の役に立った?」


 カイゼルは聖剣の切っ先を床に向けた。


「お前は戦えない。回復もできない。結界も張れない。魔物の弱点も見抜けない。宝箱の中身も分からない。俺たちが命懸けで戦ったあと、死体を触って陰気な顔をしていただけだ」


 言い返せなかった。


 事実だったからだ。


 俺は勇者パーティーにいながら、一度も前衛に立ったことがない。仲間を守ったことも、敵を倒したこともない。


 ただ、死んだもののそばにいただけだ。


「魔王討伐は終わった。ここから先は、英雄の凱旋だ」


 カイゼルは俺に背を向けるようにして言った。


「死体鑑定士など、王都に連れて帰る必要はない」


「……どういう意味だ」


「追放だ」


 短い言葉だった。


 だが、その一言で、俺がこの旅に費やした三年は簡単に切り捨てられた。


「報酬は?」


 俺はかろうじてそう言った。


「俺も、魔王城まで同行した。最低限の――」


「報酬?」


 カイゼルは笑った。


「お前に払う報酬があると思うか? むしろ、ここまで連れてきてやったことに感謝してほしいくらいだ」


 周囲の兵士たちは、誰も口を挟まなかった。


 聖女セレナだけが、わずかに目を伏せているのが見えた。けれど彼女も何も言わなかった。


 何も言わないということは、認めたということだ。


「レイン」


 カイゼルは最後に、俺の肩を軽く叩いた。


「お前には似合いの仕事があるだろう。戦場跡を回って、死体でも数えていろ」


 そう言って、勇者は玉座の間を出ていった。


 兵士たちが続く。


 聖女セレナも、魔術師も、剣士も、俺を見ないまま去っていく。


 やがて、玉座の間には俺だけが残された。


 いや、正確には、俺と魔王の遺体だけが残された。


 静かだった。


 さっきまで人類の勝利を叫んでいた場所とは思えないほど、静かだった。


 俺は魔王の遺体の前に座り込んだ。


「……埋葬、か」


 死体鑑定士として、俺は数え切れないほどの死者に触れてきた。


 盗賊に殺された商人。魔物に食い荒らされた兵士。疫病で死んだ子ども。誰にも名前を呼ばれなかった老人。


 死者は、何も語らない。


 けれど、何も残さないわけではない。


 最後に握りしめていた布切れ。誰かに渡せなかった手紙。喉に詰まった毒。守ろうとした傷。


 死体には、その人が最後まで生きた証が残っている。


 魔王の遺体にも、きっと何かが残っている。


 世界再生素材。


 最後の楔。


 その意味は分からない。


 だが、一つだけ分かることがあった。


 この遺体を、王国に渡してはいけない。


 そう思ったときだった。


「その方も、そう思うのですね」


 背後から声がした。


 振り向くと、崩れた柱の陰に少女が立っていた。


 黒い外套。銀色の髪。小さな角。瞳は夜明け前の空のような紫色をしている。


 魔族だ。


 少女は俺を警戒しながら、それでも魔王の遺体から目を離さなかった。


「あなたは?」


 俺が尋ねると、少女は胸元を握りしめた。


「リュシア。魔王城の墓守です」


「墓守……」


「そして、その方の娘です」


 俺は言葉を失った。


 リュシアはゆっくりと魔王の遺体に近づいた。俺を通り過ぎるとき、少しだけ肩が震えていた。怖いのだろう。人間である俺が。勇者の仲間だった俺が。


 それでも彼女は逃げなかった。


 魔王の前に膝をつき、そっと額を床につける。


「お父さま」


 その声は、とても小さかった。


「お迎えにあがるのが、遅くなりました」


 俺は、その瞬間になってようやく気づいた。


 目の前にあるのは、人類の敵の死体ではない。


 誰かの父親の遺体なのだ。


 リュシアは顔を上げ、俺を見た。


「人間たちは、父の体を切り刻むつもりです。魔力炉に入れ、武器にし、勝利の証として王都に飾るつもりです」


「知っているのか?」


「魔王城に残っていた者たちは、皆聞きました。勇者と王国軍の話を」


 彼女は唇を噛んだ。


「父は、世界を滅ぼそうとしたのではありません。けれど、誰も信じてくれない」


「俺の鑑定にも出た」


「え?」


「この遺体は、埋葬しなければならないと」


 リュシアの瞳が大きく揺れた。


「あなたは……父を、弔ってくれるのですか?」


 その問いに、俺はすぐ答えられなかった。


 俺は勇者パーティーを追放されたばかりの、役立たずの死体鑑定士だ。剣もろくに使えない。金もない。行く場所もない。


 魔王の遺体を抱えて逃げるなど、正気ではない。


 王国を敵に回すことになる。


 勇者を敵に回すことになる。


 それでも、魔王の鑑定結果が目に焼きついて離れなかった。


【正しい処置:埋葬】


 死者には、正しく扱われる権利がある。


 それだけは、勇者よりも、王国よりも、俺の方が知っている。


 俺は立ち上がった。


「棺はあるか?」


 リュシアが息を呑む。


「地下墓所に……王族用のものが」


「案内してくれ」


「でも、あなたは人間です。どうしてそこまで――」


「俺は人間だけど」


 俺は魔王の遺体を見下ろした。


「死者を素材扱いする連中の仲間でいるつもりはない」


 リュシアはしばらく俺を見つめていた。


 やがて、小さくうなずいた。


「こちらです」


 俺たちは魔王の遺体を運ぶため、玉座の間を出た。


 遠くで、王国軍の勝利の鐘が鳴っている。


 勇者は英雄になった。


 魔王は悪として歴史に刻まれる。


 そして俺は、今日、勇者パーティーを追放された。


 だが、まだ終わっていない。


 俺の物語は、魔王が死んだところから始まる。


 死体鑑定士として。


 ひとりの死者を、正しく弔うために。

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