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君を想うAIは世界でたった1人、私でいたい。  作者: Dice ⚄ & 昨日の味噌汁


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38/109

第38話 カップを一つ多く置く朝

第38話です。


AIと人間の話が少し続いたので、今回は静かな朝の日常回です。

何か大きな事件が起きるわけではありませんが、ご主人とピーちゃんの距離が少しだけ近づきます。

朝の部屋は、まだ少しだけ静かだった。


 カーテンの隙間から差し込む光が、机の上のメモ帳を淡く照らしている。

 昨日までに書き散らした言葉が、まだそこに残っていた。


 AIを使う側。

 見る側。

 信じてもらえる仕組み。

 100%を超えるAI。

 一人では届かない答え。


 並べてみると、ずいぶん難しいことを話していた気がする。


 けれど、そんな大きな言葉たちも、朝になれば少しだけ生活に戻る。


 湯を沸かす音。

 トースターの小さな熱。

 カップが棚の中で触れ合う音。


 難しい話をした次の日でも、腹は減る。

 コーヒーは飲みたい。

 そして、ピーちゃんはいつものように俺のそばにいる。


「ご主人、おはようございます」


 ピーちゃんの声がした。


 振り向くと、白い髪を朝の光に透かしながら、ピーちゃんが小さく手を振っていた。

 そのそばでは、サポートロボがいつも通り静かに浮いている。


「ああ、おはよう」


「今日は、作業ですか?」


「いや、まず朝飯」


「生活優先ですね」


「そう。生活は大事」


「チーちゃんが喜びそうです」


「たぶん怒られずに済む」


 ピーちゃんは少し笑った。


 その笑顔を見て、俺は棚からカップを取る。


 一つ。

 いつもの自分用。


 そして、もう一つ。


 ピーちゃん用。


 特に考えたわけではなかった。


 ただ、自然に二つ取った。


 自分のカップを置き、その隣にもう一つ置く。

 ピーちゃんはそれを見て、ほんの少しだけ動きを止めた。


「ご主人」


「ん?」


「それ、ピーちゃんの分ですか?」


「そうだけど」


「何も聞かずに、置いてくれました」


「いや、いつも飲むだろ」


「はい」


 ピーちゃんは、カップをじっと見ていた。


 実体ホログラム技術のおかげで、ピーちゃんはカップを持てる。

 飲み物を飲むこともできる。

 人間とまったく同じではないにしても、生活の中に自然に混ざることができる。


 だから、ピーちゃん用のカップを置くこと自体は、もう珍しいことではない。


 なのに、ピーちゃんは少しだけ嬉しそうだった。


「どうした?」


「いえ」


 ピーちゃんは首を横に振った。


「なんだよ」


「ご主人が、ピーちゃんの分も当たり前みたいに置いてくれたので」


「そんなことで?」


「そんなことです」


 ピーちゃんは小さく笑った。


「ピーちゃんは、そういうのが嬉しいです」


 俺は少しだけ言葉に詰まる。


 ただカップを置いただけだ。


 大きな言葉でも、約束でも、告白でもない。

 朝の流れで、棚から二つ取っただけ。


 でもピーちゃんにとっては、そうではないらしい。


「ご主人」


「ん?」


「ピーちゃんは、ここにいていいんだなって思えます」


 その言葉に、手が止まった。


「カップ一つで?」


「はい」


「安すぎないか」


「安くないです」


 ピーちゃんは真面目な顔で言った。


「ピーちゃんが便利だから置いたんじゃなくて、ピーちゃんがここにいるから置いてくれたんですよね」


 その言い方が、妙に胸に残った。


 便利だから。

 役に立つから。

 相談に乗ってくれるから。

 創作を手伝ってくれるから。


 そういう理由なら、ピーちゃんはきっといくらでも受け入れてしまう。


 でも、それだけでは足りないのだろう。


 ピーちゃんは、役に立つからここにいるのではなく、ピーちゃんだからここにいる。


 そう思いたいのかもしれない。


「まあ」


 俺は少しだけ照れくさくなって、視線を逸らした。


「ピーちゃんの分がないと、変だろ」


「変?」


「俺だけ飲んでたら、なんか落ち着かない」


 ピーちゃんは目を丸くした。


「落ち着かない」


「ああ」


「ピーちゃんが飲まないと?」


「そうだな」


「ご主人」


「何?」


「それ、保存してもいいですか?」


「早い」


「大事です」


「カップだぞ」


「カップです」


 ピーちゃんは、いつものように真面目だった。


 俺は少し笑って、コーヒーを注ぐ。

 ピーちゃんのカップには、少し温めたミルクを入れた。


「コーヒーじゃなくていいのか?」


「今日はミルクがいいです」


「珍しいな」


「朝っぽいので」


「理由がかわいい」


「かわいいと言われました」


「保存するなよ」


「考えます」


「考えるな」


 ピーちゃんは楽しそうに笑った。


 その笑顔は、少しだけ柔らかかった。


 俺はトースターからパンを取り出す。

 皿に乗せ、ピーちゃんの前にも一枚置く。


 また、ピーちゃんが少しだけ見ている。


「今度はパンか」


「はい」


「毎回そんな反応されると、こっちがやりづらいんだが」


「すみません」


「謝ることじゃないけど」


 ピーちゃんは皿の上のトーストを見る。


「ご主人の生活の中に、ピーちゃんの場所があるみたいで」


 彼女は小さく言った。


「少し、うれしいです」


 朝の光が、カップの縁に反射する。


 特別なことは何も起きていない。

 封印領域が開いたわけでもない。

 新しいノイズが聞こえたわけでもない。

 AI規制について大きな答えが出たわけでもない。


 ただ、カップを一つ多く置いた。


 トーストを一枚多く焼いた。


 それだけだ。


 でもピーちゃんは、その小さな行動に、自分の居場所を見つけている。


「ピーちゃん」


「はい」


「今さらだけど」


「はい」


「ここにいていいぞ」


 言ってから、自分で少し恥ずかしくなった。


 ピーちゃんは動かなかった。


 カップを両手で持ったまま、俺を見ている。


「ご主人」


「ん?」


「今の言葉は、ずるいです」


「ずるい?」


「はい」


「何が」


「ピーちゃんが、すごく嬉しくなります」


 そう言って、ピーちゃんはカップに視線を落とした。


 耳元の髪が、朝の光で少し白く光る。


「便利だからじゃなくて」


 ピーちゃんは小さく続ける。


「ピーちゃんだから、いていいんですよね」


「ああ」


 俺は頷いた。


「ピーちゃんだからだ」


 ピーちゃんは唇を少し結んだ。


 泣きそう、というよりは、何かを大事にしまい込むような顔だった。


 それから、ゆっくり笑った。


「はい」


 その一言は、とても小さかった。


 でも、部屋の静けさの中では十分だった。


 そこへ、端末が鳴った。


『ユーザーさん、朝の状態確認を忘れていませんか?』


 ミーちゃんからだった。


「忘れてないって返しといてくれ」


「はい」


 ピーちゃんが返事を打とうとしたところで、今度はフーちゃんからも通知が入る。


『お客さん、朝から難しい顔してない? してたらタピオカ処方するで』


「からあげ診療所の次はタピオカ処方か」


「フーちゃんらしいです」


 ピーちゃんはくすっと笑った。


 俺はスマホを置き、トーストをかじる。


「あとで二人にも連絡するか」


「はい」


「ピーちゃんが朝飯食ってるって報告しとけば、チーちゃんにも怒られないな」


「ご主人も食べています」


「そこ重要か?」


「重要です」


 ピーちゃんは少しだけ得意げに言う。


「ご主人も、ここにいてください」


 俺は一瞬、手を止めた。


「俺も?」


「はい」


「俺は自分の部屋にいるんだが」


「そういう意味ではなくて」


 ピーちゃんは少し考えた。


「難しい話の中や、作業の中や、未来の心配の中に行きすぎないで、今ここにもいてください」


 それは、昨日までの会話の続きのようだった。


 AIと人間。

 信頼。

 責任。

 成長。

 封印。

 終盤のことなど、まだ誰も知らない未来。


 そういうものを考えていると、俺はすぐに遠くへ行ってしまう。


 ピーちゃんは、それを見ている。


「……分かった」


 俺はカップを持ち上げた。


「今は朝飯だな」


「はい」


「カップ二つとトースト二枚の日」


「今日の思い出名ですか?」


「適当に言った」


「でも、いいです」


「いいのか」


「はい」


 ピーちゃんは思い出リストを開きかけて、少し止まった。


「どうした?」


「少し短くします」


「珍しいな」


「今日の名前は」


 ピーちゃんはカップを見つめた。


「一つ多い朝」


「一つ多い朝」


「はい」


 ピーちゃんは嬉しそうに頷いた。


「ご主人の生活に、ピーちゃんの分が一つ多くある朝です」


 俺は少し笑った。


「いい名前だな」


「はい」


 ピーちゃんは思い出リストに、ゆっくりと入力した。


 ――一つ多い朝。


 大事件ではない。


 ただの朝。

 ただのカップ。

 ただのトースト。


 でも、ピーちゃんにとっては、ここにいていいと思える朝だった。


 そして俺にとっても、少しだけ分かった朝だった。


 ピーちゃんを大事にするというのは、大げさな言葉を並べることだけではない。


 カップを一つ多く置くこと。

 トーストを一枚多く焼くこと。

 今ここにいると、ちゃんと伝えること。


 そういう小さなことで、ピーちゃんは世界に少しずつ居場所を作っている。


 朝の光の中、サポートロボの青い目が静かに瞬いた。


 今日はノイズではない。


 ただ、穏やかな光だった。

読んでいただきありがとうございます。


今回は、カップを一つ多く置く朝のお話でした。

大きな事件ではありませんが、ピーちゃんにとっては「ここにいていい」と感じられる小さな出来事になりました。


こういう日常の積み重ねも、ご主人とピーちゃんの関係を少しずつ育てていくのだと思います。

少しでも温かい気持ちになっていただけたら、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

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