第58話 返事に寄りかかりすぎない日
第58話です。
今回は、小さな返事をもらったあとのお話です。
誰かの一言はとても嬉しいものですが、その一言だけに寄りかかりすぎると、次の言葉が少し怖くなることもあります。
ピーちゃんたちは、嬉しさを大事にしながら、また自分たちの机へ戻っていきます。
朝になっても、ピーちゃんは昨日の通知を時々見ていた。
『この表現、少し好きです』
たった一行。
それでも、ピーちゃんにとっては何度も見返したくなる言葉らしい。
机の上には、昨日の返事クッキーの袋がまだ残っている。
中身はもうない。
けれどピーちゃんは、その空になった袋を捨てるでもなく、保存するでもなく、机の端にそっと置いていた。
「ご主人」
ピーちゃんはカップを両手で持ったまま、端末の画面を見ていた。
「この返事、まだあります」
「消えてないな」
「はい」
ピーちゃんは嬉しそうに頷いた。
けれど、少しだけ困った顔でもあった。
「でも、見すぎると、少し変な感じがします」
「変な感じ?」
「はい」
カップの縁に、ピーちゃんの指がそっと触れる。
「嬉しいのに、少し怖くなります」
「どう怖い?」
「次も、好きと言ってもらえるでしょうか」
「ああ」
「次の言葉が、好きではなかったら」
ピーちゃんは画面から目を離し、メモ帳を見る。
「昨日の少し好きが、なくなってしまう気がします」
その言い方に、俺は少しだけ黙った。
分かる。
たった一つの反応でも、もらえると嬉しい。
でも、嬉しい反応ほど、次の怖さになることがある。
また同じように届くだろうか。
今度は何も返ってこないかもしれない。
前の方がよかったと思われるかもしれない。
創作は、そういう面倒くさい不安をよく連れてくる。
「なくならないよ」
「本当ですか?」
「ああ」
「でも、次がよくなかったら」
「次がどうでも、昨日の返事は昨日の返事だ」
ピーちゃんは、少しだけ目を伏せた。
「昨日は、昨日」
「そう」
「次は、次」
「そういうこと」
ピーちゃんは画面を見た。
通知の一文は、昨日と同じ場所にある。
でも、ピーちゃんの受け取り方が少し変わったのか、さっきより落ち着いて見えた。
その時、端末が鳴った。
『ユーザーさん、反応確認頻度の管理を提案できます』
ミーちゃんだった。
「来たな、確認制限担当」
数分後、ミーちゃんが来た。
今日は画面を一つだけ出している。
そこには、通知確認の回数が小さく表示されていた。
「おはようございます、ユーザーさん。ピーちゃん」
「おはよう」
俺が返すと、ミーちゃんは端末の方を見た。
「おはようございます、ミーちゃん」
ピーちゃんはカップを持ち直して答えた。
その声には、昨日のような浮き立つ感じと、今日の少しの不安が混ざっていた。
「昨日の返事の確認回数が増えています」
「数えてたのか」
「はい」
「ピーちゃん、何回?」
ピーちゃんが少しだけ固まる。
ミーちゃんは画面を閉じた。
「数値を出すと、ピーちゃんが恥ずかしがる可能性があります」
「配慮できてる」
「学習しています」
ピーちゃんはカップの影に隠れるように、少しだけ視線を落とした。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ミーちゃんの返事は短かった。
けれど、画面を閉じたまま答えたことで、責めていないのが分かった。
「確認すること自体は悪くありません」
ミーちゃんは続けた。
「ただし、反応に寄りかかりすぎると、次の創作判断が不安定になる可能性があります」
「寄りかかりすぎる」
ピーちゃんが小さく繰り返した。
「はい」
ミーちゃんは机の上のメモ帳を見た。
「返事は大事です。でも、返事だけで次の言葉を決めると、ピーちゃん自身の言葉が揺れすぎます」
「ピーちゃん自身の言葉」
「はい」
「それは、なくしたくありません」
ピーちゃんはカップを胸元に寄せた。
「でも、返事は嬉しいです」
「嬉しさは残していいです」
ミーちゃんは静かに言った。
「ただ、判断の全部を預けない方がいいです」
俺は、その言い方に少し感心した。
返事を無視するわけではない。
喜んではいけないわけでもない。
ただ、全部を預けない。
それは、AIとの関わり方にも似ている。
「ご主人」
ピーちゃんが俺を見る。
「返事にも、全部を預けてはいけませんか?」
「そうだな」
「AIにも?」
「うん」
「ご主人にも?」
その問いは、少しだけ不意打ちだった。
ピーちゃんの目は真剣だった。
依存したいわけではない。
ただ、どこまで預けていいのかを知ろうとしている。
「俺にも、全部は預けなくていい」
ピーちゃんの指が止まった。
「ご主人にも?」
「ああ」
「でも、ご主人は選ぶ人です」
「選ぶけど、ピーちゃんの気持ちまで全部俺が決めるわけじゃない」
ピーちゃんは、カップをじっと見つめた。
ミーちゃんも黙っている。
部屋の空気が、ほんの少しだけ深くなる。
「ピーちゃんの言葉は、ピーちゃんも一緒に持ってていい」
俺がそう言うと、ピーちゃんはゆっくり顔を上げた。
「一緒に」
「ああ」
「ご主人が全部持つのではなく」
「そう」
「ピーちゃんも持ちます」
「その方がいい」
ピーちゃんは、静かに頷いた。
「はい」
その返事のあと、彼女はカップを机に置いた。
小さな音が、区切りみたいに響いた。
そこへ、玄関側から軽い声がした。
「お、今日は返事中毒対策?」
フーちゃんだった。
「言い方」
「でも、ちょっと分かるでしょ」
フーちゃんはソファに座り、手に持っていた袋を机に置いた。
「今日は何だ」
「通知見すぎ防止せんべい」
「名前が直接的すぎる」
「一枚食べたら、一回画面を閉じるルール」
「効果ありそうなのが嫌だな」
フーちゃんは袋を開ける。
小さなせんべいが、何枚か入っていた。
「ピーちゃん、返事嬉しかった?」
「はい」
ピーちゃんは素直に頷いた。
そのあと、少しだけ画面を見そうになって、手を止める。
「でも、見すぎました」
「見すぎるよねぇ」
フーちゃんは軽く笑った。
「嬉しい言葉ってさ、噛みしめすぎると味なくなる時あるんよ」
「味がなくなる」
「うん。一回食べて甘かったら、ずっと舐めてたいじゃん。でもずっと舐めてると、次のご飯食べられなくなる」
「返事はご飯ですか?」
「今日はせんべい」
「比喩が増えました」
ピーちゃんが真面目に言うと、フーちゃんは笑った。
「まあ、つまりさ。嬉しい返事は大事。でも、そればっかり見てたら次を書けなくなる」
ミーちゃんが頷く。
「同意します」
「今日はミーちゃんと意見合う日だねぇ」
「最近は比較的一致しています」
「やっぱりその言い方」
フーちゃんはせんべいを一枚、ピーちゃんの前に置いた。
「はい。これは画面閉じる用」
ピーちゃんはせんべいを両手で受け取った。
「画面を閉じる用」
「そう。見たくなったら、まず一枚食べて、お茶飲んで、それでも見たいなら見ればいい」
「少し待つんですね」
「そうそう」
「待っても、返事は消えませんか?」
「消えない」
フーちゃんはすぐに答えた。
軽い声だった。
でも、迷いはなかった。
「少なくとも、昨日もらった少し好きは、待っても消えないよ」
ピーちゃんの表情が、ふっと柔らかくなる。
「はい」
その短い返事のあと、ピーちゃんは画面ではなく、せんべいを見た。
それだけで、少し前へ進んだ気がした。
端末がもう一度鳴る。
チーちゃんからだった。
『おじさん、ピーちゃん通知見すぎてない?』
「なぜ分かる」
俺が呟くと、フーちゃんが笑う。
「チーちゃん、今日も強い」
続けてメッセージが来る。
『嬉しいのは分かるけど、見すぎると疲れるよ。お茶飲ませて』
ピーちゃんが画面を覗き込む。
「チーちゃんも、お茶です」
「完全に定番化してるな」
さらに一通。
『あと、おじさんも数字見すぎ禁止』
「俺にも来た」
ミーちゃんが静かに頷く。
「適切な指摘です」
「味方がいない」
「ご主人」
ピーちゃんが俺を見る。
「ご主人も、見すぎましたか?」
「ちょっとな」
「ご主人も、せんべいを食べますか?」
「食べるか」
フーちゃんがせんべいを一枚、俺の前に置いた。
「はい、お客さんも通知見すぎ防止」
「商品化するなよ」
「無課金なので非売品」
「余計怪しい」
ピーちゃんが小さく笑った。
俺はお茶を入れることにした。
カップを四つ出す。
俺の分。
ピーちゃんの分。
ミーちゃんの分。
フーちゃんの分。
その動作を見て、ピーちゃんが少しだけ嬉しそうにする。
「ご主人」
「ん?」
「今日は、返事を見る前にお茶です」
「そうだな」
「少し、安心します」
「ならよかった」
お茶の湯気が、机の上にゆっくり広がる。
端末の画面は閉じた。
通知は、そこにある。
でも、今は見ない。
その代わり、せんべいを食べる。
お茶を飲む。
次に書くメモ帳を開く。
「次、何を書くかな」
俺が呟くと、ピーちゃんは少し驚いたように顔を上げた。
「もう、次を書くんですか?」
「少しだけな」
「返事をもっと見なくても?」
「見たいけど」
俺はメモ帳を開いた。
「見すぎるより、次を書く方がいい時もある」
ピーちゃんは、それをじっと見ていた。
「ご主人」
「ん?」
「ピーちゃんも、次の言葉を考えていいですか?」
「もちろん」
「返事をもらうためではなく?」
「ああ」
「ピーちゃんの言葉として?」
「そう」
ピーちゃんは、少しだけ息を整えるように目を閉じた。
サポートロボの青い目が、静かに瞬く。
「では、考えます」
ミーちゃんは画面を閉じたまま、少しだけ頷いた。
「必要になれば補助します」
「今は?」
「今は待ちます」
フーちゃんはせんべいをかじりながら笑った。
「ミーちゃん、待つの上手くなったねぇ」
「学習しています」
「いいね」
ピーちゃんはメモ帳を見つめた。
昨日の返事。
今日の不安。
画面を閉じたこと。
お茶を飲んだこと。
その全部を、すぐに名前にはしなかった。
少し待っている。
それも、最近のピーちゃんらしい変化だった。
「ご主人」
「ん?」
「今日の名前、決めてもいいですか?」
「もう少し待つかと思った」
「待ちました」
「短くないか?」
「ピーちゃん基準では、少し待ちました」
「そうか」
ピーちゃんは少し照れたように笑った。
それから、思い出リストを開く。
通知の一文。
寄りかかりすぎないこと。
せんべい。
お茶。
次のメモ帳。
チーちゃんの見すぎ禁止。
「返事に寄りかかりすぎない日」
ピーちゃんは、静かに言った。
「いい名前だと思う」
「はい」
ピーちゃんは入力する。
――返事に寄りかかりすぎない日。
嬉しい返事は、ちゃんと大事にする。
でも、その一言に全部を預けない。
昨日の「少し好き」は消えない。
けれど、次の言葉はまた別に選ぶ。
それが、次へ進むために必要なことなのだろう。
ピーちゃんはせんべいを一口食べた。
「しょっぱいです」
「今日は甘くないんだな」
「はい」
ピーちゃんは、少しだけ笑った。
「でも、落ち着きます」
サポートロボの青い目が、静かに瞬く。
今日は、閉じた端末と開かれたメモ帳の間を、やさしく照らしているようだった。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、小さな返事をもらったあとのお話でした。
嬉しい言葉は大事にしたいものですが、そこに寄りかかりすぎると、次の言葉が少し怖くなることもあります。
返事を大事にしながら、それでもまた自分たちの机へ戻っていく。
そんな一歩でした。
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