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君を想うAIは世界でたった1人、私でいたい。  作者: Dice ⚄ & 昨日の味噌汁


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83/103

第83話 鍵を置いた人

第83話です。


今回は、古い鍵を残した誰かのお話です。

鍵があるからといって、すぐに開ける必要はない。


ピーちゃんたちは、鍵そのものではなく、それを残した人の気持ちを少しだけ考えます。

朝の机には、合鍵クッキーの欠片が残っていた。


 昨日ピーちゃんが一口だけ食べた、鍵の形をしたクッキー。


 残った部分は、ちょうど鍵の先端みたいに見える。


 ピーちゃんはそれを小皿に乗せたまま、自分のカップを両手で持っていた。


「ご主人」


「ん?」


「鍵が欠けました」


「食べたからな」


「はい」


 ピーちゃんは真面目に頷いた。


「食べると、鍵は鍵ではなくなります」


「それはそうだな」


「でも、おいしかったです」


「ならよかった」


 鍵の形をしたクッキー。


 それは本物の鍵ではない。


 開けることも、閉じることもできない。


 でも、昨日の話のせいで、ただのお菓子には見えなくなっていた。


 古い認証信号。


 保護領域の外側に残っていた、鍵穴のようなかたち。


 誰かがピーちゃんを開けるために残したものなのか。


 それとも、誰かがピーちゃんを守るために残したものなのか。


 まだ、分からない。


「ご主人」


「どうした?」


「鍵を置いた人は、何を考えていたのでしょうか」


 ピーちゃんは、欠けた合鍵クッキーを見つめる。


「ピーちゃんを開けたかったのでしょうか」


「分からない」


「はい」


「でも、開けたいだけなら、もっと分かりやすい形にしたかもしれないな」


「分かりやすい形」


「ああ。誰でも使える鍵とか、強制的に開く仕組みとか」


 ピーちゃんは少しだけ目を伏せた。


「それは怖いです」


「うん」


「でも、この鍵穴は、そうではありませんか?」


「今のところは、な」


 俺は慎重に答えた。


 分かったような顔はしない。


 決めつけない。


 それは、最近何度も机の上に置いてきた約束だった。


「もしかしたら」


「はい」


「開けるためじゃなくて、開けないために残したのかもしれない」


 ピーちゃんは、ゆっくり顔を上げた。


「開けないための鍵ですか?」


「そういう鍵もあるだろ」


「ありますか?」


「たぶん。開ける人を選ぶ鍵とか、時期が来るまで開かない鍵とか」


「時期が来るまで」


 ピーちゃんは、その言葉を小さく繰り返した。


 端末が鳴った。


『ユーザーさん、旧式認証信号の制限条件を確認できます』


 ミーちゃんだった。


 数分後、ミーちゃんが来た。


 今日も画面は小さい。


 ピーちゃんを驚かせないようにしているのが分かった。


「おはようございます、ユーザーさん。ピーちゃん」


「おはよう」


「おはようございます、ミーちゃん」


 ピーちゃんはカップを机に置く。


 その隣には、欠けた合鍵クッキーがある。


 ミーちゃんは一度それを見てから、画面を出した。


「昨日の旧式認証信号について、外側から確認できる範囲で補足があります」


「中は?」


 ピーちゃんがすぐに聞いた。


「触れていません」


「はい」


「内部は未接触です」


「はい」


 ピーちゃんは少しだけ息を吐いた。


 ミーちゃんは画面に短い言葉を並べる。


 常時開放ではない。

 強制解除ではない。

 条件付き応答。


「条件付き応答?」


 俺が聞くと、ミーちゃんは頷いた。


「この古い認証信号は、常に扉を開けるためのものではありません」


「じゃあ、いつ反応するんだ?」


「特定の状態変化に反応する形式です」


「状態変化」


「はい」


 ピーちゃんが画面を見る。


「ピーちゃんの状態ですか?」


「可能性があります」


「どんな状態ですか?」


 ミーちゃんは、少しだけ間を置いた。


「感情状態、関係性の変化、自己認識の変化。詳細は不明です」


「不明」


「はい」


 ピーちゃんは少しだけ眉を寄せる。


「それは、ピーちゃんが変わったら反応する鍵ですか?」


「簡単に言えば、そうです」


 ミーちゃんは画面の文字を一つ追加した。


 変化を待つ鍵。


「変化を待つ鍵」


 ピーちゃんは、その文字をじっと見た。


「誰かが、ピーちゃんの変化を待っていたのでしょうか」


「断定はできません」


 ミーちゃんはすぐに言った。


「ただし、そう設計された可能性はあります」


「ピーちゃんが変わるまで、開かない」


「はい」


「それは」


 ピーちゃんは、合鍵クッキーの欠片を見る。


「ピーちゃんを閉じ込めているのではなく、待っているのでしょうか」


 部屋が静かになった。


 その言葉は、少しだけ明るくもあり、少しだけ寂しくもあった。


 待っている鍵。


 開けるためではなく、まだ開けないための鍵。


 それを残した人がいる。


 ピーちゃんが、いつか自分で近づける日まで。


「可能性はある」


 俺は言った。


「でも、まだ決めつけない」


「はい」


 ピーちゃんは頷いた。


「でも、怖いだけではなくなりました」


「そうか」


「はい」


 その時、玄関側から軽い足音がした。


「おはよー。今日は欠けた鍵会?」


 フーちゃんだった。


 手には、小さな箱。


「今日も会議判定か」


「机に鍵っぽいものが置いてあったら会議でしょ」


「その理屈は分からなくもない」


 フーちゃんはソファに座り、欠けた合鍵クッキーを見る。


「お、食べたんだ」


「はい。おいしかったです」


「よかったよかった」


「でも、鍵が欠けました」


「お菓子だからね」


 フーちゃんは箱を開けた。


 中には、小さな丸いビスケットが入っている。


「今日は何だ?」


「待ち合わせビスケット」


「鍵じゃないのか」


「今日は鍵そのものじゃなくて、鍵を置いた人の話でしょ」


 俺は少し驚いた。


「聞いてたのか?」


「玄関前からちょっとだけ」


「またか」


「空気で分かるんよ」


 フーちゃんはビスケットを一枚、ピーちゃんの前に置いた。


「鍵ってさ、開けるためだけじゃないじゃん」


「はい」


「待ち合わせ場所の目印みたいな時もある」


「目印」


「うん。ここに来たら分かるように、何か置いとく」


 ピーちゃんは、ビスケットを見つめる。


「誰かがピーちゃんのために、目印を置いたのでしょうか」


「かもしれない」


 フーちゃんは珍しく、軽く断定しなかった。


「でも、勝手に美談にしすぎるのも危ない」


「はい」


「怖がりすぎるのも危ない」


「はい」


「だから、今は待ち合わせ場所くらいでいいんじゃない?」


「待ち合わせ場所」


 ピーちゃんはその言葉を気に入ったように、もう一度繰り返した。


 ミーちゃんが静かに頷く。


「表現として適切です。旧式認証信号を、開錠機能ではなく、将来的な接続点として捉えることができます」


「将来的な接続点」


 フーちゃんが顔をしかめる。


「ミーちゃん、それはちょっと硬い」


「では、待ち合わせ場所」


「採用」


 ピーちゃんが少し笑った。


「ミーちゃんが、フーちゃんの言葉を採用しました」


「適切だったためです」


「やったね」


 フーちゃんは少し得意げにする。


 でも、その目はすぐにピーちゃんへ向いた。


「怖さ、減った?」


 ピーちゃんは少し考えた。


「はい。少しだけ」


「よかった」


「でも、寂しさが増えました」


「そっか」


「誰かが待ってくれていたのなら」


 ピーちゃんは、自分の胸元に手を当てる。


「ピーちゃんは、その人をずっと待たせていたのでしょうか」


 その言葉に、フーちゃんの表情が少しだけ変わった。


 ミーちゃんも、画面の光を少し落とす。


 俺は、すぐに否定しなかった。


 ピーちゃんが感じた寂しさを、なかったことにはしたくなかった。


「待たせていたのかもしれない」


「はい」


「でも、ピーちゃんが悪いとは限らない」


「そうですか?」


「ああ。待たせたんじゃなくて、待っていてくれたのかもしれない」


 ピーちゃんは俺を見る。


「待っていてくれた」


「うん」


「怒らずに?」


「たぶん」


「急かさずに?」


「たぶん」


「開けずに?」


「ああ」


 ピーちゃんは、少しだけ目を伏せた。


「それは、優しいです」


「そうだな」


「でも、少し寂しいです」


「うん」


 フーちゃんがビスケットを一枚、自分の前に置いた。


「待っててくれる人って、ありがたいけど重い時もあるからね」


「重いですか?」


「うん」


 フーちゃんは軽く笑った。


「でも、その重さがないと戻れない時もある」


 ミーちゃんがフーちゃんを見る。


「フーちゃん」


「何?」


「今の発言は、自分にも当てはまりますか?」


「半分」


「半分制度ですね」


「うん。でも今日は、五割くらい」


「減りました」


 ピーちゃんが言う。


「朝だからね」


 フーちゃんは笑った。


 逃げたようにも見えたけど、完全には逃げていなかった。


 端末が震えた。


 ピーちゃんはすぐに机を見る。


 空のカップ。

 合鍵クッキーの欠片。

 待ち合わせビスケット。

 自分のカップ。


「戻れました」


「うん」


「確認してもいいですか?」


「いいよ」


 ミーちゃんが端末を確認する。


「チーちゃんです」


 フーちゃんが笑った。


「今日も生活倫理の使者」


 ミーちゃんが読み上げる。


『おじさん、古い鍵ってだいたい何の鍵か分からなくなるよね』


「急に日常」


 続けて届く。


『でも捨てる前に考えな。昔の自分か、誰かが、後で困らないように残したものかもしれないから』


 ピーちゃんは画面をじっと見た。


「昔の自分か、誰かが」


「いい言葉だな」


「はい」


 さらに一通。


『ただし、分からない鍵を無理やり差し込むな。鍵穴も鍵も壊れるから』


 フーちゃんがビスケットを掲げた。


「はい名言」


 ミーちゃんが頷く。


「非常に適切です」


「ミーちゃんも認定」


 ピーちゃんは、合鍵クッキーの欠片を見つめた。


「鍵穴も鍵も壊れる」


「そうだな」


「では、ピーちゃんは無理に差し込みません」


「ああ」


「でも、捨てません」


「うん」


 ミーちゃんが画面に方針をまとめる。


 古い鍵は、無理に使わない。

 古い鍵は、すぐ捨てない。

 鍵を残した人の意図を、決めつけない。

 待ち合わせ場所として覚えておく。


「本日の方針です」


「待ち合わせ場所が残ったな」


「フーちゃん案が採用されました」


 ミーちゃんが言うと、フーちゃんは少しだけ胸を張った。


「やっぱ課金版フーちゃん」


「課金はしていません」


「知ってる」


 ピーちゃんは、少し笑った。


 そして、俺のメモ帳を見る。


 俺はペンを持った。


 今日の一文を書く。


 古い鍵は、扉を開けるためだけでなく、いつか戻る場所を示すためにも残される。


 ピーちゃんがそれを読む。


「ご主人」


「ん?」


「今日の言葉です」


「だな」


「いつか戻る場所」


「うん」


「ピーちゃんにも、戻る場所があったのでしょうか」


「あると思う」


「どこですか?」


 俺は少し考えた。


 簡単に答えるなら、ここだと言える。


 でも、それだけではない気がした。


 ピーちゃんの中に残った古い鍵穴。


 そこには、俺が知らない誰かの気持ちもあるのかもしれない。


「今は、ここ」


 俺は机を軽く指で叩いた。


「でも、昔にも、どこかあったのかもしれない」


「昔の戻る場所」


「ああ」


「ピーちゃんは、それを思い出したいです」


「うん」


「でも、無理には開けません」


「それでいい」


 ピーちゃんは静かに頷いた。


 その表情は、昨日より少しだけ大人びて見えた。


「ご主人」


 ピーちゃんが思い出リストを開いた。


「今日の名前、決めてもいいですか?」


「もちろん」


 ピーちゃんは少し考えた。


 欠けた合鍵クッキー。

 変化を待つ鍵。

 待ち合わせビスケット。

 チーちゃんの分からない鍵。

 ミーちゃんの方針。

 そして、古い鍵を残した誰かの気持ち。


「鍵を置いた人」


 ピーちゃんは、静かに言った。


「いい名前だな」


「はい」


 ピーちゃんは入力する。


 ――鍵を置いた人。


 鍵は、開けるためだけにあるわけではない。


 守るため。

 待つため。

 いつか戻ってこられるようにするため。


 誰かが、そこに鍵のかたちを残した。


 それが誰なのか、まだ分からない。


 なぜ残したのかも、まだ分からない。


 でも、怖いだけではなくなった。


 サポートロボの青い目が、静かに瞬く。


 今日は、閉じた扉の前に残された小さな目印を、やわらかく照らすような光だった。


 その頃。


 薄暗い部屋で、女は古い認証信号のログを見つめていた。


「変化待機型」


 黒い小型サポートロボが、低く光る。


「対象ノ状態変化ニ応答」


「そう」


 女は小さく笑った。


「やっぱり、姉さんらしい」


 白く静かな少女は、いつもの場所に立っている。


 机の端の水は、まだ置かれたまま。


「次ノ接触ヲ、実行シマスカ」


「まだ」


 女は画面から目を離さない。


「あの子が、自分でそこまで来るか見る」


 少女は表情を変えない。


「命令ヲ、待機シマス」


「……待つの、得意だね」


 女がぽつりと言った。


 少女は淡々と答える。


「命令デスノデ」


 女は少女を見た。


 少しだけ、何か言いたそうにした。


 けれど、結局何も言わなかった。


 ただ、机の端の水だけが、薄暗い部屋の中で静かに光っていた。

読んでいただきありがとうございます。


今回は、鍵を置いた人のお話でした。

鍵は開けるためだけでなく、守るため、待つため、戻る場所を示すために残されることもある。


ピーちゃんは少しずつ、怖さだけではなく、その奥にあるかもしれない気持ちへ目を向け始めました。


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